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第24話 大人とガキ
夜になると日中の湿気を含んだ熱気が消えるような涼しげな風が吹いていたのに、郁と並んで歩く帰り道、なぜか急に熱を感じてしまう。
――酔っ払いのお迎えっていう理由ならいけるんじゃねぇ?
郁が楽しそうに笑って、公民館から少し離れたところに自転車で迎えに来てくれた。
家族、だから、高校生の郁と僕の恋は誰にも知られてはいけないことだから、そんな理由を振りかざして。
「そんで、秀がイカ焼き食うのに必死すぎて笑えた」
「あははは」
カラカラと自転車のタイヤが回る音が軽やかで、楽しそう。
「他の奴もほぼ食ってばっか」
「花火は?」
「見てたよ。相馬織物って聞こえたから、おっ、って思ったけど」
「普通のだって思ったんでしょ?」
郁が肩を竦めて無言の返事をする。あれでもお値段はけっこうするんだから。わが相馬織物屋としては全力で町の活力にと貢献した結果なんだぞ。
「郁は?」
「?」
「何食べてたの?」
今日も一日暑かった。暑くて、首筋をツーッと流れる汗を何度も拭った。その首筋を撫でるような夜風が心地いい。
「……なんも」
「食べなかったの?」
「文は……文は花火見てんのかなぁって思いながら、花火見てた」
「……」
優しい笑顔にドキッとしてしまうんだ。
「か、彼女、も、来てた?」
「? 彼女って?」
「同じクラスの子、郁のこと」
「あぁ……来てたよ」
だよね。きっと浴衣を着て、いつもと違う雰囲気のいでたちに自分自身もはにかんで照れて、可愛い笑顔で。お化粧とかしてみたり。色っぽかったり。
「けど、ずーっと、文のこと考えてた」
「……」
「そうだ、あの子は? ほら、職業体験の」
たぶん来てたよ。しっかり確認はしていないけれどもらった優待席の辺りに可愛い浴衣と可愛い髪留めがチラッとだけ見えた。ひとりだけ。女の子同士で座っていたのなら、可愛い浴衣も髪留めの花も二つずつ見えるだろうけれど、目に入ったのは一人分。だから、多分、あの男の子を誘って二人で見てたんじゃないかな。
「そっか……」
「うん」
自転車のタイヤの音が響いてる。田舎だけれど、それでも今日はやたらと静かで、誰もいないみたいな気がする。たぶん、皆、この辺りで一番のお祭りにはしゃいで駅前の辺りに集まっているんじゃないかな。
花火の余韻が残る夜の空気はふわりと少し眠そうだ。
「郁、気にかけてたんだね」
「まぁ、な。羨ましいって思った。花火大会をさ、好きな相手と見られるのって。去年までは我慢できてたんだけどなぁ」
郁のぼやきにも似た呟きが静かな夜の中に溶けていく。
去年までは片想いだから、そもそも諦めて、うちにいないように務めていた。一緒に見てたら、自分が普段は我慢している一言を告げてしまうかもしれないと、友だちと花火を見に行っていた。でも、今年はそうじゃない。
「一緒に見られるって思ったのに、文が運営とかなんかやることになってるし」
「そ、それはっ」
「そんで、打ち上げがあるとか普通に言ってるし」
「だって」
「ガキって思われたくねぇじゃん」
町内のそういう付き合いが大事なのはわかってる。大人は何かと色々あるんだって知ってる。
「だから、すげぇ我慢してた」
「……」
「けど、文がメッセージで、一緒に花火見たかったって呟くから」
夜風は涼しくて、心地良かったのに。
「すっげぇ会いたくなって迎えに来た」
「……」
今、なんだかとても熱い。
「たかが花火大会くらい我慢しろよって話だよな。わかってんだ。知られたらダメっつうの。俺じゃなくてさ、文の立場がすげぇ悪くなるって、仕事だってしづらくなるだろうし、近所から何言われるかわかんねぇじゃん」
指先だけじゃなく、胸のところもじわりと熱が滲んで広がる。
「あそこの人は、身寄りのなくなった親戚の子どもを引き取って、何をしようとしてるんだか、そう言われかねないだろ?」
「……」
「相手はまだ高校生」
そう言われかねない。
「早く時間が経てばいいのに……」
郁の前髪を風が揺らして、その横顔の儚さに切なくなる。
花火大会の日、運営にいなくちゃいけなくて、その後は打ち上げでって話した時、郁はどんな顔してた? 返事はいつもと変わらなかった? 寂しそうにとか、一緒にいたいと言ってみたりとか、恋しそうにとか、してなかった?
してなかった。
一緒にいたいって思ってくれてたことを隠して、普通の表情、普通の返事をしてくれた。
「僕はっ」
「……」
「会場で見る気なかったよ」
あのチケットはそもそも使うつもりなかったんだ。だから、ちょうどいいって思った。余らせて空席を作るよりも、中学生の愛らしい恋の手伝いに使ったほうがいいと思って。
「郁と二人で、うちで見ようと思ってたんだ」
「……」
「うちからだと、ちょっと、花火欠けちゃうけど」
それでも充分、僕は嬉しいだろうし、楽しいと思う。
「郁と見られるなら、別に……」
「文」
「早く時間が経てばいいなんて、言わないでよ」
「……」
「友だちがいて、楽しいこともたくさんあるのに、そういうのもったいないよ。僕は、どんな郁も、好き、だよ?」
一歳の無邪気な郁だって、十一歳の儚げな郁だって、今の、とてもカッコいい郁だって、全部好きだ。
「本当に全部、好き、だよ」
「……」
色んな郁に色んな好きを僕は持っている。どんな郁も大事で、愛しく感じてる。
「今の、もどかしいけど、でも、そんな郁も、もちろん」
「……」
そのくらい好きだから、大事にしたいんだ。誰にも郁のことを傷つけさせたくない。僕自身にも傷つけさせない。
「ね、郁」
「?」
「ちょっと」
僕らが話をしている間、ずっとカラカラって自転車のタイヤが軽やかな音を鳴らしてた。
「文?」
そのタイヤの音が止まる。そして、郁は、今から僕がしようとしている悪巧みに、目を丸くした。
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