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幕間 あの日の君⑤

 ハナナの歌を聞きながら歩く。距離は後一キロ位だろうか。彼に会えるのが嬉しいと思う反面、どう言う顔をすればいいのか分からない。  会えると思って急ぎ足になったが、その足はだんだんと遅くなっていった。 「キト君、来てるんでしょ? 入っておいでよ」  広場の入り口についた時歌がやみハナナが声をかけてきた。かさりと音をさせて広場に入る。そこには俺に笑顔を向けるハナナがすでに敷物の上に荷物を広げて待っていた。 「久しぶりキト君」 「久しぶりだな、ハナナ」 「ごめんね。ちょっと砦に行くことが多くてさ。なかなか来れなかったんだ」  顔を伏せ言うハナナの様子を疑問に思う。話ているのに、目を合わせてくれないのは何故だろう。いつもなら俺の目を見て話すのに。それにさっき笑顔を見せてくれていた。 「僕ね、砦で自分の店を出すことにしたんだ。だから、ここに来るのも今日が最後」 「……え?」 「砦に店を出すのは僕の小さな頃からの夢だったんだ。だ、だから……」 「もう、来ない……? もう、会えない?」  ぽつりと呟く俺にハナナが顔を上げて俺を見る。茫然自失する俺の目の前でハナナが泣いているような顔で笑った。 「僕、僕ね、キト君、君の事が好き、なんだ」  泣いている様ではない。彼は涙を流し泣いている。 「今日を、キト君に会う最後の日に決めたんだ」  彼は何を言っているのだろう? 「君達の掟ではキャリロとヴィヌワは番ってはないけなんだったよね」 「……そう、だな」 「君が僕以外の人と番って、それで、君の口から、他の人の話を、聞くのは、辛い、から」  もう会わないと泣く彼に俺は何も言うことが出来ない。   「だから、ぼくに、思い出を、ちょうだい」  思い出?    気づけば俺はハナナに押し倒されていた。  俺に乗り上げたハナナの涙がポタポタと俺の頬を伝い落ちていく。 「キスして欲しいんだ。そしたら諦めるから」 「すまない」 「一度……一度だけでいいからっ」 「俺もお前が好きだ」 「なら、一緒に砦に――」 「だが、俺には三年後に番う許婚がいる。それに村の皆を裏切ることは出来ない」  抱きついているハナナの腕を掴み体を離し言った俺の言葉にハナナがくしゃりと顔を歪ませた。 「そ、そっか……」 「すまない」 「キト君、お願い。一度でいいから僕にキスして。……お願いっ」 「……分かった」  たった一度の触れるだけの口付けは甘く、悲しいものだった。   「好きだよ、キト君。ありがとう」  俺の上から退き立ち上がったハナナが背を向ける。  俺がヴィヌワでなかったら、彼と番う事が出来たのだろうか。彼がキャリロでなければ番う事ができたのだろうか。 「……ハナナ」  現実的では無い事を考えても仕方ない。俺はヴィヌワで彼はキャリロ。 「ハナナ」 「さよなら」  淡く微笑み振り返らずに帰る彼の背を見て願う。どうか彼が俺ではない誰かと幸せになりますように。 *** 「どうしたの? キト君」  相変わらずの少し高い声に顔を上げる。セレンに手を持たれたハナナが緩く微笑んだ。 「いや、何でもない」 「そう?」 「ああ」  セレンが何故か唸っているがどうしたのだろうか。首を傾げセレンを見ればハナナがはぁとため息を吐いた。 「あのね、セレン。一々嫉妬するのやめてくれる?」 「ハナナ、お前は私のものだろう?」 「そうだけどさ……」 「ハナナが笑顔を向けていいのは私だけだ」 「あのさ、運命の番だって言ってもさ、限度があると思うんだよ。あのね、僕は酒場を経営しているの。笑顔で接客しないと誰が来てくれるのさ」  ハナナの言葉に思わずハナナを凝視する。彼は今、運命の番と言ったか?   「私が来る。それに団員達も来るだろう?」 「……」  呆れたような顔をしたハナナにセレンが何か言おうとしたがその手を叩かれていた。 「安い酒ばっかり飲んでないでたまには高い酒も飲むように団員達に言ってよ」 「若い者は仕方ないだろう? 依頼に見合った金しかまだ貰えないのだ。その分私が飲んでいるだろう?」 「若い子のことじゃないよ。中堅やシヴァ君クラスの事を言ってるの。セレンがいくら高い酒を飲んでも、僕と君の生活費に変わっていくだけなの分かってる?」 「ぐぬぅ」 「シヴァ君とかトール君クラスを連れてきて! そして高いお酒飲ませて!」  二人の会話に俺は微笑む。  そうか。彼は今幸せなのだ。  あの時の想いを忘れたわけではない。ただ、彼が幸せであることを山の村でいつも願っていた。  幸せであるのならそれでいい。彼が悲しい想いをしていないのであればそれで。 ***  さすがの酒場経営者か、ハナナはいくら酒を飲んでもけろりとしていた。今はカウンターの中でグラスを磨いており俺は出されたキノリ酒を飲みながら周りを見た。シヴァとセレンは早々に潰れカウンターに体を預けて眠っている。リトはヨトに抱き上げられヨルとユシュ共に帰ってすでにいない。 「ハナナ、お前は今幸せなんだな」  唐突な俺の言葉に顔を上げたハナナが淡く微笑む。 「うん、幸せだよ。君も許婚と番って幸せでしょ?」 「いいや。俺は番うことは出来なかった」 「……え?」 「だが、幸せであると言える」  リトの番も決まりヴィヌワはこれから変わる。あの時から疑問を抱いていたヴィヌワの掟は廃止されヴィヌワの子供達は自由に生きていくのだ。  仕事も、恋愛も、何もかも、全て自由に。 「番うことが、出来なかったって……相手の人……」 「許婚のミリは七年前に行方不明になった」 「……そう」 「だが、俺は幸せであると言える」  笑ってそういえば、あの日の様にハナナがくしゃりと顔を歪ませた。 「僕は幸せだよ。だけど君にも幸せであって欲しい。いつか君も誰かと番って幸せになって欲しい。それが運命でも、そうでなくても。僕は君の幸せを願うよ」  酷い男だっただろう。思い出と称して自分の欲を満たすだけの口付けをした俺。拒絶もせず受け入れもせず唯泣かせただけだった。 「俺は……リトが幸せであればそれでいい」 「リト君はもうすぐ幸せになる。今度は君の番だよ」 「俺は……」 「僕はあの時の事後悔してない。けど、あれは本当に子供の様な恋だったんだなって今は思うんだ。セレンに出会って子供も産んで貰って、僕は今幸せなんだ。君との出会いがなかったら僕は村から出ていなかったと思う。君には感謝してるんだ。だからキト君、君も前に進んでいいんだよ。僕達の事はもう過去の事なんだ。今は友達。そうでしょ? それともまだ、僕の事好き?」 「いいや」  何年かは忘れられなかったが、今では思い出になっている。あの時の様な気持ちはもう無い。 「ヴィヌワが自由になるんだから君も自由に生きなよ」 「……そう、か。そうだな」  俺もいつか出会えるのだろうか? この人だと思える人に。あの日の君の様に好きだと思える人に。   「さて、そろそろセレンとシヴァ君起こして店を閉めないとね」  顔を上げて窓を見れば外はすでに明るくなっている。 「もうこんな時間か。俺も帰らないとな」 「そうだ、キト君。またリト君とおいでよ。友達価格ってことで安くしてあげる」 「キノリ酒か?」 「そんな訳ないでしょ。キノリ酒は貴重なお酒なの。そうそう安く出来ません。でも今日のは再会を祝して奢ってあげる。次はがっぽりとるから」  笑窪を見せて微笑むハナナを見て俺の背中に嫌な寒気が走った。

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