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2章 22話 運命との邂逅

 読んでいた書類から目を離して眉間を揉む。  ヴィヌワ保護区に住み始めてからこれまで、決めることがいっぱいで大変だと言うのに、薬師のばーさんから出された書類を見て俺はため息を吐いた。 「キト様、少し休憩されてはいかかですか?」 「そうするか」 「花茶を淹れてまいります」 「コーヒーが飲みたい」 「この時間に飲まれると寝れなくなってしまいますよ」  ジトがキッチンに行く背を見て壁に掛けてある時計を見れば夜の十時になろうとしている。  「もうこんな時間か。やることが多すぎるのも困りものだな」  俺の近くで細々としたものを整理していたヨトが時計を見ると椅子から立ち上がった。 「キト様、リト様の様子を見て参ります」 「ああ、そうだな。今日の帰り疲れているようだったしな。熱が出ているようだったら熱さましの丸薬を飲ませてやってくれ」 「分かりました」  ヨトがリビングを出て行くのを見て先ほど見ていた書類を手に取り、傍らに置いてある砦の法律の本をぱらぱらと捲る。   「キト様、休憩してください」  花茶の入ったカップを机の上に置いたジトに書類と本を取り上げられた。 「キト様! 大変です! 来てください!」  ヨトの焦ったような大きな声にジトと目を合わせると首を傾げる。 「リト様が! リト様が!」  その言葉に慌てて俺はリトの部屋に急いだ。  寝具に寝ているリトの顔を覗き込む。ただ寝ているだけのようにしか見えないのに、リトが吐く息はとても細い。 「なんだ? どうした? リト」  触れた指先は冷たい。布団を捲りリトを抱き起こして揺らすも起きる様子が無い。毛布でリトを包み他に触れてみるが触れた箇所はどこも冷たい。 「ヨト、薬師のばーさんを呼んでくれ! ジト、俺の部屋から毛布を!」 「すぐ行ってまいります!」  ヨトがバタンと音をさせて出て行きリトの手首の脈を測ったジトがそそくさと部屋を出ていった。 「キト様、毛布です」  ジトが持ってきた毛布でリトを包み熱を与える為に毛布の上からリトを抱きしめるとぶつぶつと何かいいながら薬師のばーさんが部屋に入ってきた。ばーさんの後ろには青い顔をしたヨトがいる。 「まったく、人が眠ろうとしとった時に……。また熱をだしたのかね? 最近は熱は出てないから健康になったとリト様も喜んどったのに」  ばーさんか寝具の上にいる俺を見るとリトの首に手で触れる。 「ふむ。まるで死人のようじゃの」 「ばーさんやめてくれ、こんな時に冗談を言うのは」 「冗談じゃないわい。この子は死に近づいておる」  リトの腕を取り脈を計って指で目を開けリトの目を見るとばーさんが俺に顔を向けた。 「いつからこうなったか分かるかの? キト様」 「分からない。ジト、リトが部屋に戻ると言った時間を覚えているか?」 「確か……八時頃だったかと」 「ふむ」  じっとリトを見つめ不意にばーさんが顔を上げた。 「薬を飲ませても治りはせんぞ。この病は薬ではどうしようもないからの」 「薬でどうにもならない? リトは……リトはどうなる!」 「稀にじゃがの、この病に罹ってしまう者がおる。そう言う者はだいたいこうなってしまうの」 「どうすれば治る、ばーさん」 「簡単じゃよ、運命の番に会わせる。それだけじゃ」 「……運命の番……?」 「そうじゃろ? ジト」  ジトに顔を向けるとジトは顔を青くさせ、体を震わせていた。 「これはどう見てもユト様の時のようじゃろ? のぉ? ジト」 「父さんがどうした」 「ユト様が奥方様と出会った際、ヴァロではないからとユト様と奥方様をわし等で引き裂いたのです。その夜、ユト様のご様子が今のリト様みたいに……」  父さんと母さん? 二人は運命の番でヴァロとヴィアで番ったヴィヌワだ。  運命の番は奇跡を起こすと言われている。だからこそ、ヴァロとヴィアでも番になれたのだと父さんから聞いた。父さんと母さんの仲を引き裂いたなんて聞いてない。   「……なんて……なんてことを……」  そんな事をすれば引き裂かれた運命の番は死んでしまう。  家の書庫に置かれていた古い文献に載っていた。神が定めし魂の絆は無理に離せば生きる気力を失い、狂い死ぬか衰弱して死ぬかのどちらかだと。運命の番の絆はそれほど強力なのだ。 「そんな事をすれば死んでしまうだろう! 書庫の文献に書いてあっただろう! ジト!」 「わしらも半信半疑だったのです! 運命の番など我々ヴィヌワの中では見たことなかったのですから! だから掟に従い我々はユト様と奥方様を……」 「言い合いをしとる場合じゃないじゃろが! 今はリト様じゃ! キト様、あんたリト様の運命の番に心当たりは無いのかの?」  ああ、そうだ。今はそんな事を言い争ってる場合ではない。   「心当たりと言われても……」  青白い顔で眠るリトの顔を見たまま首を横に振ると静かに佇んでいたヨトが「あの」と声を上げた。 「リト様がキノリ採りから帰る途中とても沈んでいた様に思います。それに、ここのところ顔を伏せておられる事が多く、気分でも悪いのかと思いお加減を何度もお聞きしたのですが、大丈夫だの一点張りで……」  そういえば、ここのところリトの様子がおかしかった。顔を伏せたかと思ったら静かに涙を流す。感情を隠すことも出来ず素直なこの子の言葉通りに捉えていた。悩みがあるのかと聞いても分からないと言うばかりで…… 「!」  リトの相手はヴァロ以外? もしくはヴィヌワ以外なのではないのか? だからリトは言わなかった? いや、言わなかったのではない、言えなかったのだ。子供の時から教え続けた掟を守ったからこそ言えなかったのだ。だから自ら拒絶した……? 「……あぁ、リト……」 「キト様、どうにかなりませんか? このままではリト様が死んでしまいます!」 「分かっている! 少し黙っていてくれ!」  焦ったように怒声を上げたジトを一喝しリトの顔を見、頬を撫でる。  お前の運命の番は誰だ? リト、俺に教えてくれ。 『ここで見ても分かりません。降りますよ』  微かに香ったリトのフェロモンの香りを嗅いだ瞬間一つの声が頭の中に響いた。  どこかで聞いた事のある声だと思っていた。あれは、あの声は…… 『初めまして。月狼団の副団長をしております、シヴァと申します。よろしくおねがいします』  シヴァの声。  ずっとずっと、おかしいと思っていた。村からここに来る道中も、来てからのリトの体調も、ワ村の皆がリトは健康になったと喜んでいた。成人の儀で元気になったのだとリトが言っていたが、あれはただの祝い事にすぎない。運命の番は奇跡をも起こすと言う。それが、リトの体調を好転させたのではないのか?   それに、リトのシヴァに対する態度。頻りにシヴァの香りを気にする様。頬を染めてシヴァを見つめるリトの瞳の中に見た、恋うるような眼差し。ヴィヌワでも見ぬ程の美貌を持つシヴァに対してリトがそう言う気持ちを胸に抱いても仕方ないと思っていた。その気持ちが大きくなるようならばヴィヌワとして注意を促そうとした矢先の今回の出来事。ここのところ沈んだ感じに見えたのはリトが自分の運命の番と決別を決めたから……  考えれば考える程、全てが符合する。 「……あの時……」  運命の番は出会った瞬間に発情しお互いを求めあうと聞いたことがある。あの声を聞いてからリトの発情期がきた。あの時のリトの発情期が普通と違ったのは、リトが本能的に運命の番に気づいていたからではないか? 精神的な疲れからによる熱ではなかったのだ。  あれが、リトの、運命との出会い。 「そうだ。そうに違いない」 「キト様、分かったのですか?」  ごくりと唾を飲み込んだジトに俺は目を見て告げた。

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