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第21話 佐藤さんと、田中さんと、加藤さん
彼女の視線は真っ直ぐではなく、何度も、小刻みに、彼を見てた。男子三人の中、並ぶと抜群に背の高い、サッカー部っていうよりは野球部とかにいそうな短い髪の男の子。
その子をチラッと見ては、俯いて、声がしたら、また見て、俯いて。糸染めに夢中な他の子は気が付かないくらい小さな視線がたくさん。
でも、その野球部にいそうな彼は意識すらしてなさそうだった。真っ黒に日焼けした鼻先が痒いらしくて、そこを指先で引っ掻いては、また隣の男の子と笑いながら糸をじゃぶじゃぶ洗ってる。
男の子はちっとも気がつきそうもなくて。
女の子は気がつかれないように、一生懸命、隠してて。
「…………なんか、もどかしい」
「は?」
「もどかしい!」
テレビなんてそっちのけで、ふと、日中の彼らを思い返して、そう呟いた。
「文?」
「だって!」
あれじゃ、気が付かないでしょう? 男の子には伝わらないじゃないか。
「どうしたの? 文、ずいぶんおせっかい」
「だって!」
茶の間のお膳に肘をついて、夏の映画祭りの一つ、アニメ映画を眺めていた郁が、珍しく血気盛んな僕を見て、眉を上げた。
「お、おせっかい、すぎる? なんか、ちょっと、うるさい?」
「いや……別に?」
「……」
ダメ、だった? こういうの首を突っ込むうるさい三十四歳はあまり好きじゃない? 郁、こういうのクールなほうだもんね。その同じクラスの秀君と同じ年にはたまに見えなかったりするし。落ち着いててさ。好きだって告白されても、慌てもしないもの。
何度か、見たことはあるんだ。
都会暮らしをしていた郁は田舎じゃちょっと目立っていた。中学校はきっとざわめいたことだろう。同じ歳には見えない洗練された郁の外見に、大人びた仕草とかしゃべり方は、ちょっとどころじゃないほど。
――あ、あの、私っ、えっとっ。
真っ赤な顔をして、ぎゅっと手を握り締めて、一生懸命に告白をする女の子を見たことがある。
学校では話しかけづらかったのかもしれない。男友だちもけっこう多かったから。でも郁はいつも「ごめん」って断ってたっけ。どんなに可愛い子が告白しても、郁の答えは変わることなく「ごめん」だった。
「前までなら、文は絶対に、ふーん、で終わってたよ。好きとか、あんま興味なかったでしょ? 去年くらいまでなら」
「……」
「けど、今は違う。おせっかいをやくくらいには、恋愛事に興味を持ってる」
「!」
「ずっと、見てたから、わかるよ」
ずっと、見てた。ずっと、恋愛に興味がない僕を見ててくれた。それは、告白をしにうちへ来てくれた、幾人かの子に「ごめん」と告げた時も、なのだろう。
「おせっかいすんのは、文が今、恋愛をしてるってことだろうから」
「!」
腕を引かれて、引き寄せられて、唇が触れた。
触れて、すぐに離れて、しばしの沈黙。
「し、してるよ? 恋愛」
「あぁ、そうだね」
郁と、してる。
「……」
だから、そう告げるように、僕からもそっとキスをした。お茶の間には、夏のアニメ映画が流れていて、蝉の音と、自転車を漕ぐ音が聴こえてくる。けれど、お茶の間からは、それにはあまり似つかわしくない、リップ音がひとつ、僕のしたキスひとつだけが聞こえた。
「…………これだ」
これ、とてもいいんじゃないかな。
「社長?」
ほら、これはとても効果的なんじゃないかなって。
「どうかしたんですか? 花火大会のポスター見つめて」
「これっ!」
これだ!
急に大きな声を出してしまって、パートさんがポカンとしていた。でも、これだ。これだと思う。
あの野球部っぽい男の子が恋を意識して、あのお洒落な女の子が最大限、そのお洒落でアピールできそうなチャンスは。
「ちょっと、自治会行ってきます!」
「へ? え? 社長!」
さっきこのポスターを町内会の佐藤さんが持ってきたってことは、今、配り歩いてるってことで、花火大会主催者は自治会でそのポスター配布のことを何かしらやってる最中だと思う。
田舎だから、横のつながり、縦のつながり、織物じゃないけれど、そういうのはけっこう濃密に残っていて、こういうイベントとかで商業組合は少しだけおまけしてもらえたりするんだ。その代わり、お祭りなどのイベント時はご協力をいただくことがございますっていう。
うちも毎年、父の代からずっと「相馬織物屋」としていくらか出資をさせてもらっていた。
そして、出資をした企業は謝礼代わりに特等席のチケットをペアでもらうことができる。僕も何度かそこで見させてもらったことがある。郁がうちの実家に遊びに来るのは四月の桜の時期ばかりだから、その特等席に座りながら、よく残念な気持ちになっていた。
見せてやったら、郁は喜ぶだろうにって。
でも、りょうさんが話してた水上花火大会のほうを知っていて、ただ普通の夜空に打ちあがる田舎の花火大会じゃ、楽しくないかもしれないけれど。ただ、一緒に見たいなぁって思ったっけ。
あの特等席なら花火がよく見える。それに周りは知らない人ばかりで、あの光岡さんも友だちの目を盗んで、チラチラ見たりしなくていい。
「あの! すみませんっ!」
歩いて十五分、走って五分程度のところにある自治会館に顔を出した。
「あのっ……」
ポスターを配るための手配をしているんだとばかり思っていた。けれど、会館の中、玄関から見ることのでき大広間には人が誰も座っていない。荷物はあるけれど、人の気配が……と思ったら、奥のほうから声がした。慌しく、緊迫した様子だ。なんだろうと思ったら、扉が開いたのかもしれない。気配でしかなかった声がぽーんと溢れるように、はちきれそうな勢いで聞こえた。
「救急車あと少ししたら着きます!」
そして、目を丸くする暇もなく、町内の顔見知りたちがぞろぞろと出てきた。
「あんまり動かさないほうがいいだろうよぉ」
「けど、ここにっつうのもきついでしょう」
「おーい、田中のじーちゃん、もう少しで救急車来るからなぁっ!」
田中のじーちゃんって、あの、畳屋さんの? たしか、もうけっこうなお年だとは思ったけど、元気で、夏の花火大会ではすごく張り切ってたと。
「イデデデッ!」
その田中さんが腰を押さえながら、他の町内会の人たちにほぼ抱えられながら出てきた。と、同時くらいに、けたたましいサイレンの音がして、救急隊の方が、大人数人がかりで運び出した田中さんを担架に乗っけて――。
「あ、あの……田中さんは?」
「あー、ぎっくり腰しちゃってさぁ、こりゃ花火大会困ったなぁ」
「はぁ……」
「花火委員やってたからさぁ、あの人」
「……はぁ」
そこで、目が合った。加藤さんと。ハンコ、名札作ります、の、加藤印刷屋の、加藤さんと。
目が、合ってしまった。
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