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第19話 背中
僕は恋愛事に淡白なほうなんだと、自分で思ってた。
子どもの頃、好きな子のことを、皆が内緒だぞ、誰にも言うなよって言いながら、真っ赤になって教え合うのを輪の端っこでじっと聞いていた。
ふーん、そうなんだぁって思うだけだった。
「えー? モテそうっすよ」
何がどうしてそういう会話になったのか。塗料を届けに来た成田さんとモテる、モテないの話をしてた。
「どこがですか。成田さん、目、悪くなったんじゃないですか?」
ナヨナヨしてる男なんてさ。女性が好むのは、成田さんみたいな男性らしい感じだったり。
「僕なんかより、成田さんの……ほうが……」
「郁、毎日バイトバイトばっかなんだぁ」
ほら、ちょうど、女の子がニコニコ顔で付いてきちゃうような、ああいうイケメン男子高校生がモテるんだ。
郁に絶対に気があるんだろうと、はたから見てて丸わかり。
「げぇ、お前、また明日もバイト? まーじーかー」
秀君も一緒にいたのか。
あのカリフラワーサラダを教えてくれた女の子と、郁と、並んで歩いているのがちょうど胸の高さくらいまである垣根の向こう側から見えた。
郁は二人から連日のバイトをブーイングされて、笑うだけ。暑いからと少し短めに切った髪のせいか、男らしさが増して、私服でいるとたまに高校三年生には見えないくらい。じゃあな、また遊ぼうぜって手を振る女の子と秀君と同じ歳なはずなのに。
大人の、男、みたい。
その郁がこっちを見た。
ね? 秀君もそう思うでしょ? 毎日バイトバイトって、確かに成績優秀で夏期講習は必要ないだろうけど、さすがに、受験生の大事な時期にダメだよね。
でも、バイトがなくて、夏期講習もしてないと、そこの、同じクラスの女の子が遊びに誘うかもしれないから、そう考えると、バイトしたほうがやっぱりいいかな。
なんて、我儘なことを思ってしまう。
「ただいま」
「おかえり」
「何? それ、運ぶの?」
「運ぶけど、郁、いいって、郁っ!」
バイトの帰り、疲れたでしょ? 慌てて自分で運ぼうとしたら、軽々と、一斗缶を二つ持ってしまった。
「……ちっす。あと、俺が運ぶんで、大丈夫っすよ」
成田さんに挨拶をして、僕を置いてけぼりでスタスタと倉庫のほうへと歩いていってしまう。
それ、かなり重いんだ。本当に、塗料って、水よりもずっと重くて、それがその缶にたんまり入ってる。成田さんは慣れてるし、元エースピッチャー、難なく持ち上げちゃうけれど、普通は無理だ。僕なんて一つ運ぶのでもけっこう大変なのに。
「郁っ!」
郁も持てちゃうんだね。
「あ、成田さん、ありがとうございます。また宜しくお願いします」
お辞儀をして、急いで郁を追いかけたけれど、捕まえられたのはもう倉庫の扉のところ。
「ちょっと、郁」
「……」
「郁ってば」
背が高いと足も長いのか。そんな重たいのを二つも持ってるくせに、よろけることもない。
「これ、色番号んとこにおけばいいんでしょ?」
「え、あ、うん」
「大丈夫。やっとくから。っつうか、俺にも手伝わせてよ」
「……え」
「俺、ここ就職先にしたいんだから、色々、覚えないとじゃん」
胸がトクンと、弾んでしまった。
「気、が早いよ。あ! あと! あれ、朝ご飯ありがと。僕のこと、ベッドまで運んでくれたのも」
重かったでしょ? それこそ一斗缶なんて目じゃない。それを二階のベッドまでってさ。階段とか。
「別に……」
「起こしてくれてよかったのに。あの、昨日、待ってたんだ。郁のこと。だから起こしても……全然」
「……文」
背、とても高いから。
棚まで軽々と手が届く郁が背中を丸めて、キスを、してくれた。そっと触れるキスを、ここはうちじゃないのに、くれた。
「……ンっ」
唇を吸われて、鼻にかかった甘えた声がキスの隙間から零れる。零れて、また郁に唇を啄ばまれて。
「ン、い……く」
郁の唇が柔らかくて、まるでお菓子みたい。
この唇、好き、なんだ。
「……郁」
もっと、触りたい。
「あんま、近く、来ないで」
もっと、キスしたい。
そう思って唇を開きかけたところで、肩をぐっと捕まれた。
「俺、帰ってきたばっかで、汗くせぇから」
「……そんなの」
気にしないのに。郁の匂いっていうか、そんな汗臭いとか感じなかったし。
けれど、郁の手が僕の肩を掴んでしまった。
「あと、まだ、運ぶの残ってるだろ? 俺、運んでおくから」
「ぁ、郁!」
「ここ、暑いじゃん、早く中入りなよ」
「い……」
郁、って引き止めるよりも早く、行ってしまった。大きな背中だった。しっかりとした厚みと、夏だからかな、筋肉のラインが服越しにもわかる。
あんなだったっけ?
あんなに、大人の男性みたいな背中だったっけ。
「……」
ホント、淡白なほうだと思ってたんだけど。
「ヤダな……もぉ」
郁はまだ高校生で、十八歳で、僕とは。
「……はぁ」
欲しいと、思ってしまう。
今年の夏は特別暑いから、少し、おかしいんだ。恋愛なんて自分自身には無関係で、遠いところの出来事で、周りが盛り上がってるのを静観するばかりだと思ってたのに。
熱に浮かされそうになる。
もっと近くに行きたくて、もっと――。
もっと一緒にいたいと思ってしまう。我儘なことを考えてしまう。郁のこと、もっと独り占めしたい、なんて、まるで子どもみたいな我儘を。
すっぽり自分が隠れられるそうな、あの背中に抱――。
「バカ……」
そう自分を叱って、今、望んだことを掻き消した。
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