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2章 19話 香る感情

「リトっちなかなか気づかないっすね」  任務が終わり護衛館へと歩く私の隣でトールがぽつりと呟いた。首を傾げる私に向けてはぁと溜息を吐くと肩を竦め首を横に振る。 「本当に運命なんっすか?」 「リトさんと私の事ですか?」 「そうっす」  訝しげに見るトールを睨みつける。 「私が間違っていると言いたいのですか?」 「人は誰でも間違いをすることがあるっす」  運命の番を間違える訳がない。あの香りを嗅いだ時、喜びに心が震え誘うような匂いに私の陰部が滾っていた。理性を保つ事が出来たのは、リトさんの怯えた香りが微かに香ってきたからだ。 「決して間違いではありません。貴方も運命に出会えば分かります。その証拠に私はあのとき勃起していたのですから」 「……副団長の下半身の事情とか聞きたくないっす」  嫌そうに顔を顰め「うへぇ」と舌を出したトールの頭に拳骨を落とした。頭を抱えて踞るトールが涙目で私を見上げてくるが無視して歩みを再開する。 「団員には優しくっすよ! 福団長! リトっちには優しいのにー!」  番と同等になろうなど、烏滸がましい。 「貴方とリトさんを同列に考える訳ないでしょう?」 「俺は可愛い後輩っすよ!」  トールの言葉に鼻で笑ってやるとおおげさにトールが溜息を吐いた。 「ま、いいっすけどー……。それにしてもリトっち鈍感じゃないっすか? 鼻が利く俺達とは違うってことっすかねー。あんなに副団長がアピールしてるのにー」  トールの言う通り、この一週間ずっと気づいて欲しくてアピールをしている。態と傍に行って匂いを嗅がせたり、リトさんの世話をしたり。ただリトさんの傍にいると他の方々の世話もすることになるが……。だが、他の方々の世話をするのもいい事だろう。私をリトさんにアピールすることでヴィヌワの者に私自身が悪い人ではないとその心に植えつける事が出来る。 「いつか気づいてくださいますよ」 「副団長の腹黒さに気づいたんじゃないっすか?」 「腹黒いって……失礼ですね」  気がかりなのはキトさんだ。いつでもリトさんの傍にいて私以上にリトさんを甘やかし世話をする。リトさんもそれを当たり前のように享受して……。見るたびに嫉妬でどうにかなってしまいそうだ。  彼をリトさんから離すことが出来たら、少しは違ってくるのだろうか? 「焦る必要はありません。まだ時間はたっぷりとあります」  それに、リトさんの反応を見ていると私を気にしているのは明らかだ。頬を染めて見てくるのも、朝に迎えに行った時の笑顔も私に恋をしているからではないか? 後少し。後少しのところまで来ている気がする。  十一年も番が現れるのをずっと待っていたのだ。これから何年掛かろうがリトさんを必ず私のものにしてみせる。   「そう言ってられるっすかね? 最近キトっち副団長とリトっちを観察するように見ていること多々あるっすよ」 「キトさんが一番やっかいですね。何か対策を練らなければ」  キトさんにもリトさんにも他のヴィヌワの者にも同じように接しているはずだが、何か感づいたのだろうか。だとしたら本当にやっかいだ。リトさんが気づく前にキトさんに気づかれればリトさんを私から遠ざけるのは目に見えている。それは一番避けたいことだ。   「……もう直球で勝負しましょうっす」 「勝負して玉砕するのですか?」  「うっ」と言って黙り込んだトールは大して考えていなかったのだろう。直球勝負では絶対に逃げられる。かと言って明らかな行動は他のヴィヌワにも不信感を募らせるだけだろう。 「私は今まで通りでいきます」 「隙が出来たら行動に移すってことっすよね」  トールの顔を見て口角を上げて笑ってやれば自分の体を抱いて腕を摩り「こぇぇ」とトールが震えた。 *** 「おはようございます」 「おはよう」  翌朝いつものようにリトさんとキトさんを向かえに家まで行くと、出てきた時のリトさんの様子がおかしい事に気づいた。 「ああ、おはよう。いつも悪いな。シヴァ、ユシュ」 「いいえ。これも私達の仕事ですから」 「お、おはようございます」  いつも私に笑顔を向けてくれていたのに、今日に限って顔を俯けている。どんな表情をしているか分からないが、嬉しい嬉しいと香ってきていたリトさんの感情は今日は罪悪感でいっぱいになっている。 「では行こう」  ユシュを先頭に動き始める列にキトさんとリトさんが並び私もその後ろについていく。  リトさんの傍に行くと、リトさんが私から少しだけ距離をとった。  避けられている? 「リトさん?」 「……」  元気な返事もない。どうしたのだろうか? もしかして私は何かリトさんにしてしまったのだろうか?  表情に出ないように気をつけまた声を掛けるが何かを考えているのか顔も上げてくれない。 「どうした? リト」 「なんでもないよ、キト」 「なんだ? 熱でもあるのか?」  リトさんの首を触ったキトさんが首をかしげる。 「熱はないようだ。リト、体調が悪くなったら言うんだぞ」 「……う、ん」  顔を上げず返事をしたリトさんを見ていた私は見た。リトさんが密かに涙を流しているのを。   「リト、さん……?」 「なんでもないよ、シヴァさん」  そろりと顔を上げたリトさんの頬に涙は流れていない。見間違いだったのだろうか? ただリトさんから心からの笑顔が消えたように思えてならない。   「さ、行こう! 今日も頑張ろう!」  大きな声で言ったリトさんの声に私の中に不安がよぎる。香りの中にある感情とは違った言動。顔で笑いながら心が泣くのはどうしてか。  苦しい苦しいと香る匂いに私はただ戸惑っていた。

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