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2章 7話 力が弱い、それがヴィヌワ
お腹がいっぱいになり俺の膝を枕に寝てしまったリトの額に触れる。
どうやら熱は出ていないようだ。そのままその手でリトの頭を撫で顔に掛かっている髪を払いのける。くすぐったかったのかリトが寝ながらくすくすと笑った。
「ふふ よく寝てるわね。それにしてもこの子本当に十五歳?」
ヨハナの言葉に顔を上げ俺は頷いた。
「リトは産まれた時小さかったし、体が弱かったのもあって小食なんだ」
「そう。あたし十歳位かと思ってたわ。ベーナの十歳がちょうどリトちゃん位だもの」
「ベーナの十歳とヴィヌワの十歳を一緒にするな。ヴィヌワの十歳はリトよりもだいぶ小さい。今の背では十二歳と言われてもおかしくない見た目だけどな」
「さて」と言ったヨハナがさっき俺がつき返した冊子と本を俺の目の前に置いた。
「これはナーゼ砦に住むなら必要なものだから持っていてね。身分証はいつでも提示できるように肌身離さず持っててちょうだい。ま、ポケットに入る大きさだからポケットにでも入れて。紙だけど特殊な樹脂でコーティングしてあるから濡れても大丈夫よ」
「分かった」
俺とリトの身分証をポケットに入れ、黄色の表紙の本を手に取りぱらぱらと捲る。そこに書いてあるのは砦の事だった。さっきヨハナが言ったように調査隊が何をする機関なのかも詳しく載っているし、他には調査隊以外の隊や町の要所が掲載されている。俺は後で読むかとテーブルの上に置かれてある本を鞄にしまう。
「貴方達にはヴィヌワ保護区の居住地に住んで貰う事になっているわ。ただし、ここの住人としてずっと住むと言うなら違う場所に住むことも出来るけど?」
「山の安全が分かったら俺達は山に帰る」
「そ。居住地には後で案内するわ。で、貴方にもリトちゃんにも一人から二人の護衛が付くことになるの」
「必要無い。自分の身は自分で守れるしリトは俺が守る」
一瞬顔を顰めたヨハナが立ち上がり俺の座っている椅子の後ろに立つと羽交い絞めにしてきた。ヨハナの人を安心させる雰囲気に油断していた俺が悪い。リトを起こすのが忍びなく、羽交い絞めにされたままになっているとヨハナが項に息を吹きかけてきた。
「何をする!」
「逃れるものなら逃れてみなさい。女だと思って油断しているからこうなるの」
女ではないだろう! このバカ力!
「ほらほら本気にならないとこのまま項を噛んでしまうわよ。ヴィヌワは伴侶になるまでここを噛ませてはいけないんでしょう? どうしたの? 力が入って無いわよ」
ばたばた暴れるのに振り解くことも出来ずにいるとヨハナが俺の項をちろりと舐めた。腕を振り回し頭を叩くが力が緩む気配もない。ねっとりと舐められて怖気立ち頬に雫が零れた。
「あ、やだぁっ やめろ」
「ふふ イイ声出すじゃない」
もうだめだと思ってぎゅっと目を瞑った瞬間
「痛い! 痛いじゃない! リトちゃんやめなさい!」
「にぃちゃをいじめるな! はなせ! なんでこんな事するの! ひどい!」
少しヨハナの腕が緩みリトの威嚇音と荒げた声が聞こえてきた。そっと目をあけて見るとリトが自分の小さな鞄を持って椅子に立ちヨハナを殴りつけている姿があった。
「ちょっと! その鞄何入れてるの! 何か当たって痛いじゃない!」
「にぃちゃが襲ってくるやつはこの鞄で叩いていいって言ってた! だから小さく削った石膏ポケットに入れてる!」
「なんてもの入れてるのよ! いいからやめなさい!」
「やめない! にぃちゃをはなせ!」
段々と緩んできた力に抜け出せると思った時、ヨハナが「うぐっ」と言って地面に倒れこんだ。蹲ってあらぬ所を押さえていることから、リトが振り回していた鞄が当たってしまったのだろう。
「やった! やっつけた!」
喜んでいたのは一瞬ではっとした顔をしたリトが俺を覗き込んでくる。
「にいちゃ、大丈夫? 怪我はない?」
「大丈夫だ。リト、よくやった」
頭を撫でて褒めてやると「えへへ」と照れたように笑った。
***
「まったく……酷い目にあったわ」
まだ腰を叩いているヨハナがぽつりと呟いた。
「ヨハナさんが悪いんだよ。キトにあんなことするんだもん。キト泣いてたから僕びっくりして……」
そう言ってぷいっと顔を横に向けてしまった。
起きたら俺が襲われているのを見て怖かったのだろう。俺は村で一番強いと言われているヴィヌワだ。そのヴィヌワがいとも簡単に捕まり解けずに涙を零している姿を見たら尚更。リトの白く長い耳はぺたりと後ろに寝てしまっているし、抱きついて俺の服を掴んでいる手は震えている。
俺はリトの気持ちを落ち着かせる為にその背を撫でた。
「ヴィヌワの項は大事なとこなの。勝手に噛んでいいところじゃない」
「そうね、あたしが悪かったわ。キトちゃんリトちゃん、ごめんなさい。だけど、ベーナだって項は大事よ?」
ヨハナに顔を向けて驚いているリトを見て溜息を吐きたくなった。一応ヴィヌワ以外の種族の事もある程度は教えているのに……。ヴィヌワはヴィヌワ以外と番になってはいけないと掟にあるからきちんと聞いていなかったのかもしれない。
「リト、前にも教えただろ? 獣人はお互いの項を噛んで番になるんだと」
「発情期中にお互いの項や首筋を噛んで番になる、が正解ね」
「あ、そうだった……」
「それより」と言ったヨハナの言葉に俺もリトも背筋を伸ばした。
「さっきので分かったと思うけど、ヴィヌワの力は弱いの。それこそ、ベーナの女の力に負ける位にはね。この砦にはベーナだけではなく、他の種族もいる。だからいくら自分で身を守れると言っても限界がある。貴方達が住むヴィヌワ保護区の中はヴィヌワと警備をしている番持ちしかいないから護衛はいらないけど、買い物をする時とか山や草原に採取に行くときは中央通りまで出ないといけないから護衛はいるの」
「中央通り?」
「門を入ってすぐの大きな道よ」
「世の中良い人ばかりではないわ。あたし達ベーナの中にも犯罪者はいるの。だから力の弱い種族には護衛が付くことになってる。人選は任せてちょうだい。あ、護衛向きの知り合いがいるならその人でもいいわ」
リトが何を思ったのかヨハナを指差した。
「あたし?」
「だめなの?」
「あたしを選んでくれたのは嬉しいけど、あたしは無理ね。調査隊の仕事で他のところに行くことが多いし……」
「リト、無理を言っては駄目だ」
耳を寝かせてしゅんとしてしまったリトを見てヨハナが気の毒そうに見ているが、ヨハナにはヨハナの仕事がある。
「んん~~~~、なるべく貴方達の傍にいる事にするわ。だけど出張の無い日になるからあまり傍にいることは出来ない。あたしだけでは足りないからベーナからはあたしと他に一人ついてもらうわ。後は、ルピド族ね」
「ルピドだと!? それこそ危険だろう!」
「……ルピド」
ルピドは俺達ヴィヌワを巣に連れ込み陵辱するような連中だ! そんな相手が護衛など!
威嚇音を出した俺を見てはぁと大きく息を吐いたヨハナがやれやれといった感じに首を横にふる。
「あのね、貴方達が何を聞いて育ったか知らないけど、ルピド程護衛に相応しい種族はいないわ」
「うそだ! おじいさんが言ってたよ。ルピドやリオネラは巣に連れ込んでヴィヌワを産み腹にするって!」
「リオネラは自由奔放な人が多いからなんとも言えないけど、ルピドは真面目で誠実よ。そこにいて動かないのが任務だって言われたら何を言われようと動かないし、自分の主だと定めた人は絶対に裏切らない」
「そんなの分かるものか!」
「なんで貴方達ヴィヌワは皆が皆そろってそうなのよ。……でも、この砦に住むのなら他の種族にも慣れてもらわなくては駄目なの。兎に角、人選はこちらに任せてちょうだい」
この話はこれで終わりだと言うヨハナの雰囲気に俺もリトもただ頷くしかなかった。
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