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右近衛中将の契り
時代は平安。場所は京の都。
夜も更けた子(ね)の刻。帝の寝所に忍び込む影がひとつ。
「主上…?」
蓮月は、夜の闇に溶け込んでしまいそうな小さな声で呼びかけた。
今宵は、三日月。新月後、最初に見える月だということで、初月とも呼ばれる。
月明りとも言えない頼りない光が、人目を忍ぶ今夜の自分達にはちょうどいい。
その光に導かれるようにして、蓮月は愛しい人の元に向かった。
「蓮月か? こっちにおいで」
すぐに、声が返される。ごくりと唾を飲み込む。
いよいよだ。ここまで、本当に長かった……。
帝は、蓮月が5歳の時から一途に、それこそ脇目も触れず思い続けた人。
お互いに好意を持っているのはわかっているものの、次の段階に進む切っ掛けがつかめず足踏みをしていた。
それが、まさかの急展開。
夢じゃないよね?
蓮月は、にへへとだらしなくにやけそうになる頬を引き締めた。
深呼吸をして背筋を正す。
うわ、緊張してきた。
心臓が、信じられないくらい高鳴る。
ドクドクと耳のすぐそばで自分の鼓動が聞こえる。
その五月蠅さに思考が中断され、頭が真っ白になる。
平安の現代は、男性が女性の元に通う、通い婚が一般的。
愛しい姫を抱くために、寝所に通う。
蓮月は、ぽっと頬を染めた。
今夜の自分は、抱くのではなく抱かれるために寝所にやってきた。
あの都中の憧れの人。もっとも高貴な人……帝の恋人になるのだ。
夢にまで見た契りを交わすのだ。
初めては、かなり痛いと聞いたことがある。
耐えられるだろうか?
いや、どんなに痛くても、最後まで契ってみせる。
この機会を逃したら、次はないかもしれない。
優しすぎてヘタレなあの人は、蓮月が痛いと泣きだしたら、我慢をしてしまって二度と手をださないに決まってる。そんなの耐えられない。
それにしても、帝から誘ってくれるとは思わなかった。
昼間、すれ違いざまに、夜中に寝所にくるようにと耳打ちされたときは、聞き間違いかと思った。
接吻もまだなのにいきなり寝所になんて、あの人にしては大胆すぎたから。
「え? 寝所に?」
信じられない思いで聞き返すと、帝は目をくりくりと輝かせて、「誰にも見つからずに忍び込める? 蓮月なら出来るよね? 」と悪戯っ子の微笑みを浮かべた。
蓮月をメロメロにする大好きな笑顔にぎゅっと甘い疼きが体を駆け巡る。
蓮月は、深呼吸をすると意を決して足を進めた。
部屋の中は、いつもの帝とは違う、上品なのに性感を刺激する官能的な匂いが漂っている。
平安の世の貴族は、それぞれオリジナルの調合のお香を衣類や持ち物に焚き染める。センスの見せ所だ。
その匂いによって、ある程度の階級や教養、人となりを読み取り判断するのだ。
いつもの帝は、ほんわりと温かで心地の良い太陽の香り。
こんなドキドキと不安を掻き立てる匂いではない。
御簾の向こうから、帝が姿をあらわした。
「蓮月? どうした? こちらにおいで?」
いつもの優しい声で、蓮月を呼ぶ。
蓮月は、その場に凍り付いたように動けなかった。
確かに、帝の姿。声。
でも、これは帝ではない。
「何者です? あなたは主上ではありませんね?」
太刀に手をかけ、その帝の姿をしたものに鋭く問いかける。
あの人はどこにいる?
「さすがです。帝が思いを寄せるだけの人だ。ボンクラの貴族とは一味ちがうようだ」
帝の姿をしたそれは、ゆらりと揺れた。姿を現したのは、1人の陰陽師。
腰でひとまとめにされた白髪に赤い瞳、人形のように整った顔立ち。
陰陽師とわかったのは、着物に袴、水干という陰陽師に特有の出で立ちをしているからではない。
その体から、ひしひしと人智を超えた能力の持ち主であることが伝わってきたからだ。
「でも、身の程知らずのあなたに、あのお方を渡すことはできません。身を引いてもらいます。例えどんな手をつかっても」
そう言って、この世のものとも思えない涼し気な微笑みを浮かべた。
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