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第10話 背中に隠し事

 ――進路のことで三社面談を、三年生は早々に行うんですが、いやね、本人からもらった面談希望は昨日だったんです。で、私はてっきり、相馬さんがお書きになられたと思いまして。ところが、来たのが坂城一人だけで。保護者の相馬さんは? と尋ねても、一人でいい、の一点張りでして。 「はぁっ、はぁっ」  ――就職希望とのことだったんです。まぁ、それは別に本人がそれでいいならいいんですが。ちゃんと相馬さんと相談したのかと。  相談なんてされてない。 「あ、あの、すみません。今日、面談の、三年の、二組で」  息を切らせながら、受付にそう伝えると、おじいちゃん警備員の方が、掌を左右に揺らして中へどうぞってしてくれた。警備、というにはあまり警戒心のない門をくぐり中へ、職員室へと向かう。もちろん、自分が通っていた学校でもあるから、中のことは勝手知ったるだ。僕が通っていた当時は警備員さんがいなかったっていうだけで。  ――なので、一度、保護者である相馬さんに話を伺っておいたほうがいいと思ったんですよ。  今朝、特に変わった様子はなかった。昨日の夜も普通に一緒に夕食を食べていた。  でも進路のことも、面談のことも、何一つ聞いてない。何一つ言わなかった。教えてくれなかった。普段と変わりのない郁の今朝までの様子を思い出しては、胸のところが雑巾をぎゅうっと絞るみたいに、苦しかった。 「就職したいと言ってるんですか?」 「えぇ、坂城はそう言ってます」  就職したいなんて、何も言われてない。 「ご存知なかったですか?」 「え、えぇ」 「進学する予定だったとか?」 「あ、いえ」  そもそも、進路の話をあまりしてなかった。なかったけど、でも、もうそんなことを考えないといけない時期なんだなぁとはぼんやり思っていた。郁から相談されるものだと思い込んでた。 「あの……」 「まぁ、ぶっちゃけてしまえば、ご家庭の事情等がないのなら、もったいない気はします。勉強できるのでね。大学、行ってみるのもありかと」 「あ、あの、別に郁を、郁の進学分はちゃんと」 「そうなんですか?」 「えぇ、そのくらいはあります。保護者ですから」 「……ふむ」  あらかじめ準備はしてた。そんな話も進路という明確な感じじゃなかったけれど、進学したいなら別にお金のこととか気にしないでいいからねって。 「まぁ、昨日の面談からは相馬さんと相談して決めてる気配がなかったんでね。こうしてお呼びしたわけですが」 「……」 「どうしましょうか。今、あと少しで、授業終わるので、坂城を連れてきますか?」 「あ、いえ」  それなら、一度、僕と郁で話をさせて欲しいと頼んだ。先生も、まだ三年生になったばかりで、これから充分進路変更は可能だし、郁の偏差値であれば、進学に変更したところで慌てる必要もないと言ってくれて。面談はそこで終わった。 「ゆっくり、相談してください」 「……はい。ありがとうございます」  職員室横にある進路準備室から出たところで、先生が言ったとおり、授業が終わったらしい。チャイムが鳴った。僕が高校生だった頃とはまた進路のことは色々変わってるだろう。そう思って、僕なりに心の準備はしてたんだ。保護者なんだから、一緒に考えて、郁にとって最善の進路を選んでいこうと。思っていた。それなのに。  チャイムがスタートの合図みたいに、あっちこっちから生徒が出てくる。もう高校生にもなれば大人と大差ない背格好の男女。  大差ないけどさ、でも、まだ大人じゃないだろ? 笑った顔はまだまだ子どもだ。なのに、なんで郁は。 「いくー!」  教室から出てきた人の中で、特別見慣れたシルエットがあった。  郁だと思って、呼ぼうと口を開いたら、女の子が、先に郁を呼んだ。  郁がその声に振り返って、郁の肩ほどの背の高さしかない女の子が駆け寄る。笑って何か話しかけられれば、何か答えて、それに、また彼女が答える。  仲が良さそうだった。 「郁!」  僕の声は少し厳しさが混じっていて、彼女が、目を丸くして、口を開いたまま、止まった。  郁は、声で僕だってわかったんだろう。少しだけ驚いたけれど、昨日の面談があっての今日で、僕がここにいる理由に察しがついてるんだ。  口を結んで。真っ直ぐにこっちを見た。ただ、真っ直ぐに、見てた。 「昨日、面談だったんでしょ?」  まるでついて来るなとでも言うように、僕の半歩前を歩いていってしまう。背中がなんだか硬く強張っているように感じる。 「担任の先生から電話が来た。僕が昨日の四時でお願いするって、したんでしょ?」 「……」 「僕はそんなの、言ってない。一つも。そもそも聞いてないよ」 「……言ってないからな」  なにそれ。そう心の中で思って、胸から喉の辺りが熱くなる。苦しくて、立ち止まりたいけれど、郁は歩を止めない。きっと、ここで立ち止まったら、郁はどんどん行ってしまうんだろう。  じゃりじゃりとコンクリートに残る小さな石ころを踏む郁の足音がとても苦く感じた。 「就職って」 「あぁ」 「それも聞いてない」 「……言ってないから」  なんだよ、それ。 「言ったら、反対しただろ」 「したよ!」 「なんで? 文だって高卒で仕事してるじゃん。文はよくて、俺はダメなわけ?」 「隠してたっ」  就職だって、それがやりたいことなら応援する。進学したいのなら、それも応援する。郁が考えて選んだ進路を俺は反対しない。けど、今の郁の決め方なら、僕はどれでも反対する。 「隠して、だんまりで、一人で勝手に決めたことだからだよ!」  自分の声が少し震えていた。 「なんで隠すの?」 「……」 「反対するのは郁が隠してたからだっ。三者面談を僕抜きでしようとしたからだっ。適当に流して、担任の先生に言うからだっ」 「……」 「なんで、僕に相談なしでっ仕事って、どんな仕事?」 「……文には感謝してる」  ゆっくりと、郁がそう告げた。 「親類って理由だけで、身寄りのない俺を引き取って、全部丸ごと世話してくれたこと。母のことを疎んじたりしないでいてくれたこと、俺を家族として受け入れてくれたこと、すごく感謝してる」  暖かいけれど、少し湿り気を帯びた春の風が郁の前髪を揺らした。 「貴方がちゃんと育ててくれた。大学に行って特別学びたいことがあるわけじゃない。成績がいいのは、当たり前だ。貴方に通わせてもらってるんだ。しっかり勉強するべきだろ? ただ、それだけ。もう、十八になるんだ」  風が吹いて。 「だから、自立するべきだと思っただけだよ。貴方にしっかり育ててもらって、これからは自分で働いて、また勉強したいことがあれば、自分で稼いだ金で学費を捻出するべきだ。もしも、あの時、文が引き取ってくれなかったら、高校卒業と同時に就職してただろ?」 「で、でもっ、郁はっ」 「大学で学びたいことができたらその時は自分でやる」  雨が、降り出した。  そうだった。今日は、雨が降るんだっけ。 「文には、感謝してる」  慌てて飛び出したから傘を忘れてしまった。あんなに分厚い雲が空を覆っていたのに、僕は郁のことしか考えてなかった。  郁を、追いかけることしか、頭に、なかった。

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