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第18話 暑くて、熱くて
今年の夏は去年よりも暑くなるって予報どおりになんて暑くならなくていいのに。
「帰るのも一苦労だわぁ。もう夕方なのに……」
パートさんが険しい顔をして、忌々しそうに、これから自宅まで自転車に乗らないといけないんだと窓の外を眺めた。
でも、今年の夏は異常な暑さだと思う。
日よけ用のゴーヤがさ、実をつけないんだ。嘘みたいだけど、暑いところの植物ですらなんだか「暑い暑い」とぼやいてるみたいに項垂れて元気があまりない。でもそのくらい、暑くて。
「郁君は夏期講習とか行かれるんですか?」
「あー……ううん、行かないでバイトばっかりしてます」
「あらぁ」
――余裕だって。成績、合格ライン余裕で超えてる。
――でも、バイトなんて、別に。
――金貯めておきたいし。通うのに二時間かかるってことは定期代だってバカになんねぇじゃん。
「困っちゃいますよね」
本当に、ゴーヤだってなんだって、暑さでおかしくなっちゃうほどの猛暑だから、かな。
「アハハ」
僕も、変なんだ。
暑さでおかしくなってるのかもしれない。
「社長、お先に失礼します」
「……お疲れ様」
ついこの間、恋を知ったばかりなのに。
「ただいま」
桜が咲くよりも前の時点では知りもしなかった感情がたくさん今、手の中で暴れてる。
「……って、まだ、帰ってないか」
今、郁はアルバイトをしている。駅前のコンビニ。田舎だからそう色々な業種のバイトがあるわけじゃないし、高校生だからさ。バイトも限られてしまう。だから、別にしなくてもいいって言ったのに。定期代なんて、まだまだ先の話なんだし。
夏期講習はたしかに必要ないくらいに成績優秀。
もとから大学に行けるだけの偏差値は持ってたから、そこまで夏のラストスパートも必要ないんだけど、さ。
夏休みだけれど、ほぼ、郁が家にいない。
コンビニだからか、時間が遅くまでだったり、朝が早かったり。
もしかしたら学校があった春のほうがうちにいるかもしれないってくらい、ほぼいなくてさ。
「……」
なんか、ね。
「ご飯いらないですって……」
そんな置手紙があった。夕飯いらないってことは、夕飯の時間にはまだ帰ってこないってことでもあって、そしたら、夜、ほとんど会えないってことでもあるから。
「……」
ついこの間までは恋愛なんて、自分にとってとても縁遠いものだったのに。
「一緒、に……」
高校生になってから、夕食が終われば郁は自室で勉強を、僕は下のお茶の前でのんびりしながら、テレビを見たり、仕事のことを考えたり。それぞれ別の部屋で過ごしてたのに。
その時は何か思ってた? たとえば、寂しいとか、そういうの。
「ご飯、食べたいなぁ……」
恋を、知ったら。
「……郁」
恋しいって気持ちも、知ってしまった。
「……ん」
ふわふわしてる。
「んー……」
それと、なんか、少し、暑いけど。
「!」
目を開けると、鳥のさえずりと朝とは思えないくらいジリジリときつい日差しがカーテンの隙間から差し込んでいた。
「……寝、ちゃった? え? 寝……夕飯、食べたっけ?」
ぼんやりとした記憶をぼんやり辿っていくと、腹の虫もちょうどそこで起きたのか、ぎゅうって小さく寝惚けた音を出した。
状況が把握できてない。自室をぐるりと見渡したら、頭上のところ、ベッドヘッドのところに、紙が一枚。
――茶の間で寝てたから、ベッドに移動させた。疲れてそうだったから、起こさなかった。ごめん。飯、ざっとだけど作ったから。
斜め上がりの意思の強そうな郁らしい字。
僕を抱えて二階まで運んでくれたのかな。バイトで疲れてるはずなのに。ご飯まで作らせてしまった。
「……はぁ」
待ってようと思ってたんだけど、失敗しちゃったな。
下におりても、当たり前だけど、郁はすでに出かけた後で、シンと静まり返っている。
今日は、朝から、らしい。どれだけシフトを詰め込んでいるんだろう。休みの日は疲れが溜まってると思うから邪魔しないようにってしてるけど、今度の休みはいつなんだろう。その休みにまた少し遠出とか、できないかな。あまりに猛暑続きで外をほっつき歩くのも少し遠慮してくださいって感じだけれど。
去年は高校二年生とかでけっこう友だちとプールとか行っていた。でも、今年は三年、受験に、就職活動のための資格取得に、内申アップを狙ったボランティア活動。夏のうちにやっておかないといけないことも多いようでのんびりプールで遊ぶ時間もないのが普通らしい。パートさんに教わった。
「……いただきます」
申し訳ないことに、チャーハンを作ってくれてた。
「……美味しい」
それを大事に食べながら、朝から大合唱を続ける蝉の音を聞いていた。
「すごいわぁ。うちの娘なんて、休みの日はぐーたらぐーたらで、仕事のある日なんて寝るばっかりで」
今日も四十度を越えるところがあっちこっちにある超猛暑日になる。
もう社会人になった娘さんがいるパートさんに今朝、というか昨日の夜の失敗談を話した。郁のことを待ってたら、居眠りして、気がついたら朝だったって。
「でも、世話かからなくていいですね」
「……そうでも、ないですよ」
そう答えると、それを別の意味で受け取ったんだろう。そうでもない、それを郁は手がかかるんですっていう意味に捉えて、パートさんが驚いていた。
郁を知っているから。
だから慌てて、それを否定した。
そうでもない。良くない、っていう意味だったんだ。世話、かけて欲しい。
もっと、郁と一緒にいたくて、たまらない。恋を知ったら、恋しさばかりが募って、たまらない。
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