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1章 エピローグ 北へ吹き抜ける風
「落ち着いて聞いてくれ」
食事の途中でキトがすごく真剣な顔をして僕を見る。僕はゴクリと咀嚼していた物を飲み込んでキトの言葉を待った。
「今この村には俺とお前しかいない」
「…………え?」
僕とキト以外、いない……?
「リトが発情期の間に村を見て回ったんだが、残っている者は誰もいなかった」
持っていたスプーンがスープの入った皿にぽちゃんと落ちたのをそのままに僕はキトの顔だけを見ていた。
「ルピドに連れ去られてしまったんだろう。それでだな、俺――」
「連れ戻しにいかなきゃ!」
キトの言葉を遮って叫ぶと「まずは俺の話を聞け」と立ち上がってしまった僕を座るように促す。
「俺は村人を連れ戻しにいこうと思ってる。リト、お前はどうする? はっきり言って危険な旅になる。俺はお前をここに置いていこうと思ったんだが……この村も絶対に安全だ、と言える訳ではない」
グラスに入った水をキトが飲んで口を潤すと話を続けた。
「ルピド族の住む草原はここから北のところにある。ベーナ族の住む砦よりも更に北だ。怪我をするかもしれないし、命を落とすかもしれない。守ってくれるのは己の腕だけだ。ま、お前を見す見す死なせるような事はしないがな。俺に付いてくるか此処に残るか決めてくれ。俺としては長旅よりも、まだ安全なこの村に残ってほしい」
「僕も行く!」
「外は危険だと言っているだろう? 俺達を狙うのはルピドやリオネラだけじゃない。亜人族にも狙われる事になる。ゴブリンやオークならまだ良い、倒せるからな。だが、トロールは違う。俺でも倒せるかどうか分からない。それに、お前が残酷な物を見る事になるかもしれない」
「……残酷な物って?」
「獣人族の死体、魔物の死体、亜人族に陵辱されているヴィヌワやキャリロ。それでも行くと言うのか?」
「絶対いくッ!」
視線を彷徨わせてから立ち上がり僕の所に来るとキトが目線を合わせるように床に膝立ちになった。
「リト、ならばこれから言うことを守ると約束してくれ」
「約束?」
「上位回復魔法は使わない。じーさんに教えられた禁忌魔法も使わない」
「禁忌魔法はともかく、上位魔法は何で?」
「リトは知らないかもしれないが、四肢切断を直せる程の上位の回復魔法は誰も使えないんだ。精々が中位魔法程度。それを人がいるところで使ってみろ」
キトから放たれる冷気に耐えられなくてぶるっと体が震えた。
「ど、どうなるの?」
「ルピド、リオネラ、ベーナの権力者どもに死ぬまでこき使われるか、或いは子孫を残す為だと言って産み腹にされるかだ」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「約束できないならリトはここで留守番だ」
「約束する!」
「使っても中位魔法程度だからな? それ以上は使ってはいけない」
「うん、僕中位魔法までしか使わないよ」
「いい子だ」と僕の頭を撫でてキトが自分の席に戻る。
「それから、俺の側から離れない。もし俺と逸れてしまったらその場所の近くに隠れている事。俺はお前を絶対に見つけてみせる。だから無闇矢鱈に歩き回らない」
キトの目を見てこくこくと頷く。
「それと、旅の途中、狩の仕方を教えるが根を上げない事。これらの事をきちんと守れるか?」
「守れる!」
「では復唱してみろ」
「上位魔法と禁忌魔法は使わない。キトの側から離れない。逸れたら近くに隠れてキトを待ってる。教えられる事に根を上げない」
指を折って復唱してキトの顔をみると僅かに目を細めて僕を見ていた。
「それからな、もし俺が倒せないような相手が出てきたらリトは逃げる事だけを考えろ。死んでも俺が必ずお前を守る。絶対にこれだけは約束してくれ」
「……キト……?」
キトから目が離せない。目は笑ってるのにその声はひどく真剣で、その真剣差が逆に怖い。
「約束してくれ、リト」
「……や、約束する」
何度も頷く僕を見てキトが顔を綻ばせた。さっきの様な雰囲気はどこにもなくて僕はほっと息を吐いてスプーンを手にとった。
***
昨日のうちに纏めた荷物を肩に掛ける。キトは僕の鞄よりも大きな背中に背負う革の鞄だ。その中にはナーゼ砦で売れる物も入ってるし、薬や携帯食料、衣類に鍋や木の食器とかも入っている。僕の肩掛け鞄には僕の服と少しの薬と食料だけだ。
旅の途中で体力を消耗してはいけないからってキトがほとんどの物をもってくれた。それが本当に申し訳ない。もっと体が丈夫だったらキトの負担も減るのに……。
「キト大丈夫? 重くない?」
「大丈夫だ。それよりリト全部鞄に入れたか?」
「入れたよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「よし、じゃぁ鞄の中身の確認だ」
そう言ってキトが次々鞄の中に入ってる物を声に出して上げていく。僕は鞄の中を見ながら確認していった。そして食料のところでキトが言葉を止めて僕の後ろにあるだろう机を見ていた。
「リト、その机の上の干し肉はなんだ?」
そーっと後ろを見ると小さな麻袋が机の上に置いてあった。
「あ……」
「あ、じゃないだろ。まったく……」
ブツブツ言いながらキトが僕の鞄に干し肉の入った麻袋を入れてくれた。
「マントを装着したら出よう」
玄関脇に置いてあったクリーム色のマントを僕に着けてキトが僕の頭をくしゃりと撫でる。
「防具のサイズもあってるようだな。リト、ナーゼ砦についたらマントについてるフードを被るんだぞ」
「うん」
玄関で匂い消しを体全体に塗り、魔弓を背中の金具に装着し、魔物避けの香木を持つとキトの後ろから外に出て僕は息を吸い込んだ。
これから北に向かって僕達は旅をする。魔物の跋扈するこの世の中が危険なのは承知だけど、それでも僕は村人を助けたい。
はっきり言って出たことのない外の世界は怖い。だけど、今まで育ててきてくれた村の皆がどんな目にあってるか分からない中で待っているだけなのは嫌だった。
「さぁ行こう」
差し出されたキトの手を取り、僕は村を見渡した。
静寂だけが広がる村はいつもの様に見える。だけど、皆が出す音が無いのが寂しい。
いつかこの村に帰ってきます。だから風の精霊様、それまでこの村をお守り下さい。
南から吹いた風が北へと指し示すように僕の頬を撫ぜていく。それはまるで風の精霊様が答えてくれてるようだった。
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