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「――――ねぇ。あの男にはあんなに綺麗な恋人がいるんだね」
呆然としていたぼくのもとに近づいていた人物。
ぼくの耳元で囁く、ねちっこい息を多く含む声に恐怖を覚える。
「あんな男みけくんにはふさわしくないよ。僕なら君を幸せにしてあげるよ。さぁ、みけくん一緒に行こう」
彼はそう言いながら僕の右腕を掴み引っ張る。
その力がすごく強くて振り切ることができない。
「昨日は辛かったなー。あんな男と一緒にプラネタリウムなんて行くんだもん。僕の方がみけくんの隣には相応しい男なのにね。手紙にも書いたけど、今度は僕と一緒に行こうね。いやこれからはずっと一緒だね」
そっか。今朝の手紙の犯人はこの人――――紫村さんだったんだ。
ぼくを引っ張りながら息継ぎもせず、スラスラと述べた言葉をゆっくりと理解する。
が、その間に、駅前のタクシー乗り場から一台のタクシーへと乗り込む紫村さん。
そのままぼくを引っ張り、タクシーの中へと連れ込もうとする。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……。
手を引っ張られ、無理やり押し倒され、馬乗りされた、遠い記憶が蘇ってくる——。
今の紫村さんがあのときの男と被って見える。
怖い。呼吸が苦しくなる。
それに、このままこれに乗っちゃったら家にも帰れなくなる。
ぼくは、掴まれていない左手で、思いっきり紫村さんの腕を抓る。
「………痛っ」
掴まれていた手が離される。
紫村さんはぼくが抓った手を摩っている。
今だ。早く逃げなきゃ……。
ぼくは慌てて人でごった返している駅の中へと逃げ込む。
人混みに隠れながら、紫村さんが追いかけて来ていないか確認し、早くなっている鼓動を落ち着かせる。
フラッシュバックされた過去の記憶を無理やり消し去り、これからどうするか考える。
どうしよう……。今家に帰っても、今朝の手紙の犯人が紫村さんということが判明した。ということは、ぼくの家の場所を紫村さんは知っている。
………帰れない…。
ぼくは人混みから離れ、隅の方に避けしゃがみこむ。
こんなところにいれば、追いかけてきた紫村さんに見つかってしまう。
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