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3.黒豹の子はここが好き
旅中にハトリが持つのは抽斗 の多い薬箱と膨らんだ雑嚢くらいだが、対してシグの荷物は凄まじい量になる。
背負子 にこれでもかと括り付けられるのは野宿に必要な天蓋や毛布、あとはほとんどが食料だ。結果として運ぶ本人の体重・体格の倍はあるかといった大荷物になり、旅立ちの時には荷を背負ったままだと扉もろくに潜れなくなるほど。
気が向けばシグが兎か鳥でも狩ってきたり、場所が良ければハトリが魚を釣ったり、野営の時には現地調達も多い。しかしそれにかまけてばかりでは旅は進まない。
食べる量に似合うだけの仕事はしてくれるのでハトリもシグに文句はないのだが、身体能力の差を見せつけられるようでもあって少し寂しい。
「では、お気をつけて。」
「ええ、またいずれ。」
金策にありついた元締めの商人はここ数日で一番いい顔色の笑顔で自ら見送りに門まで来てくれた。
それとなく親しさを確認し合うように互いに手を振り、街道を辿る。
「これからどうするの?」
考えるのは苦手だと幼いうちに悟ってしまったらしいシグは、道の先に待つものすらわかっていない。
そういう頼りなさを可愛く感じてしまうので、ハトリは親馬鹿の気質があるのだろう。それもまた本人が認めて久しい。
「一ヶ月かけて北に行く。あっちは乾季のうちじゃないとゆっくりできないからね。」
材料探しは自分の目で。師でもあった父の信条は、今なおハトリの行動に根ざしていた。
「いつもと同じ感じ?」
「そうだよ。途中で町と村をいくつか通って、しばらく山に籠もる。」
「やった。」
根が野生児なシグには山籠りも楽しいイベントだ。
年に四回、それぞれ滞在しやすい時期と場所を狙い人里離れた山奥や森に入り浸り、ハトリは薬草の採集に、シグは狩りと遊びに明け暮れる。
同業者と交換した情報も参考にして、詳しい場所は毎年ずらして回っていた。
とはいえ、どうしてそれが必要になるのかについて、本当の理由はシグの知るところではない。
(出発が遅れたな。途中で馬車でも探した方が良さそうだ。)
あと一月と少しもすれば、ハトリは人里に下りれなくなる。
まさか身体の周期的な都合で動いているとは言えたものではない。
とはいえ、十三年続けてきたこの生活も先が見えてきた。そろそろ代替案を捻り出さなくてはならない時期なのだ。
「シグは、今まで見てきた土地で気に入ったところはなかったのかい?」
捨てるとか、縁を切るとか、そんなつもりは毛頭ない。しかしべったり共に過ごせる時期は終わりを迎えつつある。
あるいは明日にもと、ハトリは終焉に見 えることにひとり怯えているのだ。
本当ならば早いうちに、シグをどこかで独り立ちさせた方がいい。できることならば中央のあたり。死ぬまで旅を続けなくてはならないハトリが通いやすい、どこか。
都合のいいことをと、彼は自分でもわかっていた。
真にこの子のことを思うならば、里を出た時にハトリが目指すべきは山向こうの砂漠だった。シグが黒豹の獣人民族からはぐれてきた身の上だと、最初から予想がついていたのだから。
当時の成人間もなかったハトリが目指したのは、砂漠とは反対の都側。
手持ちの薬や宝飾品を買い取ってもらう、というのがかつての自分を納得させるための建前。まとまった旅銀を作っていろいろ整えようと思えば、誰でも自然と都に足が向くはずだ。
その建前に今でも騙されてやったところで、十三年の間に一度も砂漠へ行く決心がつかなかった事実には屁理屈の捏ねようがない。
何故今もまだ砂漠へ足を向ける気になれないのか。
二度と戻ってはならないという隠れ里の鉄の掟がネック、と言い訳できなくもない。だが迂回ルートなんていくらでもある。海から山岳を回り込んでもいい。シグも船旅には大いに喜ぶだろう。万々歳だ。
それをしないのは結局のところ、ハトリが個人的にシグを手放し難く思っているからに他ならない。
出会った時には黒耳につけられていた金の耳飾りは、介抱の邪魔だからと自他を説き伏せてすぐ外してしまった。
出会った時に着ていた服は泥だらけのズタズタだったため手放した。耳飾りはシグの身元を明らかにできる唯一の証となるだろう。
それをさっさと取り上げてしまったのだから、ハトリはただ単に、シグと離れてしまうことが嫌だったのだ。
あの日から今に至るまで、そしてこれから先もずっと。
この子は僕のものなのだから、と。
ただの義理の親子になってしまえたならば楽なのだろう。今までのひそやかな独占欲を親心と解釈して、手離す勇気が持てたなら最良だ。
この独占欲には、最初から恋心などなかったのだから。
砂漠という選択肢を明かせないままながら、遠くない未来に別々の生活を始める必要がある現実は揺るがない。
気に入った土地はなかったのかと参考までに尋ねたハトリだったが、しかしシグだって物心つく前から旅の生活をしているせいですっかり風来坊だ。
「田舎の方が好きだけど……。」
考え込んでいた若い獣人の本音は『田舎の方が走り回れるから』なのだろうなぁとは、ハトリにも容易に予想がつく。シグは空が狭いのは苦手だ。
「でも食べ物は都が美味しい。」
「つまり料理が美味しい田舎ならいいと?」
どうせ住むならそういうところ、とシグが願うならば、叶えてやるのは容易い。
無賃で薬の都合をしてやった村や小さな町なんて、ハトリにはいくつも心当たりがある。
田舎はよそ者に厳しいが、獣人に対しての差別意識は都より低い。恩のある薬師の頼みとなれば、ひとりくらい温かく迎えてくれるだろう。
多少やんちゃだが若くて力もあるシグのこと、いれば役に立つと誰でもすぐ理解してくれるはず。賊から守ってくれる上に読み書きだってできるのだから、水さえ合えば間違いなく大事にされる。
「肉は自分で獲ってくればいいのだから、料理してくれる人がいればいいのだろう?」
狩ってもシグができるのはせいぜい血抜きまで。手のつくりも人間とは違い、あまり器用ではない。生肉も平気なようだが好んでいるわけでもなし。だから彼には、獲ってきた肉を捌いて調理してくれる誰かが必要だ。
「ハトリがしてくれるでしょう?」
「それはそうだけどもね。」
思惑をわかっていないシグがさも当然とばかりに尋ねてくるのが少し可笑しい。耳をピクピク傾けてまばたきする様子も、ハトリには可愛くて仕方がない。
もしシグがもう少し背伸びした子であったなら、ハトリは共に生き続ける道も考えたかもしれない。
しかしこうして無垢で可愛いばかりの年の離れたシグを前にしてしまうと、得体の知れない独占欲でこの子の未来を縛ってしまうのは大人げないこととしか思えない。
周囲に愛されて過ごし、いつか好きな女性と結ばれ、子をなして、幸せに生きる。そんな人並みの幸福こそ与えてやるに然るべきなのだろう。
だとしても、離れて生活するのは我慢できても、会えなくなるのはどうしても苦しい……。
「ねえ、ハトリ。」
葛藤していたハトリは、名前を呼ばれて我に返る。
「なんだい。」
シグは身体こそ一人前に近付いてきたが、中身はまだまだお子様だ。
自分のことを案じる前に、どう説得したものか、ハトリはそちらを悩むべきだったか。猛反対されるのは目に見えている。
まさか思惑がバレているとは思わないが、獣人は人間より勘がいい。何かしら引っかかるものは感じさせてしまったのだろう。
「ハトリがいればボクはどこでも楽しいよ。」
視線の高さはほぼ同じくらいになった。大人と呼ぶにはわずかに未熟でも、シグはもう子供ではない。
それでも、迷子になるのを危ぶむような目を向けられながら黒い毛むくじゃらの手で外套の裾を掴まれると、親馬鹿のハトリは胸がぎゅうと苦しくなってしまうのだ。
「……そうか。僕もだよ。」
「うん!」
心からの返事には納得してくれたらしく、尾をぶんぶん揺らしながらシグはにこりと笑う。
やがて無邪気に街道を駆け出した育て子の姿を視線で追って、ゆっくり歩くハトリは薬箱を背負い直しながら焼き付く眩しさに目を細めていた。
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