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その5
福岡では繁華街のど真ん中にある、こぎれいなホテルに泊まっていた。ライブハウスでの二日間の公演を終えた、福岡最後の夜。
メンバーやスタッフみんなでの食事の後、ホテルの部屋に帰って一人になる。シャワーで汗を流して、ぼんやり風呂上がりのビールを飲んで、寝る。
そんな日々を旅先で繰り返していた俺だったけど、今日はビールを飲む気になれなかった。食事の時の酒も断った。
福岡ライブ最終日、いつにもまして盛り上がっているのをいつものように楽屋で聞きながら、俺はいらだっていた。
自分に。
晴輝へのいらだちは消えつつある。その分が、俺自身へのものに変わってきてる。
行き場のない、もやもやしたいらだち。後悔に似た、感情。
きっかけは、大石さんの言葉だった。
オフだった昨日、初めて来た福岡の街をランニングする間、俺は大石さんの言葉の意味を考えた。時間が経つにつれ、大石さんの言葉が俺の中で重みを増してきた。
晴輝をちゃんと見てやって、と大石さんは言う。
ちゃんと見るって、どういうことだろう。それがこの仕事への誇りにも繋がるんだろうな、ってことはなんとなく分かるけど……。
ため息をついて、立ち上がる。窓に近づいてカーテンを開けた。
ここは三階で、窓は広くても眺めはよくない。べったり窓に額を預ける。煮詰まってきた自分を感じて、ますますいらだってくる。
こんなことは初めてで、俺は俺自身を持てあましていた。よく壁にぶつかるとか言うけど、まさにあれだ。
いても立ってもいられず、Tシャツをバッグから引っぱり出して着た。カードキーとスマホと財布だけ持って、部屋を出る。
ずんずん廊下を歩いてる自分に気づいて歩調を緩めた。エレベーターの前で、力が入ってしまってた肩をごまかすように上下に動かす。
最上階にあるバーからの眺めがいいって聞いたのを思い出して、行ってみることにした。
最上階でエレベーターを降りた途端、バーの入り口越しの夜景。闇に色とりどりの光で描かれた絵。吸いこまれそうだ。
川がネオンに彩られた街を分けている。川には橋がいくつもかかっていて、車の光が流れていく。左へと目を向けるとその先は港、広がる漆黒は海。
視線を足元の方へと戻せば、ホテルはいろいろな色の光に優しく包まれている。川沿いに並ぶ屋台の、ささやかなのにしっかりした存在感を放つ光も見える。
一気にいらだちが引いていくような気がした。本当にきれいだ。
すっきりした気持ちで、俺は大きく息を吐いた。なにか飲もうかな、と思って振り返る。
カウンターには、ショートカットにジーンズ姿の姿勢のいい背中と、男にしては線が細い後ろ姿。
大石さんと晴輝だった。カウンターの一番奥に座って、近寄りがたい暗い雰囲気をかもし出してる。二人と俺の他に、客は誰もいない。
俺は二人から一番離れている、窓側のテーブル席に座った。すかさず寄ってきたウエイターに、モスコミュールを注文する。
こんな二人は初めて見る。ひっそりと寄り添い、なにか語りあっているらしかった。
俺はモスコミュールを飲みながら、かたわらの夜景も忘れ、こじんまりした二人の背中から目を離せなくなる。
つらい背中だった。
晴輝はほとんど動かない。うなだれ、ただかすかに唇が動いているのが分かる。大石さんは一生懸命、そんな晴輝を励ましているようだ。
突然大石さんが晴輝の肩を抱いた。泣きそうな、優しく澄んだ笑顔。一瞬きらめき、晴輝の頭に押しつけられて見えなくなる。
それに応える晴輝の笑顔は、せつなく、もろく、なにより疲れきっていた。
俺は静かに立ち上がり、支払いを済ませてバーを出た。なんとなく、これ以上この場にいちゃいけないような気がしたからだ。
二人はなにを話していたのか。晴輝のやたら小さく見えた背中が、疲れきった笑顔が、真摯な大石さんの表情が、刺さるような深刻さを伝えてきた。
晴輝はずっと、笑顔の下にあんな自分を隠してきたのか。人は時に笑顔を仮面にするけど、晴輝がよく笑うのも、それなんだろうか。
だとしたら、なんて強いんだろう。
俺は晴輝を、いつもへらへら無邪気なヤツだと思ってた。ハンデを抱えてシンガーとしてデビューした晴輝は、俺が思いもしないような苦労をしてきただろう。なのに俺はそれを考えることもなく、ただ淡々と仕事をこなすだけだった。
情けない、悔しい。気合いも意気ごみもなく、これも単なる仕事の一つとしか思わなかった自分が。仕事はただやればいいんじゃない。相手の思いを汲み、思いやり、心をも守るようなつもりでやるべきなのかも知れない。
俺はゆっくりと心のもやが晴れていくのを、確かに感じた。大石さんが俺にやらせたい事も、分かったような気がする。
同時に、この夜景も晴輝には見えないんだな、と思って、なんだかせつなかった。
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