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第22話 恋の横顔
ただ、優待席を二つ、いつもいただけるそれをちょっと確認しておきたかったんだ。今週末であの子たちの職業体験が終わってしまうから。その今週末に花火大会が開催されるから。
けれど後悔後先……もうあと少し早くに自治会に行っていれば、もう少し遅くに自治会に顔を出していれば……いや、後じゃダメか。後だったら結局同じような結末が待っていたと思う。まさか。
「はぁ?」
まさかのまさかだ。
「花火委員?」
「そう。田中さんの代わりに」
申し訳ないほどの溜め息を吐いて、しょんぼりと肩を落とした。
普段なら、いいよ。別に。地元のそういうことに一企業として微力ながらにお手伝いすることに異存なんてないけれど。でも、今回はさ。
――なぁに、もうほとんど準備は終わってるから、後は当日の進行のチェックとか、そんくらいなんですよ。
――大丈夫大丈夫。ただ座って進行表を確認してもらえればいいから。
進行、進行って、そう佐藤さんと、加藤さんに軽い口調で言われたけど、でも、田中さんはまるで命に代えてもおお! みたいな雰囲気で「進行が、ぁ、ぁ」って言ってましたよ。どっちなの、軽いの? それとも命と引き換えにしないといけないくらいなの? 花火大会って。
なんで当日なのかな。
それまでの準備だったらいくらでも手伝うのに。どうして当日。
またひとつ溜め息をついた。
だって、郁と花火見たかった。優待席じゃお隣の席が気になるから、うちから見たかった。ちょっと途中にあるいくつかの建物に邪魔されて端が欠けてしまった花火でいいから、二人で見たかったのに。
「じゃあ、花火大会の日って……」
「うん。運営席で進行チェック」
「……そっか」
郁はそう言うと小さく笑って、飲みかけのペットボトルを飲み干した。
「けど、そしたらでかいのが見えるんじゃねぇ?」
「……」
朗らかな笑顔。
あ……そういえば、郁って毎年、花火大会、秀君を含めた数人と会場で見てたっけ。そしたら、今年も、もしかしたら、そう?
急に今年は参加しないから、なんて言ったら、なんでなんでってなるよね。今更、親戚と一緒に見るなんておかしいし。かといって、相手を言わなかったら、詮索されて大変そうだし。
「あ、うん。そう、かも。大きく見える、かもね」
「……」
「郁は?」
「あー、たぶん、クラスの奴らと見る」
そうだよね。そうなるよね。うん。だって、そのほうが無難だ。
「そっかぁ」
あの女の子も、来るんだろうな。なんてね。
「特等席で進行役してる文を見物でもしてるよ」
「え? やめてよ」
来るだろう。あの子は郁のこと好きだから。
「そんで? その中学生にあげる優待席のチケットは?」
「もちろん、ゲットした。なんか、田中さんの分もどうぞって、三枚になりそうだったけど、二枚がいいんです! ってお断りした」
あの子が郁を好きなことにヤキモチをやいている。だってこれは恋なのだから、そりゃヤキモチのひとつやふたつ焼きまくる。
「普通、ぎっくり腰やった田中さんももらうならペアでもらってんじゃねぇの? そしたら、四枚のはずじゃ」
「あ! 本当だ!」
「……ドジ」
「ドジじゃないってば。けど、でも、郁、いる? 優待席」
「いるわけねぇじゃん。誰も彼氏彼女持ちいねぇし」
「……そっか」
彼氏彼女、ってことはやっぱり女子も混ざってるんだ。その花火大会観覧グループの中に。それがわかってしまって、胸の辺りが焦げ付く。ヤキモチってやつだ。けど、それは仕方ないよ。恋をしてるんだから。
「っていうか、皆いないの? 彼氏彼女」
「うっせぇな。俺はいるっつうの」
「……うん。いる」
恋をしているけれど。
「文」
「?」
「……」
この恋は誰にも知られてはいけなくて、知られてしまったら、郁も僕も今は幸せになれなくなる、そんな恋なんだと実感してしまった。
今、郁がくれた触れるだけのキスでさえ、こんなに小さくてささやかなキスでさえ、秘密にしなくてはいけないんだなぁって、思ったんだ。
だから、かな。
「え? あ、あの……」
だから、秘密にしなくてもいい恋の応援をしたくなるのは。
花火大会の優待席チケットをこっそりと二枚手渡すと、彼女が戸惑っていた。光岡さん。あの着物の端切れのリボンが気に入ってくれたのか、今日で最後になる職場体験、そんな最終日にもそのリボンを使って、髪を後ろに束ねてくれていた。織り作業は大詰めで、もうほとんど自分たちで進めることができるから、もう見ているだけで大丈夫なくらい。
そんな作業の途中、休憩の時に他の女子が席を離れた隙を狙って渡した。
「それ、うちの相馬織物が頂いた分のチケットなんだけど、僕は当日、運営席で仕事があって無理そうなんだ。家族も特に使わないから。もしよかったら」
「で、でもっ」
「二枚しかないから、他の子にはないんだけど。使わなかったら誰かにあげてもらっても全然」
戸惑いつつも頬をほんのり染めた彼女にそのチケットを託すと、もう、すぐにでも戻ってきそうな女の子ふたりに見つからないようにその場を離れた。
頑張れって小さく声援を送って。
だって、今、男の子のほうは気にしていた。他の女の子よりもマセてて、大人びている彼女に、三十四歳の大人が何の用だよ。何を手渡したんだよって思ったんだと思う。
「さて、それじゃあ、あと残り少しで出来上がりなので、もうちょっとだけ作業頑張ってください」
頑張れ。
「何かわからないところがあれば何なりと言ってくださいね」
頑張れ、ガンバレ。
「あ、あの……これって、どうやるんですか?」
「あぁ、これはね」
「すみません。ここって」
「はい。そこは……」
ガンバレ。
「じゃあ、皆さん、織物できあがったようなので。一週間、ご苦労様でした。やってみてどうでしたか?」
せっかく誰に気兼ねをする必要もなく、好きな子と花火を一緒に見られるのなら、ガンバレ。
いっぱい手を繋いで、並んで、花火を見上げて。
「楽しい一週間をこちらこそありがとうございました」
笑い合って。
恋をたくさんして欲しいんだ。
「や、矢崎くん!」
とても緊張してそうな声だった。少し震えていた。耳まで真っ赤になっていた。
「あ、あのっ」
そんな彼女の横顔を見ながら、僕はもう一度、ガンバレ、って心の中で声援を送った。
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