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その4
北海道の主な都市を回り終え、福岡へと飛んでの公演初日。俺はステージを袖から眺めていた。
晴輝の声は風のようにどこまでも透き通り、自在だ。風が季節ごとに違う色や匂いをまとうように、その声はふわりと頬をなでたり、まばゆく輝きながら吹き抜けたりする。そしていつでも、優しい。
ステージでの晴輝は、まるでおもちゃに無邪気に喜んでる子供だ。楽しくてうれしくてたまらないって顔で、小さな会場にぎっしりの見えない客に向けて、歌って話しかけて笑いかける。
とにかく真摯だってことはよく分かった。歌に対しても客に対しても。本当に音楽ってヤツが好きなんだろう。
晴輝はみんなに好かれてる。大石さんはもちろん、ステージ上の二人にも、スタッフの人達にも。みんないきいき仕事してるのは、つまりそういうことなんだと思う。
だけど俺は、晴輝を囲む輪の中で、居心地の悪さを感じていた。イラついてもいる。
確かに晴輝はいいヤツかも知れないけど、俺はまだいまいちなじめない。なれなれしくて、いきなり距離感縮めたがるあたりが、うさんくさい感じもする。
晴輝はその見えない目を出入り待ちのファンに向けて、笑顔を振りまく。わざわざ立ち止まって、ファンの声に手を振ってやってる。
その笑顔にも、俺はイライラする。
ファンだってみんないいヤツばかりじゃない。いきなり抱きつかれそうになったり、握手を求められるまま伸ばした腕を引っ張られてあやうく、ということもあった。そんなヤツらに、あそこまでサービスする必要なんてあるのか?
なんだってこんなにイラついてるのか、自分でもよく分からない。なのにイライラは募る一方。舌打ちしてステージに背を向け、楽屋に戻る。
会場入りしてしまえば、俺は暇になる。特に本番中はすることがない。みんながそれぞれの持ち場についている中で、俺だけがぶらぶらと気ままに過ごしてる。
がらんとした楽屋。テーブルの上は俺が出て行った後、バイトの子が片づけたらしい。食べかけでそのままだったサンドイッチやフルーツに、きちんとラップがかけてある。
俺はパイプ椅子に座ると、置いてあったスポーツ新聞をテーブルに広げた。煙草に火をつけて、新聞を眺めながらしばらくぼんやり吸う。
足の裏をくすぐり、身体の芯に響く重低音。ギターの音。晴輝の歌声。客の歓声。拍手。
晴輝達が作り出す熱狂の裏で、テーブルに頬杖をつく。早くビールにありつきたい。うまいメシとビール、それだけが楽しみで毎日やってるようなもんだ。
仕事の質については期待されてないらしいし、俺は少し投げやりになっているのかも知れない。イライラするのは八つ当たりか。
いきなりドアが開いて、大石さんが入ってきた。即座にだらけきった姿勢を正す。
「だいぶステージ慣れしてきたみたいで、ほっとしたわ」
大石さんはそう言うと、氷を入れて飲み物を冷やしてあるクーラーボックスの前に直行した。少し興奮してるみたいだ。
「今日のお客さんもすごくいい感じで、ずっとこの調子で行けばいいんだけど」
大石さんは紙コップになみなみとお茶を注ぎ、俺の斜め前の椅子に座った。勢いよくお茶を飲んで、ふうっと息をつく。やっと落ち着けた、という顔だ。
「村上君て、本当に音楽とか業界ってものに興味ないのねえ」
少し首をかしげて、俺の顔をのぞきこんでくる大石さん。表情が妙に子供っぽい。
「はあ、まあ」
無愛想に答えると、大石さんは肩を揺らして笑った。
「硬派なのね。ミーハー根性出されるよりはずっといいけど」
硬派? 俺が?
思わず目を見開く俺に、大石さんが吹き出す。たぶん、目がぎょろっとしておかしかったんだろう。
「やだ、言葉が古かった?」
「いえ、俺変わったヤツとは言われても、硬派だなんて言われたことなかったんで……」
大石さんは微笑んだまま、興味津々というか、大人の女の余裕というか、そんな表情で俺を見る。
「ねえ、村上君。晴輝や、晴輝の音楽を好きになってくれとは言わない。晴輝をちゃんと見てやって」
ものすごい拍手と歓声がステージの方から聞こえた。大石さんはそれを気にして、ちらっとドアの方に目をやってから、
「この仕事に誇りを持って欲しいの」
と言うと、まっすぐに俺を見つめた。
俺はうつむき、テーブルの上で組んだ、自分の指をぼんやり見る。
「さ、そろそろアンコールかな。晴輝を迎えに行かなきゃ」
大石さんが立ち上がる。すぐには動かず、俺がなにか言うのを待っているように見えた。でも、俺に返せるような言葉はない。
俺達の間の沈黙を埋める拍手が鳴りやまない。晴輝の名を叫ぶ声もする。キュッ、と大石さんのスニーカーが鳴った。
「今日もおいしく飲もうね」
ドアを閉める直前にそう言い残して、大石さんは出て行く。大きなため息と共に、俺は思わず天井をあおいだ。
まずった。見破られた。そう思った。
とりあえず仕事は仕事として、それなりにやる。いや、それなりにしかやらない。晴輝をちゃんと見てやって、っていうのは、たぶん俺のそういうところを、大石さんは見抜いたんだろう。自分の言葉が原因なのは分かってないだろうけど、仕事に身が入ってるとは言えない。
いったい大石さんは、俺になにを求めてるんだ? 完璧な仕事は求めてないんだよな? 今のがその答えか?
でも俺は思うんだけど、この仕事に誇りを持つってことは、晴輝を誇りに思うってこととイコールなんじゃないだろうか。
そして誇りに思うには、最低でもその人のことを好きじゃなきゃいけないよな。
さっきよりもすごい拍手と歓声が、あたりを揺らす。やっと静まったと思ったら、演奏が始まった。アンコールだ。
「ちゃんと見て、か……」
俺はぼんやりつぶやいて、アンコールの熱気の中歌う晴輝の姿を思い浮かべた。
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