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その7

 ライブはもうすぐ、終わろうとしている。小さなライブハウスだから、どこにいてもなにもかも聞こえてくる。  俺と晴輝は客席より一段高い場所にあるPA席に入れてもらって、隠れるようにライブを見た。そして最後の盛り上がりの中を、こっそり楽屋に戻った。  客の歓声。熱気。ほとばしるような激しさでギターを弾きまくっていた、翔一郎さんのよく動く指。アコースティックギター一本で歌っていた時の、見慣れたいつもの、はにかんだ笑顔。激しくドラムを叩く、隆宣さんの金髪のきらめき。  カーテンの向こうの様子を聞きながら、さっきまで見ていた光景を断片的に思い出す。  アンコールは、俺も聴いたことのある洋楽の曲だった。悲鳴に似た歓声が上がる。 「どうだった? 翔一郎さんかっこよかっただろ?」  晴輝が興奮気味に訊いてくる。俺はうなずいて、ぼんやり翔一郎さん達の演奏を聞いていた。 「静也? どうかした?」 「あ、うん、かっこよかった」  首をかしげて眉を寄せる晴輝に、俺はあわてて言った。ただうなずくだけじゃ晴輝には伝わらないのも、一瞬忘れてしまった。 「やっぱり翔一郎さんも、自分の好きにやれるソロの方がいいよね。ギターの音がいきいきしてた」  テーブルに頬杖をついて、晴輝は笑う。 「そんなに違って聞こえた?」  訊くと、なんの迷いもなくうなずく。  俺には、いつもより音がいきいきしてたとか、そういうことは分からない。でもとにかく楽しそうな翔一郎さん達が、俺にはものすごくまぶしく見えた。  晴輝もそうだ。ある一つのことを好きだってことは、かなりの力になるらしい。  それに開演前の、晴輝の言葉。信じないことには始まんないんだよ、という言葉と笑顔。だけどその裏には、なにか暗いものを隠している。  こころにすり傷ができたようだ。傷はたいしたことないのに、痛みには確かな存在感がある。  演奏がやんだ。客の拍手がすべて終わったことを知らせてる。 「どうだった?」  タオルで汗をふきながら、隆宣さんがすがすがしい笑顔で戻ってきた。金髪が汗で濡れて光っている。 「お疲れ! すげえかっこよかったよ。翔一郎さんのソロとなると、隆宣もかなり力入れてやってるよね」 「それはまあ。でもハルの時手抜いてる訳じゃないよ」  隆宣さんはどっかりと椅子に座ると、手に持っていたペットボトルのウーロン茶を一気に飲んだ。 「分かってるよ。愛の差でしょ?」  ふふ、と隆宣さんが意味ありげに笑う。不審げな目の俺を見て、さらに笑みを深める。  翔一郎さん達も戻ってきて、楽屋はたちまち人でいっぱいになる。ライブを見ていた関係者も顔を出しに来始めた。  入れ替わり立ち代わりやってくる関係者に声をかけられ、挨拶に忙しい翔一郎さんと晴輝。その隣で着替えたり煙草吸ったりしながら、談笑してる隆宣さん達メンバー。俺には全然分からない音楽用語をちりばめた感想が飛びかう、にぎやかな満員電車状態の楽屋。  部屋の隅でそんな光景を眺めているうちにだんだん、俺は孤独感を覚え始めた。部屋にこもるような、声と熱気も遠く感じる。  もう俺帰るよ。そう晴輝に一言言いたかったけど、俺も晴輝のボディーガードをやってるといろんな人に紹介されてしまった以上、晴輝と関係者の話の邪魔をするわけにはいかないだろう。  俺は唇をかみしめて晴輝を見つめ、いらだちに耐えながら声をかけるチャンスを待った。すぐ近くにいるはずの晴輝が、手を伸ばしても届かないような気になってくる。 「静也君、どうかしたのかい?」  振り返ると、心配そうな翔一郎さんの顔。 「あ、いえ、俺もう帰ります」  翔一郎さんは俺の目をまっすぐに見つめ、まるで俺の気持ちを読んだかのように、ゆっくり何度かうなずいた。 「ハル、静也君帰るって」  翔一郎さんの声に、身体ごと振り返る晴輝。 「え? なんでだよ、打ち上げつきあってくれよ。おごる約束だったじゃん」  俺はこっちに来ようとする晴輝に近づき、腕にふれて動きを止めさせる。 「ごめん、悪いけど今日は帰る」  一度帰ると決めたら、自分でもびっくりするぐらいその決意は強くなった。 「……分かった。そこまで一緒に行くよ」  翔一郎さん達に挨拶して、裏口から外へ。途端につまらなそうな顔になった晴輝。悪いなと思ったけど、俺がいなくなったら晴輝が困るかな、とも思ったけど、俺は早くこの場から立ち去りたかった。一人になって、静かに考えたかった。 「じゃあまた。次の旅は名物三昧だな」  晴輝は顔を上げ、そう言ってにやっと笑った。俺はその明るい顔にほっとする。 「そうだね、この仕事始まってから太ったから、気をつけなきゃ」  ほんのちょっと声が沈んだだけでも、やっぱり晴輝は気づいてしまうんだろうか。 「気をつけて」 「そっちこそ、飲みすぎんなよ」  ふざけて舌を出して見せると、晴輝はゆっくりドアを閉めた。背中がドアの向こうに消えかかる。 「晴輝、俺これからはもっと頑張るから!」  思いよりも先に言葉が出ていた。またドアが大きく開く。 「やっと呼び捨てにしてくれたな」  晴輝は俺がもう遠くにいると思ったのか、大声で言うと、本当にうれしそうにあったかい満面の笑みを見せた。 「あ、ああ……」  俺はとまどった。名前を呼び捨てにするとかしないとか、無意識だし、今の俺にとってはそんなの問題じゃないし。 「じゃあおやすみ、静也」  晴輝の笑顔がドアの向こうに消えた。自分から帰ると言ったくせに、晴輝の姿が見えなくなった瞬間、変にさみしくなる。  俺はドアが閉まっても、しばらくそこにぼんやり立っていた。なにから考えたらいいか分からないぐらい、いろんなことで頭がいっぱいになってる。  ゆっくり歩き出す。自分のスニーカーの先を見つめながら、人通りの多い駅の方へ歩く。頑張らないとな、という漠然とした気持ちだけがぐるぐるしてる。  ほてってる心を落ち着かせたくて、星のない夜空を仰いだ。信号待ちのスクランブル交差点で、晴輝のアルバムの超特大看板が目につく。  いつもの薄い色のサングラスをはずした素の笑顔。ついさっきまで見ていた顔。  俺は周りの人が動き出しても、立ち止まったまましばらく、その看板を見上げていた。

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