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2章 25話 僕の運命

 ゆっくりと目を開け、僕の視界に飛び込んできたのは嬉しげに笑うシヴァさんだった。  やっと会えたことが嬉くて僕も笑ってシヴァさんを抱きしめようとした。けど腕が思うように動かなくてどうしてだろうと顔を腕の方に向けると体ごと毛布に包まれていた。 「良かった。リトさん」 「良かったリト。心配したんだぞ? 危うく死ぬところだった」  不思議に思って顔を上げたときシヴァさんが呟くように言うのと同時にキトの声も聞こえてきた。目に涙をいっぱい溜めたキトがそう言ったことにはっとする。  僕は何故ここに、シヴァさんの腕の中にいるのだろう?   「リトさん?」 「ぼく、なんで?」 「何でとは? 運命の番を拒絶したことでお前は死に向かっていたのだ」  死?  僕はただ寝ただけだ。寝具に横になってただ眠ろうとしただけ。 「それを救ったのがシヴァだ。シヴァはお前の運命の番。そうだろう?」  ぎくりとしてキトを見る。いつもの優しい眼差しで僕を見ているキト。 「……ち、ちが、ちがうよ、キト」 「シヴァが運命でなかったのなら何故シヴァがお前を救う事ができる」  否定すればするほど、僕の心が軋む。心に、いくつもの傷が出来ていく。 「ち、ちがうよ。大丈夫。番わない。掟は破らない、キト」  ヴィヌワの掟は破ってはいけないことはヴィヌワの者なら子供だって知っていること。  僕は眠る前に決めたのだ。  シヴァさんとは番にならないと。 「大丈夫だから!」    大きい声を出した時、シヴァさんが顔を背けた。  僕はこれ以上シヴァさんを傷つけたくない。僕と同じ、いやそれ以上にシヴァさんの心に傷がついている。拒絶する僕を、それでも愛していると言ってくれた彼を……。  傷つけたくない。傷つけたくないんだ。 「リト、シヴァを拒絶するな」 「……だって、ぼくは……ぼくは……」 「シヴァを拒絶してはいけない。運命の番は神が定めた絆だ」  シヴァさんの背けた顔がこっちに向く気がして僕は毛布かぶって顔を隠した。  「……ぼくはヴィヌワで……」  掟は破ってはいけない。そうでしょう? 「だからなんだ」 「シヴァさんは……ルピドで……」  僕達ヴィヌワの祖が決めた掟は、とても尊いもので。  それを破れば僕はヴィヌワの者ではなくなってしまう。 「そうだ。シヴァはルピドだ」 「……掟で、番っちゃ、いけないって……」  ヴィヌワの者でなくなれば風の精霊様の加護を失うと。だから掟を破ってはいけないとそう言われてきたんだ。 「いいんだ、リト。お前の命と掟を比べること等できるわけがないだろう?」 「……掟は、大事で……」 「掟なぞ、捨ててしまえばいい」 「……す、捨てる?」  被っている毛布をはがしキトが僕の両頬に手を添え顔を上げさせてきた。逆らうことも出来ず呆然とキトの顔を見る僕の涙をシヴァさんがぬぐってくれた。 「リト、我等の掟は間違っている。風の精霊様の加護が無くなることはない。我等はどこにいてもヴィヌワだ。掟を破ったと言うのならば、砦にいる全てのヴィヌワがすでに掟を破っている。なのに、風魔法が使えるのは何故だ? 風の精霊様を傍に感じるのは何故だ?」  だとしても僕は…… 「……裏切り者、に……」 「お前が裏切り者だというのなら、お前の運命の番を認めた俺もお前と同様裏切り者だ」 「……でも……」 「あ、愛してます。リトさん」  震えたシヴァさんの声に僕はシヴァさんを見る。頬に涙が流れている気がして僕は手を伸ばした。 「な、泣かないで。ぼくの……」  涙は流れていないのに、泣いているように見える。僕が彼を泣かせているのだ。心で涙を流しているんだ。  何度も頬を拭う僕に顔を向けたシヴァさんが悲しそうに笑った。 「リト、お前はどうしたい? ヴィヌワではなく、唯一人の人としてシヴァとどうしたい」 「唯、一人の……」 「お前がヴィヌワでなかったらどうしていた」 「……あ……ぼくは……ぼくは……」    唯一人の人として、許されるのならば。僕は、僕は…… 「……シヴァさんと、番い、たい」 「分かった。誰が何を言おうと俺が許す。だからリト、お前の思うままにしなさい」 「……い、いいの?」 「いいんだ、リト」 「……でも……」 「俺はお前が幸せであればそれでいい」  震える唇から紡いだ言葉にシヴァさんの歓喜が伝わってくる。僕を強く抱きしめ愛していると言った彼に僕も告げた。 「シヴァさん、僕も、愛してる」  口にしてはいけないと思っていたこの言葉をシヴァさんに伝えることが出来たのが嬉しい。 「ありがとう、僕の運命」  拒絶する僕を許してくれて、愛してると言ってくれて、ありがとう。  ***  喉をひくひくさせたリトが嗚咽を漏らす。我慢しているのは他の目があるからか。 「……うぇ……ふぇ……」  袖で目元を何度も拭い、それでも溢れる涙を止めることが出来ないのだろう。感情を隠す事が苦手で素直なこの子の事だ。悩んでいる間苦しい思いをしただろう。心を磨り減らしどれほどの痛みと戦ったのだろう。 「うぇ~~~~~」  ぼたぼたと涙を流し毛布を退けると俺に抱きついてきた。 「にぃちゃ、にぃちゃ」  隣に座っていたシヴァを見れば目をぱちくりと何度も瞬かせている。 「リト、抱きつく相手が違うだろ」  聞いているのかいないのか、大きな声で泣くリトは子供の頃と変わらない。泣き方も癖も。顔をぐりぐりと俺の胸に擦り付ける癖は痛いと言ってもどうやっても直らないリトの悪い癖だ。  だが、もう番がいるのだ。慰めるのは俺ではない。 「ほらリト、離れなさい」 「にぃちゃ、にぃちゃ」  くすりと笑う声が聞こえてきて笑った者をみるとシヴァが眉を寄せて困ったように笑っていた。「思うようにさせてあげて下さい」と言うシヴァの言葉にも困ってしまいハナナとセレンに顔を向けるが二人は肩を竦めるだけだった。  溜息を吐きリトを抱きしめ背中をぽんぽんと優しく叩く。 「ごめんなさい」 「謝ることは何もない」 「でも、ぼくのせいで……」  リトの言葉の続きはなんとなく分かる。自分のせいで俺もヴィヌワの裏切りものとしてヴィヌワ保護区から追い出されると言いたいのだろう。  今まで躊躇っていたが、掟は廃止しよう。 「いいんだリト」  掟を無くすなど反対するものが多いだろう。だがそんな事はいえない程ヴィヌワは切羽詰った状況にある。調査隊が調べたヴィヌワの数はすでに九千人を切っている。  山の奥の更に奥にある村の者がナーゼ砦に移住する際、旅慣れないためか老人が亡くなる確率が高いのだ。子供も生まれてくる数が少なくなっている今、優先すべきは種族の存続。   「裏切り者と言われて追い出されたなら他で暮らせばいい」 「……他?」 「色々な種族が住む地区がこの砦にあるらしい。そこに住めばいいだろう。ただ、砦の永住権が必要になるがな」 「山を捨てるってこと?」  そろりと顔を上げたリトに頷いてやると目に涙がもりっと溜まり「ごめんなさい」と顔を隠すように俺の胸に顔を埋めた。頭と背中を撫でてやると少し落ち着いたのか体の震えが止まった。 「リト、山に入れなくとも風の精霊様への祈りはここからでも届く。だから大丈夫だ」 「本当に?」 「風はどこにでも吹いている。山にもこの砦にも、そして草原にも。風の神様はどこにいても我らを見守ってくれる。だからリト、お前は幸せになる事だけを考えなさい。シヴァと共に」  にこりと微笑み言ってやれば、やっと納得したのかこくりと頷いた。リトの手を無理やりはがし腋を手で抱え持ちシヴァに差し出す。   この子に匂いをつける俺の役目はもう終わった。後は番であるシヴァがすることだ。 「やだ、にぃちゃ」  いやいやと首を横に振るこの子に溜息が出た。  十五になったと言うのに未だに幼いこの子の心。それも番が出来れば変わってくると思ったが、どうやらそうではないらしい。  こんな様子のリトをにこにこと笑って見ているがシヴァがなんとも思わない訳がない。リトに言い聞かせてやろう口を開けたらシヴァが止めた。 「そのままで、キトさん」 「すまないな、シヴァ」  気づけばまたリトが抱きついていた。ぎゅうぎゅうと抱きついている力も子供の頃と変わって少し強くなった。思えば、この子も大きくなったものだ。  俺はくすりと笑い眠りを誘う魔法を発動する。この子が泣き続けていればきっと熱が出てしまう。 「にぃ、ちゃ」 「ゆっくりおやすみ、リト」  優しく声を落としてやればリトの力が抜け手がだらんと下がる。すーすーと聞こえてきた寝息に俺は今度こそ安堵の息を吐いた。   

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