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第20話 小さな恋の

 滲むように胸のうちに広がるのは、罪悪感。  まだ子どもだ。まだ、高校生だ。未成年の、男の子。そんな郁に春、恋をした。好き合えることの一つ一つに大喜びだったけれど、最近の僕は我儘で、ごうつくばりだ。 「えっと、初めまして。社長の相馬文彦といいます」  今日から夏休み中のオリエンテーリングで、職業体験として一週間、中学生たちがうちの相馬織物屋に通うことになっていた。  男の子が三人、女の子も、三人。指定されたとおり、汚れてもいい服と、エプロン、それと三角巾を頭にかぶって……きて欲しかったんだけど。それと、汚れていい服でって頼んだはずなんだけど。 「織物業、というのは……」  一人、女の子がとても可愛い格好をしていた。ワンピースって、スカートは仕事をするのに不向きだし。白っぽい色だけど、大丈夫かな。塗料扱ってもらおうと思ってたんだけど。 「着物になる前の布を作っています。まず糸を……」 「っぷ、あはは。すげぇ、文、中学生にタジタジじゃん」  引っ込み思案なわりにはごうつくばりな僕の一日の苦労を話したら、最近では珍しくうちにいた郁がお腹を抱えて笑った。  タジタジにもなるよ。  汚れてもいい服と言ったのに、髪の毛は邪魔になるからしばってきてくれといったのに、白いワンピースにサラサラの長い髪をわざわざカールまでさせてた女の子。三角巾は被ってくれたけれど、カールさせた髪はどうしてもしばりたくなかったみたいでさ。でも、さすがに、何度も髪を手で押さえたりしてるから、縛ってみたら? と、提案したら、むっすぅ、ってあからさまに不貞腐れられた。  今日から、九時から四時までの時間、あの子たちが職業体験をすることになる。  今日は概要を話して、こんなふうに織物を作っていると少しだけ糸を編んでもらってみたけれど、明日からはまたもう少し詳しい作業を説明しようと思ってる。  何千もの糸を染めるのも、織るのも、とりあえずやってもらわないと。 「はぁ」  やってもらおうと思ってたんだけど、大丈夫かな。  今日はダメだったから、明日、染料使いたいんだけど、今日みたいにデートまがいの服装してこられちゃったら、染料は断念するようだ。 「気にせずやればいいのに」  郁はそういうと、冷蔵庫から麦茶を出した。コップに注いだ麦茶を飲む喉がせわしなく上下にするのをジッと眺めてしまう。  外、暑いよね。室内での仕事がほとんどの僕でさえへばりそうになるんだから。 「気にせずって言っても」  でも可哀想かなって、思ってしまう。  でもでも、仕事をするのにそれはちょっとダメでしょって、思うし。 「郁って、あんな感じだったっけ? 中学の時って。もっと、こう、素直だった気がするんだけど」  そうぼやくと、郁が空になったコップを流しに置き、眉を上げて肩を竦めた。 「そりゃそうだろ」  そして、そのコップを洗うと、懐かしかったのか、くすりと笑った。 「好きな人に嫌われたくなんてねぇじゃん」 「……」  中学の頃に比べてずっと骨っぽくなった手。郁が使ったガラスのコップは、郁が小さい頃からずっとうちにあるものだ。今はもう片手で難なく持ってしまえるほど大きくなった郁の手をじっと見ていた。  その手が僕の手首を掴んで、そっと、キスをした。  視線がぶつかって、すぐそこに郁がいて、笑って、僕の手首が細くみえる大きな手が離れる。  そして、汗臭いからと呟いて、シャワーを浴びに風呂場へと向かった。 「…………え? じゃあ、郁もあんなに不貞腐れたりしてたの?」  そんな独り言を呟きながら、思い返してみても、やっぱり当時の郁ははにかんで笑うのが良く似合う、素直な可愛い中学生だった。 「昨日も説明したのですが、織物、反物と呼ばれている布はこういった糸を何千本も縦横に交差させて織られた布です。まず、糸は」  よかった。今日はさすがにズボンにTシャツで来てくれた。いまだに髪はカールさせてるけど、まだ昨日よりは作業しやすいと思う。 「そしたら、染料は、えっと、光岡(みつおか)さん?」 「あ、はい!」  昨日はワンピースにカールさせたヘアースタイルだった女の子を呼ぶと、ぴょんと飛び跳ねるように肩を竦めた。 「じゃあ、ちょっとやってみましょう」 「はい……」  返事は素直だった。指示されたことを一生懸命に聞いて、頷いている。緊張するよね。口を真一文字に閉じて、きゅっと眉を凛々しくしかめた。 「あ、えっとね、これは」 「はい……」  彼女が作業台についてしまいそうな髪を手で押さえようとした時だった。 「きゃっ」 「これで結ぶと邪魔にならないよ」 「郁?」  びっくりした。郁が工場のほうに来ることなんて滅多にない。その郁が中学生の職場体験の中に突然現れ、昨日話した不貞腐れの女子中学生の髪を織物の切れ端で結わいてくれた。ポニーテールでもおだんごでもなくただ縛っただけだけれど、和柄の、これは振袖のだ。布切れという割にはとても煌びやかなそれをリボン代わりに使った。 「これ、うちの社長が作った織物の切れ端」  彼女は目を丸くしていた。いきなり背後から見知らぬ高校生に髪を結わいてもらってる、なんて誰だって驚く。 「そんで、今、君が染めようと思ってる糸を重ねて織って作った布切れだよ」  けれど、そう言って笑う郁に、光岡さんという不貞腐れていた女の子は少し照れくさそうに、反物らしさのあるごわつく布紐を手で触って、頬を赤くした。 「びっくりした。郁」 「ビビった?」  頷くと、悪戯が大成功したと笑った。 「ああいう場合はさ、見てくれ気にする子だから」 「……あ、りがと」 「どういたしまして。っつうか、タジタジになってる文が見たかったんだ」 「なっ!」  楽しかったって、僕は楽しくなかったってば。  でも、郁があげた反物の端切れが気に入ったらしく、彼女はそれを取ることなく作業を続けていた。今は、皆がそれぞれ好きな色で糸を染めている最中。 「もぅ……」 「緊張してる文が見れて得した」 「郁!」  叱るような口調で呼ぶと、殊更楽しそうに笑っていた。 「教えるのなんて初めてなんだから、緊張も、する……よ……」  ふわりと、着地した。そして、「なるほど」の言葉が一番しっくり来る感じ。 「あの子……」  髪を気にしてた、とても可愛いワンピースを着てきてた、そんな彼女はチラチラと視線を向こうに投げる。隣の隣、糸染めにはしゃぐ同じ班の女子の向こう側で、男子に両サイドを挟まれている一人、大人っぽい見た目の男の子を見つめていた。

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