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幕間 あの日の君①
セレンの向かい側のカウンターの中にいるハナナを見る。
大きな緑の宝石のような瞳と、小麦色の髪と大きな可愛い耳。笑うと笑窪が出来るのは昔と変わらない。
香る匂いはあの頃とは違い、微かにセレンの匂いが漂っている。
「……」
そうか、彼は……。
幸せそうに微笑むハナナを見ながら俺はあの短い日々を思い出していた。
***
行商用の背負子を背負いじーさんに荷物を確認してもらいながら、俺はジトの抱っこ紐の中ですよすよと寝ているリトを見る。俺が行商に行く事が決まった昨日、リトは何か感づいたのか四六時中泣いていた。
「キト今のうちに行ってこい。リトはわしとジトで見ておる」
「分かった」
ヴィヌワの行商は村長の家系で尚且つ長子でなければならないと言う掟に従い、行商の仕事は十七になった昨日、じーさんから俺が引き継ぐことになった。父さんが生きていたならば、行商に行っていたのは父さんだっただろう。
「では行ってくる」
「キト様、道は魔物避けの木が植えてありますが用心してくださいね」
「分かっている」
「魔物避けの香木は持っておりますよね?」
「大丈夫だ」
「ああ、匂い消しは付けましたか?」
「大丈夫だ」
「それから――」
「ジト、その様にしておってはいつまでもキトが行けぬだろ」
「あ、申し訳ありません」
「心配なのはわしも分かるがな。キト、小麦は大目に取引してきてくれ」
「分かった」
ジトの過保護はいつまでたっても直らない。ジトの様子に辟易してじーさんを見るとやっと止めてくれた。十五になって初めて狩に出た時からジトは変わらない。村に子供が三人しかいない今、心配なのは分かるが成人した俺まで心配するのはどうかと思う。
村の門の所まで来て振り返るとリトが起きたのかぎゃんぎゃん泣いているのが聞こえた。
***
土を踏みしめ前に進む。天にある太陽が少しずつ登っている様を見れば、昼までの時間に村に戻れるのは容易だろう。
ニナ村までの道のりはじーさんに教えてもらい、地図も持たせてもらった。尻のポケットから地図を出して見れば、後少しだ。
耳を左右に動かすが、特に人が歩いている様な音は聞こえない。聞こえてくるのは鳥の囀りと獣や魔物の息遣い。魔物避けの木の向こうに魔物の気配がするが、魔物避けの木が邪魔してこちらにはこれないようだ。
ほっと息を吐き顔を戻した時、耳が人の歌を捉えた。偶に外した感じに聞こえるその歌に俺はくすりと笑って足を速める。
「こんにちは」
ニナ村の近くの少し拓けた場所につき、待っていると外れた感じの歌が近づいてきて広場の入り口で止まった。挨拶をしてきた相手を見れば、小麦色の髪と同じ色の大きな耳。宝石の様に綺麗な緑の瞳をした可愛らしい容姿のキャリロだった。背は俺の胸辺りくらいだろうか。とても小さい。年は俺とあまり変わらない位だろう。
そのキャリロは俺の傍まで来るとにこりと笑った。笑った時に出来た笑窪が見た目の年齢よりも更に幼くさせる。
「挨拶はちゃんとしないと駄目だよ? こんにちは」
「こ、こんにちは」
「うんうん。僕はニナ村のハナナ。君は?」
「俺はワ村のキト」
「キト君ね。ゼトさんは?」
「ゼトから行商を引き継いだ」
「ふーん。ってことは次の村長さん?」
「そうだ」
「そうだって、もっと話を広げないと駄目だよ」
話を広げるつもりは全くない。行商を終わらせたら狩にも行かねばならないし、リトの世話がある。ジトが見ていたが、出る時泣いていたから心配だ。
「悪いが、俺は行商に来たのであって駄弁りに来た訳ではない」
「僕も行商として来たよ。少し位いいじゃない。お話しよ?」
大きなため息を吐けばハナナが耳をしゅんと寝かせ上目遣いでこちらを伺うように見る。その様子がまるでリトの様で俺は笑ってしまった。
「くく」
「何で笑うの?」
「いや、その、耳が寝ているのが俺の弟の様で」
「弟君、何歳?」
「リトは五歳になった」
ぱちぱちと瞬きをしたハナナが俺の言葉を理解したのか頬を膨らませる。その様子もまたリトの様で笑いを誘う。
「くくく」
「あのね! これでも僕二十二なの! 五歳の子と一緒にしないで!」
俺よりも五歳年上のハナナは外見が幼いからか子供の様にしか見えない。
「あっはっはっはっは」
「あは あはははは」
笑い続ける俺の横でハナナも腹を抱えて笑っていた。
***
「うぇ~~~」
取引が終わり家に帰りついてみれば、案の定リトが大きな声を上げて泣いていた。玄関を上がって居間に向かえばじーさんの抱っこ紐の中でわんわんと泣いているリトの姿が見える。
「リト、ただいま。じーさん今帰った」
「ああ、ご苦労。小麦は大目にしてもらったか?」
「大丈夫だ。秋の間、後三回行商に行けばいいくらいには貰ってきた」
「秋が終わる前に冬支度を済ませたい。次の行商はわしが行こう」
話をしながらじーさんが抱っこ紐をはずし俺につける。そろそろ七十になるじーさんは腰もだいぶ弱ってきている。軽いと言ってもずっとリトを抱いているのはきついだろう。
「にぃちゃ、にぃちゃ。……うぇ……」
抱っこ紐の中で泣いているリトの首を触れば、泣きすぎたのか少し熱がある。
「じーさん熱さましの丸薬は飲ませたか?」
「まだだ。飲まそうと思っても飲まんのでな。ほとほと困っていた」
差し出されたじーさんの手のひらを見ればずっと手に持っていたのだろう。丸薬は少しだけ体温で溶けている。机の上の小瓶を取り丸薬を一つリトの口元に持っていくと顔をくしゃりと歪めて顔を背ける。
「やっ」
いやいやと首を振るリトに小声で話しかけ宥めるが、午前中俺がいなかったのが気に入らなかったらしいリトの機嫌はとても悪い。
「いい子にこれを飲んだら、リトの好きなお話してやるから。な?」
「やぁよ」
この熱さましの丸薬は大人でも嫌がる代物だ。口の中に入れた瞬間に苦味だけが口の中に広がり飲み込むのも苦労する。だが、これを飲まないと熱は下がらない。真っ赤な瞳で上目遣いで睨みぷっくりと膨らんでいる頬はさっき見たハナナのようだ。俺はくすりと笑い負けずにリトに交渉する。
「お昼ご飯の後にリンゴの果実水と菓子をキャリロから少し貰ってきたから菓子もつける。どうだ?」
「おかし?」
「そうだ。胡桃のクッキー好きだろ?」
「しゅき! でもくしゅりきらい!」
「薬を飲まない子にはクッキーはやれないな」
「ううう」と耳を寝かせて唸るリトに笑いそうになる。
「さぁ、リト。飲みなさい」
小さなカップを持たせるとリトが渋い顔をしながら丸薬を口の中に入れ飲み込んだ。口を開けて見せ、俺に果実水と甘味を催促してくる。
「にぃちゃ、のんだ。えらい?」
「えらいえらい。えらい子にはご褒美が必要だな」
「やったー!」
頭を撫でて褒めてやれば嬉しげにぴこぴこと尾を動かし忙しなく両耳を揺らしている。ハナナもこんな感じで喜ぶのだろうか? 期待の眼差しで見てくるリトに先ほどのハナナを思い出し俺は大きな声で笑った。
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