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3章 1話 暗躍する者

 赤い絨毯が敷きつめられた広い部屋の玉座に座っている男は、グラスを片手に持ち足元にいる白い髪を撫でて指を絡めた後その者の前に手を差し出した。手を差し出された者は赤い舌を出して男の手をチロリと舐める。  卑猥な舐め方にくすりと笑うと男は目の前にいる男に顔を向けた。 「イル()、伝令の者より連絡が届いております」 「ほう、で?」 「伝令の報告によりますと、ヴィヌワとキャリロの者数名がナーゼ砦から旅立った、と」 「ふむ、目指す場所は分かっているか?」 「こちらを目指している、との事です」 「プゥレ(戦士長)よ、その者達が渓谷に入り次第迎えをよこせ。着いたら丁重にもてなすのも忘れるでないぞ」 「はっ」  気だるげに男が手を振るとプゥレと呼ばれた男は踵を返して部屋を出ていった。扉がバタンと音を立てて閉まった瞬間イルが忌々しげに顔を顰める。 「ふん、狸が。余が知らぬと思うておるのか」  バキリと音がしてイルが手を見るとグラスが割れ血が一筋垂れている。   「まぁいい。いくら奴が暗躍したところで腑抜けどもを止める(すべ)なぞ無い。ヴィヌワもキャリロも余の物だ」  イルは足元で発情している白い髪の男に手を伸ばす。起こした体からは得もいえぬ程の芳香が立ち上る。甘い甘い蜜の匂い。イルは白い髪の男の項の香りを肺いっぱいに吸い込むとニタリと笑って舌を這わせた。 ***  玉座の間を出たプゥレが長い廊下を急かされる様に歩く。コツコツと足音をさせて自室に入ったとたんカタンと部屋の隅で音がした。 「プゥレ」 「おお、俺のグェル(戦士)」  姿を現したのはプゥレが最も信頼する自分だけの部下。金色の髪は目元を隠し容貌を見ることは適わないが、その手で何人も屠ってきた(つわもの)だ。  部屋の真ん中まで来るとプゥレは椅子に座って、机を挟んだ向かいの椅子にグェルにも座るように促す。 「グェル、首尾は?」 「だいたいは整いつつあります。ですが……」 「なんだ」 「アロ・イル(黒の王)がまだ……」 「くそっ どいつもこいつもッ!」 「プゥレよどうかお静まりください、勝機は時機に」  立ち上がった時に倒れた椅子を蹴り目の前の机を殴る。それでも怒りが収まらず、近くにあった壷に挿してある花を引き抜くとそれでグェルを数回叩いた。  ぜーぜーと息を吐き整え、プゥレが椅子を直して座る。 「この辺鄙な土地にきて二十年だ。我慢に我慢を重ねたがもう無理だ」 「今しばらく、今しばらくお待ち下さい、プゥレ」 「後どの位待てばいい。草原が恋しい、グェル」  まだプゥレがグェルだった時、先代のオロ・イル(金の王)に言われるがままに領土を拡大させたのだが、待っていたのはオロ・リオネラ(金獅子)の終わりだった。  若きアロ・イルとの戦いに敗れ草原を追われ、乾いた土地と水のない荒野に来たのは二十年前。果ての無い飢えと喉の渇き、生きてきてこれほどの苦汁を舐めた事があっただろうか。  先代のイルが死に、次こそ自分がイルになれると思ったのもつかの間、イルの子であった若造にこてんぱんにやられ、イルの座はヴィヌワとキャリロに現を抜かす色狂いが就いた。  自分がイルになったあかつきにはアロ・イルと講和条約を締結し、草原に帰郷するつもりだったのにだ。    苦節二十年。渇望していた帰郷は突然のアロ・イルの密偵によってもたらされた。  曰く(いわく)、自軍の下につくのならば帰郷させてやる、と。それはオロ・リオネラを裏切れと言う事だ。  だがプゥレはその言葉に即座に肯定した。草原に帰れるのであれば何でもする。アロ・イルにそう誓ったのだ。なのに、アロ・イルはまだこちらに向かってもいないらしい。  軍のグェルの中で信頼出来る者だけを動かし、今にでも反旗を翻す事が出来ると言うのに……。  同種族(オロ・リオネラ)に卑怯者と言われようが、裏切り者と言われようが、矜持無き者と言われようが、そんなものはどうでもいい。願いはただ一つ。草原への帰郷である。  やっと掴んだ幸運を見す見す逃す様なことはしない。 「帰ろう、グェル」 「はい、絶対に。プゥレ」  プゥレが睨みつける様に開いている窓を見る。窓には冷たく見える月が浮かんでいた。   *** 「ねぇ、本当にアレを僕にくれるんだろうね?」  音を立てず玉座に座るイルの前に立ったのは、幼さを思わせる顔立ちのブロ・リオネラ(白獅子)だった。他のリオネラよりも体が細く、肩より下に伸ばした白い髪は手入れがされているのか煌めいている。その顔は華やかでいてどこか淫靡だ。 「ふんっ お前か。アレをやるのはお前の働き次第だ」 「苦労してアレを追ってここまで来たんだから、契約破棄なんて今更しないでね。でないと僕、何をするか分からないから」  それだけ言い残して去っていく背中を見ながらイルが舌打ちをした。 「同性喰らいが! 忌々しいッ」  キャリロやヴィヌワを思わせるほどの美貌を持ち合わせながら、同性を好んで慰み者にする加虐趣味の変態だ。  だが、その力は侮れない。体が小さくてもリオネラはリオネラなのだ。剛腕と俊敏な脚力。下手に手を出せば負かされて自分が慰み者にされるだけだ。  今度の慰み者は自分では無いからどうでもいいが。 「この楽園を壊させはしない。絶対に。絶対に、な」  自分の思い描いている楽園が、今、完成しつつある。誰にも邪魔されたくないと念には念を入れたのだ。  契約は間違いではない。ブロ()はきっと楽園を守る要になる。  イルはひそりほくそ笑むと情事後で気だるい体を立たせ玉座の間を後にした。  

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