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第25話 極悪人
風が、気持ちイイ。
「やっほおおおおおお!」
「ちょ! おい! 文っ!」
下さり坂をびゅーんって。だから、ほら、声がさ、置いてけぼりになっていく感じ。
「わああああ!」
「うっせぇって!」
あはははって笑った声も、もう後ろに置いてきたよ。
自転車で、まさかの二人乗り。
「いけー!」
「ちょ、バカ、バランス取る側の身にもなれよっ酔っ払い!」
たしかに! 僕、飲酒もしてたっけ。ビールをグラス一杯だけ飲んでしまった。それに加えて、親戚の高校生に自転車を漕がせて、自分は後ろに座ってるだけ。二人乗りの大罪人だ。
「わーいっ!」
犯罪者だよ。
足を真っ直ぐ前へ、風でもなんでも蹴り飛ばせる勢いで。郁の大きな背中を風避けにして、ご近所さんからは非難轟々だ。
僕が言い出したんだ。
ねぇ! って、郁を誘惑して、自転車で二人乗りで帰ろうってそそのかした。悪いことをしてる。
「郁―!」
「あぁ? つかっ、マジで、バランス取りづらいっつうの! じっとしてろよ!」
「やだー!」
「うっせぇっつうの!」
聞こえなーいって嘘をついて、空を見上げた。
「……」
星がまるで桜の花びらが散るみたいに、たくさん夜空に降っている。
「郁……」
「あ?」
手を伸ばしたんだ。そしたら、掴めたんだよ。奇跡みたいだろ? ねぇ、こんなことってあると思う? 何よりも光り輝いていた大好きな笑顔を僕は手に入れた。
「おい! マジでぐらぐらするから! 手離すなっつうの!」
離したりなんてするもんか。
「おい! 文! おまっ、ちゃんと!」
「……好きだよ」
僕はこの星を離したくなんてないよ。一生、ずっと握り締めている。
「郁が好き」
「…………」
離さない。
「…………っ! ちょ、わっ、うわっ、わあああああ!」
ほら、言わんこっちゃない。
「……ってぇ、って、おい! 文っ! 大丈夫か? 頭とか」
危険だからしちゃダメって言われてるだろう? 危ないから、交通ルールで禁止されてるんじゃないか。二人乗り。
ダメだってなっているのに、犯罪なんだぞ? だから、見てみろ。あともう少しで自宅に到着、ってところでバランスを崩して横転だ。垣根に激突したおかげで、小枝たちがクッション代わりになって、大事故にならないで済んだけれど。垣根はめちゃくちゃじゃないか。まったくもう。
大人ならそんなふうに叱るかな。
「び、びっくりしたぁ」
僕のその声に、郁が心底ホッとしたと安堵の溜め息を零した。
そうだろうね。大人ならそう言って叱るだろう。
「ったく」
何をしてるんだ。ダメじゃないか。危ないだろう! って。
「郁は怪我ない?」
「とりあえずはねぇよ。つうか、文は? 怪我」
「とりあえずはないよ。郁が抱きかかえて守ってくれたから。あ、郁、頭に枝が刺さってる」
「あ?」
でも、楽しかったね。ハチャメチャで考え無しで、バカなことだけれど。
「イケメンなのに頭ボサボサ、枝が刺さってるし」
「あぁ? 文だって、頭、鳥の巣みたいになってんぞ」
「っぷ」
お互いにボロボロで笑えてくる。やっちゃダメだよ。絶対に。とても危険なことだから。本当にダメ。うん。犯罪ですから。
「あははははは」
「ったく」
「あははは、……っ、ン」
ただ好き合ってるだけ。
「ンっ……ん」
けれど、きっと僕らの好きも周囲からは批難轟々だ。
郁が僕を好きでいてくれて、僕も郁をとても好きなだけなのに。大切で大事にしているだけなのに。
「……ン」
唇が離れて、郁が僕を抱き締めたままじっと見つめる。その肩のところに大きく光り輝く星が留まっているみたい。
「二ケツとか」
「うん。ごめんね。痛かったよね」
「痛くねぇよ」
「ごめんね」
「謝んなよ? …………俺を、好きになったこと」
「……」
相手が僕じゃなければ、批難の視線は浴びることなんてこれっぽっちもない恋愛ができるのに?
「ぜってぇ、謝んな」
「……」
「謝ったら」
謝ったら? そしたら、郁は。
「叫んでやる」
この人のことが好きだって、叫んでやる。
「ん、ンっ……ンん」
じゃあ、叫んで、ご近所迷惑っていう大罪を犯してしまう前に、その口を塞がなくちゃ。でも、手は転んだ拍子に泥だらけになったから使えないや。今、郁の口を押さえられるのは僕の口くらいだから、キスをした。
「ン、んっ……ン」
深くて、濃いキスをした。
「ヤバ……」
「ン、郁?」
「文から、エッロいキスされるのとか、マジでヤバい。すげ……きっつい」
「……」
汗臭いからって、近くに行くと避けられた。まだ事務所で仕事あるだろって追い返された。ふいっと目を逸らされてしまうこともあった。そっけないように感じたことも。
「……もしかして、たくさん我慢して、る? その、あの、なんというか、そういうことを、ェ……ェ、ロ……い、こと、とか」
「……はぁ? 我慢してるに決ってるだろ! ずっと好きだった相手なんだぞ! こっちはずっと片想いだったっつうの!」
「……避けられてるのかと思ってた」
「はぁぁぁ?」
だって、そう思うよ。郁、ずっとしかめっ面なんだもん。やっぱりそういうことだと三十四歳相手じゃ、その気にならないのかもしれないとも思ったし。割り切れてるのかなと、割り切れずに悶々してる自分を愚かだとも思ったし。
「すっげぇぇぇ、我慢してるっつうの」
びっくりした。いきなりそんな大きな声出すから。
郁も、悶々としてくれてたんだ。ちゃんと、郁も僕のことを――。
「……郁、い……」
「ほら、立てるか?」
「えっ?」
ふわりと溶けて流れ出しそうだった理性が、ぎゅっと塞き止められた。
「あ、あのっ」
「あ?」
「あー、えっと、あの」
甘い甘い蜂蜜みたいにトロトロになった理性が、さ。あの。
「我慢、する」
「郁?」
「本当に、文のこと、すげぇ好きだし。それに」
それに?
「もう何年もしてたんだ。片想い、今更それが延長したってたいしたことねぇよ」
正直、ええぇっ? って、胸のうちだけで絶叫してた。してたけどさ。
「ほら、部屋入るぞ」
「……」
けど、手をしっかり握ってくれたのが嬉しくて、そして、うちに戻って玄関の明かりの下に照らされた僕らはあまりにも酷い有様だったから、もう笑っちゃって、そんな雰囲気が吹き飛んでしまった。頭ボサボサで、顔は泥だらけの、服には枝や葉っぱが突き刺さりまくり。色っぽいムードなんて消し飛ぶよ。
「けど、楽しかったな」
「うん」
これはこれで、楽しい思い出に、いつかなるんだろうと額をこつんとあわせて、二人で笑った。
「社長、これ、職業体験に来た子達からのお手紙です」
「え!」
受け取って、光岡さんからの手紙を読んで胸のところが熱くなる。綺麗に丁寧に、じっくり書いたんだろう少し緊張してそうな文字で「ありがとうございました。素敵な花火が見られました」って書かれていた。
「それにしても、社長、ここの垣根どうしたんです?」
「あー……あははは、どうしたんでしょうねぇ」
「……イノシシかしら」
「あはは、は、は」
田舎だけれどさすがにイノシシはないんじゃないかなぁ。祖父母の代でならありそうだったけど。でも、垣根にはたしかにそのくらいの大きな穴が見事に開いていて、もう笑って誤魔化すより他はなかった。
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