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2.旅の薬師は人売りに手を貸さない

 腕利きの薬師であるハトリを欲しがる人間は少なくない。  本人はどこかの紐付きになるつもりはまったくないものの、他人の意思なんて尊重してたら金が逃げていくと思っているのが商人だ。 「ハトリ殿、そろそろ腰を落ち着けられるおつもりはありませぬかな?」  ふらりと不定期に現れてはまとめて仕事をしていく旅の薬師に、今夜もまた代わり映えのない提案が持ちかけられる。 「やだね、商人はみんな同じことばっかりだ。」 「シグ。」  既に街には飽き飽きしているシグは、育て親に無理難題ばかりふっかけてくる商人に辛辣だ。こいつらが我儘なばっかりにハトリを取り上げられてしまうのだと、口を尖らせて拗ねている。  それだって本当は、まだまだ育ち盛りであるシグの食い扶持にほとんどが消えているのだが、甘やかしがちなハトリがそこまで説明する日はきっと来ないだろう。 「黒豹の坊ちゃんには街は狭いかもしれませんがな、食事だけは人里でなければ楽しめますまい。」  口髭を揺らして笑う商会の元締めはハトリを諦めきれない引く手の一人でもあるわけで、ご機嫌取りのつもりか旅立ちの前にはこうして屋敷での晩餐に招いてくれるのが恒例となっていた。  その食事の美味を知っているからこそ、ハトリを取り上げられて御機嫌斜めだったシグも背凭れの端から垂らした長い尾をるんるんリズミカルに揺らしているわけだ。 「この子はまた食べる量が増えている。お台所を空にしないか心配なところだ。」  都会に行けば行くほど獣人に色好い顔をしない人間も多い。その点に関して言えばこの商人はかなり温厚。ハトリの言葉にカッカッカッと天井を仰いで大笑いしてくれるほどだ。 「ハトリ殿が冗談とは、珍しいですな。たまにはご自身も酒壜ひとつくらい空けてくだされ。」 「ははは。」  乾いた笑いでも返すしかない。冗談のつもりではなかったのだが。  若い獣人の胃袋は、恐ろしい。  料理が次々と運びこまれればシグも久方ぶりに退屈を忘れて楽しげに目を輝かせ始めていた。安心したハトリも勧められるまま葡萄酒で満ちた銀杯を受け取り、乾杯を交わす。  兎に羊、牛と豚。ああ、尊くも愛しい弱肉強食の掟。  行儀よく切り揃えられて文字通りに料理された草食動物たち。今となっては皿に盛られ、テーブルの上に黙して座すばかり。  それに垂涎しているシグの耳には、もはや大人たちの社交辞令なんて聞こえちゃいない。 「いただきます!」  パン! と肉球にあるまじき音を立てて手を合わせたきり、シグは無心でがっつき始めている。商人は今になってハトリの乾いた笑いに不吉の影を感じてしまうのだ。 「それで、こんな良い酒をご馳走になって、私は何をすれば?」  やたら良い酒が出てきたのはハトリも最初から気付いていた。それについてあちらから口を開かないとなれば、気持ち悪くてせっかくの味が落ちてしまう。  頃合いを見計らって尋ねたハトリに、人を化かす狸みたいな愛想笑いと沈黙で商人はわずか場を濁した。  ああ、またこの流れか。  育て親がうんざりしているのを機敏に察したのは、骨つきのラム肉に噛り付いていたシグくらいだ。  金に困った商人というのは本当に、くだらないことしか考えない。 「何か入り用ですか?」 「……実は、探している薬草がありましてな。」  前置きだけでもハトリには腹一杯だというのに。 「あまり趣味のいい取引とは思えませんね。」 「ああ、いやいやいや。」  のっけから良い顔をされないとあり、商人は慌てた様子で手と首を横に振る。  人の良さげな笑顔を取り繕われて鵜呑みにするほど、ハトリも馬鹿ではないのだが。 「ハトリ殿は勘違いなされている。個人的に入り用という客がいるに過ぎませんからな。」 「この街に?」 「大声ではとても言えますまい。」  さも人道的な人間であるかのように、商人は目と口を閉じて深くを語ろうとはしなかった。  ずけずけと核心に迫れないうちは、まだ可愛いほうか。  なにしろこの世界には二種類の人間しかいない。  人を人として受け入れられる当たり前の人間と、同じ姿形をしている者を動物とみなす外道。  ハトリの腕を求める人間は数多いが、彼が相手を見極めるに一番の基準としている点はそこだった。  なんてこの世にはいないのだから。 「申し訳ないが、ハタエスグリの在庫はない。」  欲しいのはそれだろう? いつになく明け透けに笑って見せるハトリ。  図星だったのは、商人の態度で明白だ。 「というより、持ち歩かないようにしている。面倒事は御免だから。」  裏では『撒き餌』として高値で売り買いされている薬草だ。そんなものを持ち歩いているとバレれば、旅の危険が増してしまう。 「では、採れる場所はご存知なわけですな。」 「知らないと言っても信じないのでしょう?」 「必要とする者が近くにいたとしてもですかな?」 「人売りに手を貸したくないから、必要な人以外には何も言わない。」  まさか自分こそが必要とする人間であるなんて、嘘でも商人には言えたものではないだろう。  ハタエスグリを必要とする者は、総じて無力な羊だった。  誰だって金は好きだろうが、それとて命あってこそ。狼のふりをする者はいても、貪られるだけのか弱い羊のふりをしたがる者もそういない。 「必要とする人の居場所を教えてもらえれば、私が行きましょう。仲介料が欲しければ、売値の七割をお渡ししてもいい。」  聞こえのいい申し出だが、ふっかける気のない薬師の定めた売値からの七割なんて、商人からすればつまらないことこの上ない。わかっていても、これがハトリにできる最大限の譲歩だ。 「口約束では不安だろうか?」 「まさか。しかし……、」  なおも素直に引き下がらない商人に、ハトリは溜息をこぼす。  種はとうに割れている。 「代わりと言ってはなんですが……、」  そう言って足下の雑嚢(ざつのう)を探ると、薬師はテーブルへ一つの包みを差し出した。 「私には必要のないものだ。どうぞ。」  訝しげに包みを手に取り、中を覗き込んだ商人。  はっと瞠目するなり興奮の面持ちで目の前の薬師を見つめている。 「……よろしいので?」  ハトリは軽やかに頷くのみ。  包みの中身は、先日偶然手に入れた珍しい蜥蜴の干物。酒に漬ければお偉いが喜ぶ強壮剤になり高値で売れる。  普段ならば決して笑みを崩さない商人が地獄に仏とばかりに声を掠れさせて尋ねてくるのだから、ハトリが街で耳にした噂は本当だったようだ。  悪質な高利貸しに騙されたツケを早めに清算したかったなんて、元締めは内にも外にも語れないのだろう。  それを救ってやった今、恩を売るにも、釘を刺すにも、またとない好機。 「もちろん。七割で我慢していただけるならば、だが。」  ぎくりと、商人の表情が引き攣る。 「まさか信頼している貴兄に限って嘘を吐かれるなんてことはないでしょう。それで、薬が必要な人の居場所は?」 「あ、ああ……。その、はははは……。」  まあ十中八九嘘だろうとは、ハトリはもちろん、気配に敏感なシグの耳も理解していた。  人売りの片棒を担ごうなんて許しがたいことだが、商人とは図太い生き物だ。いざとなれば自らの手を染めないギリギリのラインまで、いつでもひとっ飛びに足を延ばす。  ハトリからすればとんでもない話だ。しかし、彼にとってもこの商人との付き合いは切りたくとも切れない生命線。  獣人にも理解を示してくれる数少ない良客を手放すのも旅の薬師の懐には痛かった。  旅先で出会う病人のほとんどは貧しい。おあしが足りないなんて日常茶飯事。きちんと金を落としてくれるこの元締めのことは、かなり頼りにしてしまっている。  ならば人売りの手伝いなんて汚い話を二度とこちらへ向けてこないよう、少しバツの悪い思いをしてもらおう。 「私たちはどこへ向かえばその人に会えるのだろう。」 「……底の見えないお方だ。」  商人がそう言って苦虫を噛み潰したように笑うので、薬が必要な哀れな人は、どうやらこの街にはいないらしい。

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