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3章 16話 巣立ちを妨げる者

 居間の壁にかけてある時計を見るとすでに僕がここにきてから三十分は経っている。  キトとシヴァさんは何の話をしているんだろう? 気になるけど、盗み聞きするようなはしたないことはしたくない。 「リト様、もうすぐ朝食が出来ますからね」    ちらちらと時計を見ている僕に気をそらすようにヨトが声をかけてきたけど、どうしても二階でキトとシヴァさんが話しているのが気になる。  シヴァさんは、僕の夫なのに。 「むぅ」  ゆさゆさと椅子を揺らしたらヨトが「行儀悪いですよ」と僕に注意した。 「だって……」  ぷくっと頬を膨らませた僕を見たヨトが仕方ないなって顔をしてくすりと笑う。 「ジト様もいるのですから」 「僕が皆を迎えに行こうか? もうすぐ朝食できるでしょ?」 「リト様のお手を煩わせる訳にはいきません。……そこまでお気になされるのならこのヨトが見て参ります。朝食は後はスープを作るだけですのでリト様は芋の皮を剥いておいてくださいますか?」 「……分かった」  僕に朝食の準備を任せて上に上がっていった。 ***  ぴくりと耳を揺らしたキトさんがおもむろに口を開いた。 「入れ、ヨト」  誰かがこの部屋に近づいている気配は察していたけど、誰なのかは分からなかったのに、キトさんは音だけで誰なのか特定していたのか? いったいどれだけ私を驚かせるのだろう。この人は。  聴覚が発達し、音に敏感だと言ってもこれほどとは……。 「キト様、リト様が二階を気にしているようで……。俺がお止めしなければきっとここに来ていたと思います」  ドアを開けて入ってきたのはキトさんが当てたようにヨトさんだった。 「夫婦の大事な事は知っておきたいと言っていたからな……」 「いえ、多分、嫉妬ですね」  くすくすと笑っているヨトさんが笑いを止めて真剣な顔をする。 「それで、シヴァ様にはお話されたのですか?」 「ああ、話した。これからリトの役目についてもリトに話すつもりだ」  キトさんの言葉にヨトさんが目を見開きごくりと喉を鳴らす。 「リト様に話すのはまだ早いと思います。精神的に安定しているとは言える状態ではありません」 「ワシもそうは言ったのだが……」  ちらりと私を見たジトさんの視線を追うように私を見たヨトさんが苦い顔をする。 「俺はリト様には言うべきではないと思います」 「私は言うべきだと思いますよ」 「リト様は成人して間もないのです。心に負担をかけるようなことはなるべく避けたいのですが?」 「それもワシが言った。だがキト様がお決めになられたのだ。ヨト」 「……キト様、が?」  そっと顔をキトさんに向けたヨトさんがむっと口をへの字に曲げて私を睨んできた。 「貴方が何か言ったのですか? リト様の伴侶様とは言え、我らの事には口出ししないで頂きたい。リト様の心はまだ子供なのです」  子供子供と言ってリトさんの成長を妨げているのは彼らではないのか? 親に守られる時はいつか終わる時がくる。甘やかすだけが親愛の情ではない。時には厳しく教えを説くこともせねばならぬのに。  地面の土が水を吸収し、緑が大地に根を張り森に変わろうとしているのに、彼らがそれを妨げているのだ。  彼らはリトさんに甘い。甘すぎる。  自分が置かれている状況を知らず、己の置かれた立場を知らず、神子だと言うだけで甘やかして育てるのはどうかと思う。それでも、甘やかされて育ったにも関わらずリトさんの心はとても澄んでいる。傲慢に、不遜に、育っていたとしてもおかしくないのに。  育った環境が違うだけでこうも違うのだろうか?   ルピドは子供を三才の時に放置し、放置された子供は親の技を盗み見て育つ。親に愛情が注がれるかどうかなんてはっきり言ってどうでもいい。ルピドは強さが全て。弱い固体から淘汰される。淘汰されたくなければ強くなるしかない。  群れの頂点に立つのは、ルピドの中でも圧倒的な力を持つ者一人のみ。その力のある者に惹かれ、酔い、敬うのが我々ルピドだ。  絶対的な力が我々ルピドを跪かせる。あれが、唯一の我々の主だと。獣の本能がそう叫ぶのだ。その変わりとは言え、愛情を込めるのは己の唯一の伴侶のみ。  歪な種族だと思う。だけれども、ルピドは昔からそうやって生きてきた。  己が主に忠誠を。唯一の伴侶には愛情を。  種族が違うリトさんと私では、育った環境が全く違うのは分かっているが、成長を妨げる者は悪害にしかならない。   「リトさんの心が子供なのは貴方達の所為ではないのですか? 甘やかして育てるだけが愛情ではないでしょう? 現にリトさんは貴方達の巣から羽を広げて飛び立とうとしています。それを妨げてはリトさんが飛び立つことができない」  私が強く言葉を放った時キトさんが顔を伏せジトさんとヨトさんは居心地が悪いのか視線を彷徨わせている。  彼らも分かっているのだ。現状ではよくないと言うことに。 「シヴァの言うことも最もだな……」  首を横に振ったキトさんがまっすぐに私を見つめてくる。 「リトの番が君で良かったよ。俺は多分、リトを厳しく躾なければと思いながらも、リトを甘やかせていただけだろう」 「貴方方の子育てが子供に愛情を注ぐのは知っていますが、注ぎすぎるのも毒になります」  「毒、か……」とぽつりと呟いたキトさんが顔を俯けて何かを考えていたようだったけれども、考えをまとめたのか顔を上げた。 「リトには神子であることを伝える。それから、ヴィヌワの行事にもリトには全て参加してもらう。いいな、ジト、ヨト」 「風守様の仰せのままに」  ソファーから立ち上がったジトさんとヨトさんが恭しくキトさんの前で跪く。  その光景が少し不思議でならなかった。 

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