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第23話 君と花火を

 花火大会前日、昨日、当日の流れみたいなのをメールで頂いたけれど、それ以外はほとんど本当に何もすることがなかった。 「ね、郁……変? この服」  お昼過ぎ、僕はもう行かないといけなかった。いくら近所の商店繋がりの委員だとしても、田中さんの代打だし、あんまりラフすぎてもおかしいだろう。でも、あまりにきっちりしすぎてると暑そうだし、何より仕事しにくそうだ。スラックス、ベストはいらないかなって。だからポロシャツくらいがちょうどいいと思うんだ。 「……白、のほうがいい? ポロシャツ」 「いや、紺でいいよ」  即答されて、自分で尋ねたくせに、ちょっとショックだったりして。白だとおじさんくさいよね。三十四ともなると、やっぱりさ。でも、おじさんの輪に入るし、そっちのほうがちゃんとしてる感じはするかな、とも。 「白とか、なんか、エロいし」 「は? エッ、ろ……て」  郁の口から飛び出した単語一つでうろたえた。エロって、エロって、僕が? 白いポロシャツが? どっちにしても、郁ってそういう単語を言ってみちゃったりする? するの? そういう。ェ……ロいこととか、その。 「なんでもない。っつうか、一応、紺のほうがいいんじゃね? 白だと学生っぽい。打ち上げ、出るんだろ?」 「やだなぁ、郁、さすがに学生には見えないってば。飲酒してても捕まらないって」 「……はぁ、そういう意味じゃねぇよ」 「? な、なんで、溜め息」  頭を抱え込むように重たい吐息と、チラッとこっちを伺われて、思わず紺色のポロシャツの裾をぎゅっと握ってしまった。 「……なんでもない。つうか、時間じゃないの?」  そうだった。お昼過ぎに集合して、それで、お茶の手配とか確認しないといけないし。進行係りとして花火師の方々にご挨拶をしないと。  で、花火大会が終わったら打ち上げ。公民館でドンちゃん騒ぎって言うほどには騒げないだろうけど、でも一次会のそれくらいは出ないといけないだろう。田舎ではご近所付き合いはとても大事なことだから。二次会はさすがにいいかな。お断りしても。その分、一次会の支度とかを頑張ることで免除していただこうとは思っている。 「そ、それじゃ、いってきます。郁は? 夕方だっけ」 「あぁ」  花火一緒に見たかったな、なんて。  水上花火でもないし、何万発って打ち上がるたいそうな花火大会でもないけれど。でも、郁と見たかった。 「……気をつけてね」 「あぁ、文も」 「とちらないように頑張る」  クスッと笑った大人びた郁とは雲泥の差がある駄々っ子のような自分に苦笑いを零して、それこそ子どもの失敗みたいに、遅刻、なんてことにならないよう、慌てて靴を履いた。でも、やっぱり名残惜しくて、ひとつだけ、溜め息を玄関の石畳にひとつだけ落っことした。  夜になれば日中のうだるような暑さが和らぐかと思いきや、日中とほぼ変わらない暑さの中、二千発の花火が打ちあがっていく。  二千発っていうとなんだかとってもすごそうに感じる。けれどこの感じになってしまうんだぁとか。それならあのテレビ中継もされるような花火大会って何発くらい打ち上げしてるんだろうとか、ぼんやりと考えていた。  席について花火を見上げられるようになったのはプログラムの半分を過ぎた頃だった。もうそれまではあっちこっちと確認しに回ることに忙しくて、花火なんて見てる暇もない。 「おー見事見事」  隣で一足先に座った加藤さんが扇子をパタパタ仰ぎながら、空高く上がっていく花火にそう声をかける。  光岡さんに上げた優待席、どうなったんだろう。忙しかったのもあるけれど、でも、そこに彼女が誰といるのかを確かめるのは野暮かなぁとか思ったから知らないんだ。  だって、職業体験最終日、帰り間際に彼女は彼に声をかけていたからさ。一緒に座っていなかったのなら、断られてしまったってことなんだろう。一緒に座っててくれたら嬉しいけれど、大丈夫だと思うけれど、どうだろうね。 「お、次は特大かもですな。相馬さん」 「そうですねぇ」  頷いて、加藤さんが見上げた先にある花火を僕も追いかけた。 「おおお、すごいすごい」 「……」  郁はどこで花火を見てるんだろう。あの子は、あの女の子は花火を見てるんだろうか。それとも花火を見ている郁を見ているんだろうか。隣に、いるのかな。浴衣とか、着てるのかな。着てるよね。  よかった。僕のほうが家を出るのが早かったから、見ないで済んだ。  秀君もいるし、複数人だって言ってたけど、二人が並んでたら、やっぱりカップルに……。  ドオオオオオン 「!」  びっくりした。考え事をしてたから、いきなり夜空に響き渡った大玉の炸裂音に飛び上がった。でもその時には、すでに火花はパラパラと散りきったあと。  今の見たかな。郁。 「あははは、今のはびっくりしましたねぇ」 「え、えぇ……!」  ポケットの中のスマホが振動した。めったに使うことのないスマホは慣れてなくて、操作に手間取ってしまうんだけれど。画面を開いた瞬間、ほわりと胸のところがあったかくなった。  ――今の、すげぇ綺麗だった。  郁からのメッセージに、胸のところの焦げ付きが消えていく。  ――あんまり見てなかった。  もしかしたらあの女の子が隣にいるかもしれない。  ――は? 寝てた?  ――寝てないよ! 町内会の人がたくさんいるのに居眠りなんてできるわけないでしょ。  秀君もいて、あの女の子もいるだろう。  それでも僕にメッセージをくれたこの会場のどこかから、同じ花火を見上げて、その横顔は見れないけれど、こうして電子に乗せて会話をしてる。  ――進行チェックの相馬さん、あと何発くらいで終わり?  えぇ? あと?  慌てて、進行表を確認した。もう残すはフィナーレの三百発連射だけだ。それに備えて、今は間延びしたタイミングで普通の大きさをした花火が打ち上がっている。  そのことを告げると、もう終わりじゃん。寝ないように、なんて、言われてしまった。  違うってば。  ちゃんと起きてました。ただ。  ――ただ、郁とこの花火が見たかったなぁって思ってボーっとしてただけだよ。  そうメッセージを送信した直後、雷鳴のような爆発音が一斉に空に響き渡った。そして、夜空は一瞬で閃光が走り乱れる三百発の火花で覆われる。隣だけじゃなく遠くまで確認できてしまうほど辺りが明るくなった中、うちの相馬織物が用意してもらえた席の辺りに、他の誰よりも華やかな浴衣と髪留めの花が見えた。  光岡さんかな。  でも、華やかな浴衣はひとつだけ。隣はちっとも目立たなかったから男の子なのかもしれない。  わからなかった。  三百発なんてあっという間だった。すぐにまた暗くなってしまう。ほんの短い瞬間だけの閃光が急激な暗闇の中、目の奥にだけ残っている。  ずっと握り締めていたスマホには僕が送ったメッセージが最新で表示され、隣には既読のマークが。  会いたかった、なんて子どもの駄々っ子みたいなことをしてしまった。 「さて! 撤収して公民館で打ち上げですな!」 「……はい」  言っても仕方ないのに、そう思うと、なんだか笑顔がしょぼくれた。  郁のほうがさ、高校生で恋愛とかきっと謳歌したい年頃なのに、相手が僕だから、それができない。隣で花火を綺麗だねって微笑む同級生が相手なら、どれもこれも簡単に満喫できることなのに。簡単に恋を楽しめるのに。  あの子、可愛かったよ。いい子そうだった。元気でハツラツとしていて、周囲はお似合いだと言うと思う。秀君だって、あの子が恋の架け橋みたいなものを手伝って欲しいと頼んだら、すぐに手伝ってあげるだろう。  恋をしてはいけない相手じゃない。  恋をして、怪訝な顔をされてしまうような相手じゃない。  もしかしたら、今夜、その架け橋をあの子は秀君に頼んだかもしれない。 「あれぇ、相馬さんはもう帰られるんです?」 「あ、はい。すみません。明日も朝から仕事なので」  千鳥足の加藤さんがにっこり笑って、子ども用に用意しておいた駄菓子セットひとつ手土産にとくれた。 「こちらこそ、すみません。暑い中、昼から、色々と。急遽田中さんの代わり頼んじゃって」 「いえ、何もできなかったですが」  皆はこのあと二次会にカラオケスナックって言ってた。僕はここで退場させていただくことにする。 「今年、受験でしたっけ?」 「郁、ですか? えぇ、受験なんです」  それは大変だろうと快く退場させてもらえそうだ。 「お疲れ様でした」  お互いにそんな言葉を掛け合い、靴を履いて外に出ると夏の夜風がやたらと新鮮に感じられた。  もう帰ってるよね。  僕が打ち上げに行くからって、郁もまだ外ってことは、ないよね。あの子と一緒なんてこと――。 「捕まんなかった?」 「……」  告白されたりとか。 「学生なのに飲酒っつって」 「……」  可愛い浴衣に可愛い花飾り。紺色のポロシャツなんかじゃ到底敵わないキラキラとした彼女からの好きって気持ちに――。 「……郁」 「酔っ払いのお迎えって理由なら、いけるかなって思ってさ」  夏の夜風は心地いい爽やかさなのに、郁の笑った顔を見たら、なぜか、日中みたいに身体が火照って頬に熱が滲んだ。

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