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第5話 ほんわか
まぁ、びっくりはされるかも、かな。相手なんていませんよって言ったら、成田さん、目を丸くして、じっとこっちを見てたもんね。
でも、本当のことを全て話したら、もっとびっくりされるんだろう。
三十四年間、誰とも、そういうの、なかったんだから、なんて。
「あ、社長、今日はすみません。早退を……」
「はい。承知してます。今日はおばあちゃんがお出かけなんですよね? 間に合います? 息子さん帰ってくるの」
二人いるパートさん、その一人は小学三年生になる息子さんがいた。うちと同じで始業式が今日。いつもは二世帯でおばあちゃんが面倒を見ていてくれるのだけれど、今日は花見で都内までバス観光してるって言ってた。
もう一人のパートさんは娘さんがもう社会人で、市外の美容院で働いてる。
「郁君も今日始業式ですっけ?」
「うん。そうなんだけど、高校三年生はお弁当あるんだって忘れてて」
「あらぁ」
ホント、あらぁだ。もう進路が関わってくるから、始業式だけで終わりなんてそんなもったいない時間の使い方はしないらしいよ。びっしり、とまではいかなくても、授業があるって郁が話してた。
――だから帰りは普段とあんま変わんない。
そう郁が話してたのにね。しっかりしなきゃ。お弁当の存在を忘れてしまっていた。
「社長も早くお嫁さんもらわないと」
「あははは。もう三十四だからね」
「そうねぇ、社長はなんだかほんわかしちゃってるものねぇ」
そこでふわりと笑いが起こった。
「それじゃあ、すみません。お先に失礼します」
「お疲れ様」
時計を見ると、ちょうどお昼になるところだった。
「そしたら僕たちもお昼休憩にしましょうか」
始業式の関係ないもう一人のパートさんにお昼休憩を促すと、郁が作ってくれたオムライスを頂くことにした。郁もそろそろお弁当を食べているころだろうかと、思いながら、離れを出て、自宅に戻りながら空を見上げると、春らしい優しく綺麗な青色が空一面に広がっていた。
「浅葱色……浅葱色」
裏の倉庫、染料を探してるんだけど、いつもは今日早退したパートさんが在庫管理をしているからなぁ。
「うーん……」
ほんわか、か。
狭い田舎町。あっちもこっちも知り合いで、どこどこの息子さんは小学何年生で、とか簡単なプロフィールくらいならお互いに知り合っているような土地で、皆、どうやってそういう相手を探してるんだろうね。僕には恋愛をするタイミングが見つからなかったんだ。
だから、まぁ、ほんわか、しているっていうのは合ってるのかな。
「あ、あった! 浅葱色」
タイミングがあれば、恋愛をしてたんだろうか。そんな隙間というか、暇もなく、なんだか忙しく月日が過ぎていったけれど。
でもそれに焦りもしなかった。この仕事に就くの、いやじゃなかったから、修行も、きつかったけれど楽しかったし。
「あと、ちょっと……うー……」
手を伸ばして、爪先立ちで、浅葱と書かれたラベルが貼ってある箱へと手を伸ばす。
「よいっしょっ」
「ほら」
「!」
低い声、けれど優しいその声が真後ろから聞こえた。それと同時に、頭上をいく手。その手が浅葱と書かれた箱を軽々と取ってくれた。
「あ……」
ほんわかしていて、恋愛のタイミングを見過ごしていたのもあるかもしれない。けれど、恋愛よりも、僕は、郁と――。
「取りたかったの。これ?」
「あ……うん」
郁と、暮らす毎日が楽しかったから。なんだか、恋愛とか、あまり考えたり、欲っしたりしなかった。
「ただいま」
「……お、かえり」
小さかった郁がどんどん大きくなって、赤ん坊だったのがもうこんなに大きく――。
「? 文?」
「!」
首をかしげると、ツーブロックの髪が揺れた。
「あ、ありがと。今日、パートさんがあれで、始業式で、いないから」
サラサラふわふわ艶々だった髪は、今、毎朝ワックスでセットされて。当たり前だけど、もう子どもじゃないことに、まだ、たまに驚いてしまう。だって、こんなに小さかったんだ。小学生になる郁は僕のこの辺りだったのに。あ、でも、十二歳の郁はもうすでにそこまでミニチュアじゃなかったかも。視線がやや下ったくらいだったかも。
「文、日本語変だよ。それじゃ、パートさんが始業式に出てていないみたいになってるって」
僕と十二歳の頃から同じものを食べてるはずなのに・
「文? 何? じっと見て」
どうしてこうも背が変わるかな。
「や、ピッチャー並みの背だなぁと」
「? なんで、ピッチャー?」
「あー、いや、その、染料屋さんのさ、成田さん、と、郁の背があんまり変わらないなぁって思って」
「……」
「大きいなぁと」
甲子園かもって、昔、成田さんのお母さんがうちの母に自慢してた。ガタイがよくて、スポーツマンっていう感じ。実際、成田さんは高校球児で、花形のピッチャーだったけどさ。
郁は僕と同じものを食べているはずなんだけど。
「あ、そうだ。郁」
「……」
「郁?」
疲れたのだろうか。郁がどこかをじっと見つめて、その眉間に少しだけ皺らしきものがあった。始業式からすでに授業開始じゃ疲れるかもしれない。
「オムライス、ごちそうさま」
「……」
「ちゃんとカリフラワー食べたよ? もっと苦手だと思ったんだけどなぁ」
なんだか美味しかったんだ。食感なのかな。ぽりぽりしていて、むしろけっこう好きだった。
「美味しかった」
「……」
「ありがとね。これも取ってくれて」
今、気がついた。
「何? 文、笑って」
中学までは給食があったから全てではないけれど、そうか。
「ううん。僕もあのカリフラワーなら毎日食べられるかもって思っただけ」
「言ってるじゃん。カリフラワーって美味いって」
高校からはお弁当だから、僕と郁はまるきり同じものを食べてるんだ。郁と同じもの。それは家族っぽくてちょっと嬉しくなる。
「うん。すごく美味しかった」
ちょっとじゃなく嬉しくて、またくすぐったく感じた鼻先を指で撫でていた。
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