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2章 17話 気になる存在

 翌日の夕方。僕とキトは調査隊詰め所に来ていた。  昨日僕達が帰った後にもう一人の護衛の人が決まったらしい。香茶をテーブルの上に置きヨハナさんが別室にいるルピドの人を連れてくると言って応接室を出て行った。  テーブルの上には置いていかれた香茶と読んで欲しいと言われた書類。  キトが香茶を飲みながら書類に目を通し、僕はその隣に座りキトから廻された書類に目を通していた。だけど、そわそわしてなんだか落ち着かない。  どこからか香ってくる百合の匂い。 「リト、この書類どう思う?」 「どうって……」  僕の間の抜けたような返事にキトが片眉を上げて溜息を吐いた。 「どうした? リト。昨日から変だぞ?」 「何でもないよ」 「耳がそわそわ動いて落ち着いていないし、尻尾がわさわさと揺れているぞ? 何かあるのなら今のうちに話しておいてくれ」  どう言えばいいか僕にも分からない。言葉に出来ない感情をどう表現していいのか。なのにこの百合の香りを嗅いだだけで安心するし嬉しいと思ってしまう。 「僕にも分からないよ、キト」 「はぁ……まぁいい。この書類にしっかりと目を通しておきなさい」  僕の背中をぽんと優しく叩いたキトが書類に目を向けた。 ***  ノックの音がして顔を上げる。応接室に入ってきたのはヨハナさんとセレンさんとトールさん。そして昨日少しだけ顔を見たシヴァと呼ばれたジェン・ルピド。  あまりの美しさに僕は頬を染めてシヴァさんを見てしまう。 「月狼団の人はそこのソファーに座ってちょうだい」  ヨハナさんに言われた三人が僕とキトの向かいのソファーに座る。 「昨日の今日で呼び出して申し訳ない。護衛をすることになったシヴァとトールだ」 「初めまして。月狼団の副団長をしております、シヴァと申します。よろしくお願いします」 「うぃーっす。くっすー」 「トール」 「トールっす! よろしくっす!」    セレンさんの顰め面を見たキトがトールさんを見ながらくすくすと笑った。 「俺はワ村のキト。こっちは弟のリト」 「リトです! よろしくお願いします!」  勝手に出てしまった大きな声に僕は手で口を覆った。子供みたいな行動に、恥ずかしくなる。  真っ赤になった顔を見られたくなくて俯いたらくすくすと笑う声が聞こえてきた。笑い声の主は微笑みを絶やさないシヴァさんで。 「元気ですね」  更に目を細めたシヴァさんにそんな事を言われて僕はもっと恥ずかしくなった。 「リト、元気をアピールするのはいいが、書類に目を通したのか?」 「あ……」  キトに言われてテーブルに置いた書類を慌てて手に取る。横を見るとむすっとした顔のキトが見えた。 「聞きたい事があるからリトはそれに目を通しておきなさい」 「……はい」  手に持った書類に目を移す。だけどどうしてもシヴァさんが気になってちらちらと見てしまう。昨日からずっと気になっていたこの百合の香り。どこかで嗅いだはずなのに、どこで嗅いだ香りなのか思い出せなくてなんだか悔しい。忘れてはいけない匂いな気がするのに……。 「ヨハナ、この書類は護衛契約に関するものではないのか?」  キトのその言葉にぽーっと見ていたシヴァさんから目を離し慌てて書類に目を向ける。難しい言い回しやまだ見たことのない文字で書いてあるその書類は僕には理解できない。けれど、なんとなく護衛の事に関して書いてあるのは分かる。 「そうね、護衛契約の書類よ。それは種族存続機関と月狼団が交わした契約書。そこに書いてある金銭は貴方達の負担にならないからそこは安心してちょうだい。一番重要なのは月狼団が誰を護衛するか、と言う事なの」 「ユシュの名前は無いようだが?」 「ユシュは種族存続機関第一兵団からの出向扱いになるから護衛契約を交わすことはないわ」 「期間は未定と書いてあるが?」 「貴方達が山に帰れるのはいつになるか分からないでしょ? だから未定」 「山に帰れるまで護衛がつくのか?」 「当たり前でしょ? いい? 前に言ったけど、あたしのように常識人で良い人ばかりではないの。犯罪を取り締まる警備隊がいると言っても絶対に安全ではない。だから万全を期す必要があるの」  そこまで聞いてキトが書類に目を戻した。  僕はどうしてもシヴァさんの事が気になって書類を見る振りをしながら、シヴァさんを見ていた。僕と目があえばにこりと微笑んでくれる。シヴァさんみたいに凛々しくてこんなに綺麗な人、村の中でも見たことない。それに―― 「シヴァさんの香りとてもいい匂い」 「リト」  慌てて口を押さえたけど遅かった。キトの低い声にびくりとしてそっと目だけでキトの顔を見る。そこには眉間に皺を寄せ怒った顔をしたキトがいた。 「他者の匂いを嗅いではいけないと言っているだろう? その香りは番以外が嗅いでは駄目な香りだ」 「でも……本当に……」 「リト」 「…………ごめんなさい」  キトの大きなため息が聞こえてきて僕の目に涙が貯まっていく。 「リト」  優しいキトの声にそっと仰ぎ見るとキトが僕の耳の付け根をこしょこしょと擽り頭を撫でた。 「何が不安だ? 護衛がつくのが不安か? 初めて見た他種族は怖いかもしれない。だけどな、砦にいるのならば慣れなくてはいけない。それは、分かるだろ?」 「ち、違うよ、キト。僕怖くない。セレンさんもトールさんもシヴァさんも優しそうだし、ヨハナさんもユシュさんも優しい」 「でも気になる事があるんじゃないのか?」  気になるのは気になる。特にシヴァさんが。  でも何故こんなにシヴァさんの事が気になっているのかすらも分からない。ちらっとシヴァさんを見るとふわりと微笑んだ。その笑顔にどきっとして慌ててキトに顔を向ける。 「わ、分かんないよ、キト」 「何が気になるのか分からないのか?」  こくりと頷いた僕を見たキトが「まいったな」と言うと困ったように眉を寄せた。 「とりあえず、護衛は彼らで大丈夫そうか? リト、大丈夫でないなら変えてもらうが?」 「大丈夫!」 「ならいいが。もうシヴァの香りを嗅いでは駄目だぞ? シヴァの番に対して失礼だろう?」  シヴァさんに番……?  なんだろう。なんだかもやっとする。 「私の香りならいくらでも嗅いでかまいませんよ。番はいませんから。それにいい香りと言われることは嬉しいことです」 「だがな……」 「嗅いではいけないと言うのはヴィヌワの掟ですか?」 「いや、ヴィヌワの掟にそういうものはないが、失礼に値することだろう?」  キトの言葉にセレンさんとシヴァさんが顔を見合わせ再度顔を僕達に向けた。 「そうなると我らルピドはいつも失礼な事をしていることになるが……」 「いつも?」 「俺達ルピドは鼻がいいっす。だから嫌でも嗅いでしまうんっすよ。こうやって近くにいるだけで匂いが分かるっす」 「匂いを遮断しようと思えば出来ますけど」  「ふむ」と頷いたキトが顎に手をやった。 「ヴィヌワの耳と同じか。我らヴィヌワは半径二キロ以内の音は拾ってしまうからな」 「それキトだけだよ」  え? と言う顔をしたキトが僕を見たけど、普通のヴィヌワはキトみたいな事は出来ない。せいぜい聞こえても一キロ以内だ。 「ま、まぁ、護衛は彼らで大丈夫なんだな? リト」 「うん」 「では、シヴァ、トール。これからよろしく」 「よろしくおねがします!」  頭を下げたキトに続いて僕も頭を下げた。頭を下げながら僕はシヴァさんに番がいないことにほっとしていた。

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