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2章 24話 僕を呼ぶ声
大事そうに抱えている毛布から白く長い耳が見える。聞かなくても匂いで分かる。あの毛布に包まれているのはリトさんだ。甘い金木犀の香りと共に死の香りが鼻につく。
立ち上がりふらふらと近づき毛布の中を覗きこむ。案の定、青白い顔のリトさんが見えた。
「そうなんだろう? シヴァ」
「……」
「そうだと言ってくれ」
「あ……わ、私は……」
「違うのか?」
「わた……私は……」
何も言わない私に落胆したようにため息を吐くと毛布を抱えたままよろけて近くにあったスツールに座った。
欲を言えばリトさんは私の運命だと言ってしまいたい。だけど言ってしまえば私はリトさんの傍にいることも出来なくなる。それは嫌だ。ぐっと唇を噛み締め顔を俯け拳を握る。
「どうすれば……どうすればいい。このままではリトが死んでしまう」
力のない声で言ったキトさんのその言葉にちらりとキトさんを見る。毛布を抱きしめている手は震え顔は青い。
「リト君はシヴァ君の運命の番だよ」
攻めるような視線をハナナさんに向けるがハナナさんは私を見ずにその顔をずっとキトさんに向けている。
「……ハナナ……なんでお前がここに……」
「ここは僕が経営する酒場。シヴァ君はリト君の運命の番だよ。で? どうするの?」
「リトはシヴァと番わせる」
キトさんの言葉に私は自分の耳を疑った。ハナナさんもキトさんが言った言葉が信じられないのか、何度か瞬きをしている。私はハナナさんから視線をはずしキトさんを見る。眉を寄せほっとした様に息を吐くと立ち上がって私の前に立ち毛布を広げた。
「リトを、リトを助けてくれ」
懇願しぎゅっとリトさんを抱きしめ涙を一つ零した。震える手を伸ばしリトさんの頬に触れ撫でる。私の手以上に冷たいリトさんの顔。
「さぁ、抱きしめてやってくれ」
差し出されたリトさんを毛布ごと抱きしめる。
リトさんの命の灯はすでに尽きようとしていた。
***
暗く寒い平坦なところを僕は歩いていた。
目を瞑っているような感覚はないから目は開いていると思う。
『…………ん』
手はあるようだし歩いているから足だってある。
ここがどこか分からないけど、早く明るいところに出たくて僕は淡々と歩いていた。
『………………い。……さん』
立ち止まって辺りの様子を伺うけど、何かがあるようには思えない。
どこまでも続く暗闇。何も見えない、何も感じない真っ暗な世界。こんな暗くて寂しくて悲しい所、知らない。ぶるりと震えた僕に見えた一つの光。胸元で手を握り淡く光るその光に僕は歩みを再開する。
「誰かいるの? ここは暗いし寒いんだ」
光の中に誰かいるのかと声を掛けたのに、返事はない。
目的の光はまだ遠い。だけど僕は歩く、歩く、歩く。
この暗闇の中にいては駄目だと僕の本能が言っている。だからここから抜けだしたいのに、光までの距離が縮まらない。逆に遠くなっていってる気がする。
「歩いていちゃだめだ」
走ったら熱が上がるとキトに言われてたからあまり走らないようにしてたけど、僕は走る。走るのに、全く縮まらない光との距離に僕は焦った。
「待ってよ! お願い待って!」
どんどんと離れていく光に手を伸ばす。
『…とさん』
その時、どこからともなく声が聞こえてきた。
悲しげに切なく揺れるシヴァさんの声。
僕の愛しい運命の声。
『リトさん』
今度ははっきりと聞こえてきた。
「シヴァさんどこにいるの? ここは暗くて寒くて怖いよ」
立ち止まりぐるりと周りを見てシヴァさんの姿を探すけどどこにも無い。
「シヴァさ――」
『起きてください、リトさん』
声がした方向に顔を向ける。
どこまでも続く真っ暗な闇。だけどはっきりと聞こえてきた声は暗闇の方から聞こえてきた。
『起きろリト!』
キトの声も聞こえる。
起きろ、だなんて……。
僕はこうして起きている。寝具で横になって寝て起きたと思ったらここにいたんだ。
「ねぇ、二人ともどこにいるの? 姿を見せてよぉ」
泣きそうになってぎゅっと服を握る。なのに、握ったはずの手の感覚がない。さっきまで握る感触がしていたのに。はっとして足を動かしてみる。だけど地を踏む感じもしない。
こんな感覚、一度も味わったことがなくてとても怖い。
「……ふぇ……」
『リトさん』
シヴァさんの声と共に暖かい風が吹いた。その風は闇のほうに向かって吹いている。さっきまで無かった手の感覚も地を踏む感触も戻ってきている。その事に僕はほっとして周りを見渡した。
「風の精霊様?」
僕の声に答えるように風が僕の頬を撫でる。
「歩けって言ってるの?」
背中を押すように強い風が吹いて僕は闇に向かって動き始める。たたらと踏んでこけそうになったけど、風が僕の体を支えてくれる。
『リトさん』
『リト!』
僕の足が止まりそうになるたびに風が僕の背を押し頭や背中を撫ぜる。風の精霊様が傍にいる感じがして僕は安堵した。
『リトさん』
シヴァさんの優しい声に導かれるように歩いていると突然目の前が眩しくなった。目を開けている事も出来なくて腕を交差させて顔前に持ってくる。
『リト!』
僕の頭に浮かんだシヴァさんとキトの顔。二人とも眉尻を下げ悲しげに僕を覗き込んでいる。そんな顔は二人にしてほしくない。
「シヴァさん! キト!」
『目を、目を開けてください。リトさん』
二人を呼ぶのに僕の声が届いていないのか、必死に僕を呼んでいる。
「そっちに行くから待ってて」
僕がそう言った時、僕は光に飲み込まれた。
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