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2章 23話 決断

「シヴァだ」  顔を上げてジトに告げるとジトは青い顔を更に青くさせ拳をぎゅっと握った。 「シヴァさんはルピドではありませんか!」 「そうだ」 「ルピド、ルピドなぞ!」 「ではどうする? このままリトを死なせるか?」 「……そ、それは……」  死なせはしない。  俺がこの手でリトをここまで育ててきたんだ。  小さく産まれたリトは体が弱く、乳の変わりに栄養価の高い果実水を飲ませてもあまり飲まず、飲んでもすぐに吐き戻す。根気強く飲ませてやり、夜鳴きの酷いこの子を度々起きてあやして寝かせた。歩き始めるのも遅く、体力もあまり無く熱をすぐに出す。そんなリトを育ててきたのは俺だ。精神的に幼いこの子をずっと傍で支えてきた。十五になって俺と一緒に狩に行くと言われた時、本当は嬉しかった。  俺の様にではなく、リトには幸せになって欲しい。  「リトはシヴァと番わせる」 「掟を破ってはなりません! キト様!」  掟? 掟が俺達に何をしてくれる?  ヴィヌワの歴史書だって、掟と言われるもの全て、我等ヴィヌワを裏切っているではないか!  ヴィヌワの人数が減ってきた要因は魔物のせいもあるかもしれないが、服用している発情を抑える薬にある。純血種? それがなんだ。ベーナの学者と言われている者達の研究ではそんなものは関係ないと図書館の本に載っていた。ヴィアとヴァロの間に産まれた俺とリトがそれを証明している。  ヴィヌワの子供の育てかたも常々おかしいと思ってきた。弱体しつつあるヴィヌワの未来を憂いて模索してきたのに、我らの祖が決めた掟は我らヴィヌワを裏切っていたのだ! 「リトの命と掟、どちらをとる!」 「掟は大切なものです! キト様!」 「そんなもの! くそっくらいだッ!」 「なんて事を言うのです! キト様!」 「ばーさんが提出した書類を見たか! 抑制の薬はその副作用で子供を産む事ができなくなるからとナーゼ砦では使用を禁止されていると書いてある! それを見てそんな事を言うのか!」 「……っ」  リトを抱え直し立ち上がる。運命の番が分かったのだ。こうしてはいられない。 「キト様! どちらに!」 「シヴァのところだ」 「お待ち下さい! キト様!」  ジトのがなり声を無視して俺は窓に手をかけガタガタと音をさせ窓を開けようとした時、ジトが俺の腰を掴んだ。 「離せジト!」 「行かせません! ヨト! キト様を押さえるのを手伝ってくれ!」  つかつかと進み出てきたヨトに威嚇音を放つ。 「キト様」 『ヴヴヴ』  俺の見ている目の前でヨトがジトを羽交い絞めにし俺からジトを遠ざけた。 「行ってください、キト様。我らヴィヌワの神子を、どうか、どうかお守り下さい。風守(かぜもり)様」 「ヨト!」 「風守様のご決断に逆らってはいけません。ジト様」  言い合いを始めた二人を尻目に俺は窓に手を掛けると夜の保護区に飛び出した。  ***  私の目の前に置いたグラスに酒を継ぎ足しはぁとため息を吐いたハナナさんが自分のグラスに酒を注ぎいれる。 「で? どうするの? その子を攫って番にするって言うんだったら協力するよ?」  ハナナさんが何食わぬ顔で言った言葉に私は目を見開いた。 「だってそうでもしないと番えないよ?」  そんな事が出来たらどんなにいいだろう。だけど、キトさんとリトさんの絆は兄弟と言うよりも親子のようだ。キトさんの慈しむようなあの目。あのような目を私は見たことが無い。”あの兄弟の絆はあたし達が思っているようりも深そうだもの”ヨハナが言った言葉は間違いではなかった。  この何日かどうにかリトさんに気づいて欲しくて色々やっていたけど、リトさんが頼るのはいつもキトさんだった。リトさん自身、私が運命の番だと気づいたのもきっと最近だろう。  ここまで二人の絆が強いとは思っていなかった。 「あの二人を離すことは私には出来そうにありません」  呟き持っているグラスを傾げ酒を喉奥に入れる。喉の奥を焼くような熱さの酒に噎せそうになったがどうにか耐えた。 「二人? その子、番ってるの?」 「番ではない。二人は兄弟だ。ハナナ」 「そうなんだ。じゃぁ、シヴァ君、何をそんなに躊躇う必要があるの?」 「私は……私は彼の傍にいれるだけでいいんです。リトさんの傍に……」 「リト? どっかで聞いた事のある名前だな。……まぁ、いっか」  「あのね」と言ったハナナさんが私の持っているグラスを取り上げた。 「君、そのままだと死ぬよ?」 「え?」 「運命の番の絆って言うのは思っている以上にやっかいなものでね、片割れが事故や病気で死んでしまったら後を追うようにして衰弱して死ぬか狂って死ぬ。拒絶してもされても同じだよ。シヴァ君、今の自分の顔色分かってる?」  私が死ぬ?  呆ける私の目の前にハナナさんが鏡を突きつけた。鏡に映っている私の顔はまるで死人の様に青白い。 「ほらね、君の手も冷たい」  私の手をとったハナナさんがそのまま摩る。  死ぬ?  「それも、いいかもしれません」  どうせ今世では番えないのだ。運命の番は古より結ばれし絆であり魂の奥深くに刻まれているもの。ならば来世で。 「馬鹿を言うんじゃないの。いい? 今のその感情は相手の感情に流されてるだけ。気を確かに持つんだ。相手の感情に流されてはいけない」 「この気持ちは私のものではない、と言うことですか?」 「運命の番ってどこにいても遠くに離れていてもその感情だけは届くんだ。本当に、やっかいだよ」  ちらっと団長を見たハナナさんが大きくため息を吐く。 「ちょっと、嫉妬するのやめてくれる? セレン」 「ハナナが手を離せばいいことだ」  そっと手を離して「僕の手も冷たくなっちゃった」と言って自分の手を摩るとハナナさんが私に顔を向け瞬きをした。 「……リト。どっかで聞いたことあると思った。キト君ってお兄さんいない?」 「いますが」 「やっぱり。僕がまだニナ村に住んでた時によくキト君が行商で来ていてね、仲良くなって話している時にその名前が何度も出てきてた」  頭を掻き毟ったハナナさんが「まいったな」と呟きしかめ面をした。 「キト君、耳がすごくいいし跳躍力もすごいんだ。これでは、リト君を攫っても逃げる事が出来ない」 「いいんです。ハナナさん、その気持ちだけでも」 「だめだよ。何もしてないのに諦めちゃだめ。何か考えないと」  ハナナさんは本当にいい人だ。私達月狼団の為によくしてくれている。酒場を経営しながら団長の書類整理なども手伝い、細やかなところに気がつき手配をしてくれる。月狼団の中にはまだ十五になったばかりの若い者がいる。その者達には父親のように接する。月狼団にはなくてはならない人。 「我ら月狼団を囮に使うのはどうだ?」 「どう言う風に?」 「リト殿と同じ大きさのぬいぐるみか折り重ねた布を用意して匂いをつける。布ではだめか……リト殿の匂いをハナナ、お前につけてお前を抱えた私が逃げる。シヴァはリト殿を抱えて逃げる。そうしたらどちらが本物のリト殿か分からないだろ?」 「それ、だめだよ。さっき言ったでしょ? キト君は耳が良いって。ヴィヌワはルピドと違って鼻はよくないから探すとしたら匂いには頼らないよ。きっと音で探すと思う」 「そう言えば、前キトさんが言ってましたね、半径二キロの音は分かると。と言うか、攫うのは砦の法律に反します」 「合意であればいいだろう?」 「攫うと言う言葉自体が合意ではないように思えるのですが」  私の解にハナナさんが耳を寝かせて目を伏せた。 「じゃぁ、他の手を考えるしかないか」 「本当に、いいんです。ハナナさん」 「諦めちゃだめって言ってるでしょ!」  ハナナさんがカウンターをバンと叩くと同時に酒場のドアが大きな音をさせて開いた。耳を押さえそっと開いたドアを見る。 「キトさん……?」  毛布に何かを包み抱えた様子のキトさんが私の顔を見ると言った。 「お前がリトの運命の番。そうだろう? シヴァ」

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