11 / 14
その11
無事ライブも終えた次の日、俺達は昼頃ホテルを出た。
俺はTシャツにジーンズ、その上に大阪の古着屋で買ったジャケットとキャスケットという格好だった。晴輝がうるさいから、もらった香水をつけている。
晴輝はくたびれていい感じになってるジーンズに、ミリタリーコートを羽織っていた。ヴィンテージっぽいベルトがどっしりした存在感を放って、印象をきりりと引き締めている。
「かっこいいじゃん、今日の格好。自分で選んだの?」
「みんな撮影の時の衣装を買い取ったヤツだけど、組みあわせたのは俺。おかしくない?」
晴輝の笑顔は気のせいかも知れないけど、やっぱりどこか笑いきれてない暗さがある。絶対なにかあったに違いない。
「全然。似あってておしゃれじゃん」
「マジ? それならよかった」
仙台には、街路樹が多い。さすが、杜の都とかいうだけある。大木がずらりと並ぶ大通りを、ゆっくりと晴輝と二人で歩く。俺は時々落ち葉が舞う中を、大きなアーケードの方へ曲がった。まずは昼メシを食おうと、イタメシ屋に入る。
店に入った途端、視線があちこちから飛んでくる。晴輝だからなのか、白杖のせいなのか、二人ともおしゃれだからか。できれば、一番最後の理由であって欲しいんだけど。
俺は五つあるランチメニューを、晴輝のために声に出して読んだ。
「俺はドリアセットにするよ」
晴輝の笑顔がやっと柔らかくなってきたのは、俺の気のせいじゃないだろう。
「じゃあ俺はパスタセットで。晴輝、三時の方向に水とおしぼりがあるよ」
俺は本で覚えた、クロックポジションという場所の教え方で晴輝に教えた。
「俺のナビも完璧だな。静也、ツアー終わったら終わりなんて言わないで、うちの事務所入っちゃえよ」
「え、そんなの無理だよ、きっと」
晴輝の言葉に即座に答える。気持ちはうれしい。でも小さな警備会社でちゃらんぽらんにやってきた俺に、業界人なんてつとまりっこない。
「そんなことない、今だって立派にやってるじゃん。俺が稼いでるもん、静也一人が事務所に入るぐらい、なんともないって」
「うん、まあ……考えとくよ。ところで、一週間ツアー休みの間になんかあった?」
単刀直入に言って、話題を逸らす。
「……え、なんで?」
途端に晴輝の表情が、声が硬くなる。揺れる。
「笑顔が暗いから。心から笑ってない感じがするんだよ。そんなふうな晴輝って見たことないから」
今の晴輝は、笑顔が仮面であることを隠すことすらできなくなっている。見ていて、胸が痛い。
晴輝はうつむいて黙りこんでしまった。
失敗した。言い出すのが早すぎたかも知れない。でも俺は、一刻も早くいつもの晴輝に戻って欲しかった。晴輝はその名の通り、いつも青空みたいな笑顔でいるべきだ。遠慮がちにひっそり笑うなんてらしくない。
沈黙のうちにセットのサラダがきた。かごに入ってるフォークを渡して、サラダが置かれた場所を教える。晴輝は無言のままテーブルに指を滑らせ、サラダの位置を確かめて食べ始めた。
やがて俺のパスタが来て晴輝のドリアも来て、俺が食べ終わってしまっても、晴輝は暗い表情のまま無言でただ食べ続ける。
このままじゃ埒があかない。晴輝を落ちこませてるのは、いったいなんなんだろう。俺にだって悩みを聞くぐらいはできる。いや違う、それしかできない。それしかできないなら、せめてそのできることをしたい。
「ごめんな、静也のせいじゃないのに」
俺のいらだちを感じ取ったのか、突然晴輝がつぶやいた。
「いや、いきなり訊いた俺も悪いよな。ごめん」
晴輝は小さく首を横に振った。うつむいたままで。
一人で抱えないで、言って欲しい。笑って欲しい。いつまでもこんな晴輝を見てるのはつらい。
だけど晴輝は、ドリアをすっかり食べ終わっても、ドリンクを飲みながらなにか考え続けてるようだった。
その白い横顔が日に透けるようで、俺はなんとなく怖くなった。すうっと溶けて消えてしまいそうに、目の前の晴輝があやうげで、やけに心細くなる。
「そろそろ出ようか?」
「……見えるふりがしたい」
耐えきれず言った俺の声と、晴輝のつぶやきが重なった。
「見えるふり?」
「白杖持たないで、いかにも見えてるように歩いてみたいんだよ」
ひらべったい声。ニュースを読んでるみたいに、声にも顔にも表情がない。それだけに晴輝のつらさが見えて、水が傷にしみるように、心が痛む。
俺はいいよ、とだけ答えて、椅子から立ち上がった晴輝の左に立った。
晴輝が俺の腕に肩を押しつけてくる。そのままレジへと歩き出すと、晴輝の指が俺の手首にさりげなく絡んできた。
ゆっくり貼りあわされる、晴輝のぬくもり。興奮のような、幸福感のような。そんな感情がじわじわと身体を熱くする。心を大きく柔らかく包む。
ああ俺、晴輝が好きだ。
今この瞬間、ささやかなふれあいがやっと俺にそう認めさせた。
「やっぱこの香水、お前に似あうよ」
消えそうなぐらい、かすかなささやき。俺は胸を締めつけられ、思わず拳を握る。
晴輝は今まで、少なくても俺の前では、見えないことを負担に思ってる様子を見せたことがない。晴輝が出会ったばかりの頃俺に言ったのも、「俺はただ見えないだけだから」という言葉だった。
いったい晴輝になにがあったのか、すごく気になる。でも無理に聞き出せば、さっきみたいに晴輝を傷つけてしまう。とにかく待とう。言う言わない、知る知らないは大したことじゃない、だ。
これからの時間が少しでも晴輝の気分転換になって、せめてステージ上ではいつもの晴輝に戻って欲しい。そのために俺にできることなら、なんでもしてやりたい。
ぶらぶらアーケードを歩いて、あちこち店に入った。晴輝はこんなにも男同士くっついて歩いてるのを不審に思われないためなのか、無理してふざけて肩で押してきたり、ぶつかってきたりする。
俺も押し返したり、わざとよろけたりした。でもそうしてふざけてる間にも、晴輝の笑顔はやっぱり少し暗い。
「CD買いたいんだけど、近くに店ある?」
「うん、ちょっと行った左側にあるね」
「新譜視聴してみて、いいのがあったら欲しいんだよね」
俺は店に入ると、晴輝を試聴機の前に連れて行った。晴輝の見えるふりを手伝って、耳元でそっとささやいてヘッドホンや操作ボタンの場所を教える。
晴輝は試聴という言葉が似つかわしくないほど、全身で集中して曲を聴く。時には、曲の奥の奥まで潜っているのか、ってぐらい真剣に。時には、頬を緩ませて幸せそうに。
晴輝の横顔を見つめていると、音楽が晴輝の気持ちを晴らしていくのが、はっきり分かった。
「今聴いてるアルバムが欲しい」
試聴機のディスプレイを見て、その番号のアルバムを取って晴輝に渡す。フロアを移動して、試聴機から試聴機へと渡り歩いて、晴輝は五枚アルバムを買った。
「行こう」
いくらかいつもの晴輝を取り戻してきた笑顔。まばゆく胸にしみる。ずっとふれあわせているうちに、その場所の体温が溶けあい、熱くなる。幸せだと思った。本当に。ふるふると心が弾むようだった。
この幸せを全身で味わいたい。手を握ってしまいたい。抱きしめたい。守りたい。
「次はサングラス買いたいんだけど、いい?」
「あ、う、うん」
明るさを取り戻した晴輝の声に、俺はなんとか返事をする。
この気持ちは、今はとても言えない。もし言うなら、このツアーが終わってからだ。晴輝には歌に集中して欲しい。なによりもまず、晴輝はシンガーだから。シンガーとしての晴輝を邪魔したり、迷惑になるようなことはしたくない。
ステージできらめいてる晴輝が好きだ。歌でいろんなものをみんなに与えられる、俺にはとてもできないことをやってる晴輝を、支えられたらと思う。
「なんだか落ち着きないね」
からかうように、晴輝が言う。
「メガネ屋探してんじゃん。それに、結構見られてるし」
実際ちらちらと視線がうるさくて、同時に自分の声にあまりに余裕がなさすぎて、内心苦笑。
ああそうだ、ちょっとだけさみしいことがある。晴輝と俺は、見つめあえない。目で思いを伝えられない分、より近くにいられたらいいなと思う。
「そっか、ごめん。やっぱ、俺には見えるふりも完璧にはできないや」
晴輝はそう言って、どこかさみしそうに笑った。
「あ、メガネ屋あったよ」
俺はそんな晴輝を見ていたくなくて、店まではまだ少し距離があるのに、ぐいぐい晴輝を店へと引っ張る。
店に入り、サングラスをはずした晴輝に、あれこれかけさせて試す。すっかりいつも通りになって、笑い声を転がして楽しそうな晴輝。俺は心底ほっとしたし、うれしかったけど、胸の高鳴りだけはおさまりそうにない。
さんざん試したあげく、晴輝は俺が一番似あうんじゃないかと言ったのを買った。大きめのレンズは濃い目のブラウンのグラデーションで、童顔の晴輝もどことなくセクシーに見える。
「せっかくだから、これからライブでかけるよ」
はしゃいでる晴輝。俺はその頭を、くしゃくしゃ撫でたくなる。
「ねえ、喉渇かない? どっかでなんか飲もう」
晴輝の言葉に、メガネ屋のすぐ近くにあった、小さなカフェに入った。
水が運ばれてくるなり、グラスをつかんで勢いよく飲む。そうして一息ついたところで、思わず俺は動きを止めた。
目を離した数瞬で、急にかげってきた晴輝の表情。もしかして、と思いながら、グラスをそっとテーブルに置く。
賑わう店内の、客みんなが隠し持ってる暗さを全部引き受けたかのように、黙ってしまった晴輝。しばらく見守っていると、晴輝の表情がいきなり、きしんだ音をたてそうに歪む。
「……俺、歌っててもいいよな」
晴輝は小さくつぶやいた。薄い唇をかみしめ、頬にはうっすら赤味がさしている。こみ上げるものを必死にこらえてる。
「事務所に、脅迫状みたいなのが来てさ」
重い沈黙の中に飲み物が来た。カップをテーブルに置く音が、やたらと響く。
「マジかよ……」
とっさに、あの卵投げつけてきたヤツの仕業じゃないかと思った。晴輝を快く思ってない人間が大勢いるなんて、思いたくなかった。
「ひどいんだ……。なんで赤の他人から、俺がシンガーとしてやってけてるからって、存在すら、全否定されるようなこと……。俺がなにしたって言うんだよ……」
晴輝の唇が少しずつこぼす言葉は、硬く冷たい。一音一音がせつなく苦しんでる。
「俺は歌いたいから歌ってるだけなんだ。歌が好きだ。歌しかないんだ」
うつむいて、きつく自分の膝を握りしめる晴輝。
短い言葉にこめられた思いと感情。
怒りが冷めた後に残った、悔しさ、悲しさ、やるせなさ。そういうものが全部、晴輝の中で渦巻いてるのが見える。
「晴輝は優しすぎるんだよ、もっといい意味で厚かましくなれよ」
俺の声に、晴輝がゆっくり顔を上げる。
「その嫌がらせしてきたヤツに見せつけるぐらいの勢いで、今まで以上にガンガンやったらいいじゃんか」
晴輝はじっと、俺が言うのを表情を動かさずに聞いてる。両手で膝をしっかり握りしめたまま、動かない。
「もっともっと歌えよ、そんなのに負けんな」
思いがうまく言葉にならなくて、怒ったような口調になる。気の利いたことは一つも言えないけど、晴輝を理不尽な理由で嫌ってるヤツみんな、ぶっ飛ばしてやりたい。
「歌が好きなら、負けんな。晴輝は歌ってる時が一番かっこいいんだから」
言葉を重ねても、晴輝の無表情は溶けない。俺にはこんな、分かりきってるようなことしか言えない。情けない。
ぐっと唇を噛みしめる。俺に他に言えることはなんだ? なにもないのか? なにもないのかよ?
「……でもさ、矛盾してるかも知れないけどさ」
ごそりとポケットから出すような声に、晴輝の表情が少しだけ動く。俺は水を一口飲んでから、思いきって言った。
「そんなに強がらなくてもいいんだよ。その……、せめて俺にはさ、もっと頼って欲しいって思うんだ」
目の前の晴輝の表情から、みるみる曇りが取れていく。春の太陽のように、笑顔がきらめく。
こんな俺でも、晴輝の役に立てた。その笑顔が本当にうれしくて、俺は泣きたいような気分になる。
「ありがとうな、静也」
抱きしめたい。ずっと近くにいたい。
きれいでしなやかな微笑みに、たまらなくなる。
晴輝が好きだ。
ともだちにシェアしよう!