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第30話 同性、十六歳差

 ――はい。素敵な君はこれを着てね。あ! でも、その前に、一つだけ質問! 「……い、郁」  ――貴方は女の人になりたかった? 「……ぁ、の」  ――どっちがいい? 「変? ……僕」  フランス人形のような彼女にそう訊かれて、僕は。 「さ、さすがに、見えないよね?」 「……」 「男子高校生には、さ」  男のままがいいと答えた。そしたら、彼女は手に持っていた服をそのまま手渡した。だと思ったって、笑いながら。  十六歳差、それはどう頑張っても縮まらなくて、僕はとてもじれったく感じてしまう。十六年っていう年月をどうにかして縮められたらって思ってしまう。  でも、自分が男であることにもどかしさを感じたことはないんだ。なんでだろうね。君のことを守ることができるから、かと思った。男だから、郁の保護者として、理解者としてそばにいられるからなのかと。でも、それだったら、十六歳差っていうのもさ、それだけ離れてるから、引き取ることができたっていえるだろう? じゃあ、なんで、男のままでいいと僕は答えたんだろう。  自分が女性だったら、きっと結婚だってできたかもしれない? 遠い親戚なんだ、不可能じゃないだろ? でも僕は、そう思わなかった。  なんでなんだろう。 「い、郁?」 「……」 「な、なんか、答えてよ」 「……」 「……や、やっぱ、やめる。変だよね。その三十四のおじさんが、男子高校生の格好してるなんて、ホント、あの、今、着替えてくるから」 「文っ!」  カーテンの向こうに慌てて逃げ込もうとした。目を丸くして、口を開けて、ぽかん、ってさ。まさに、呆気に取られたって顔してたから。 「っ」  恥ずかしくて息を飲み込むのすら難しい。  眼鏡して、いつもは分けてしまう前髪を下ろして少しばかりは顔を隠してるけれど、それでもやっぱり顔から火が出そうなほど。 「……何、してんの?」 「! わ、わかってるってば! 変だよね。だからっ」  顔っていうか全身が茹で上がってるみたいに熱い。 「……ヤバ……めちゃくちゃ、ヤバい」 「郁?」  その場にしゃがみこんで、俯きながら、はぁ、と溜め息を吐かれてしまった。そして、顔を上げた郁も真っ赤になってた。真っ赤になって困ったように、口をきつく結んで、その口元を見られてしまわないよう、大きな手で覆って隠してしまう。 「あ、えっと……」 「すげぇ、可愛い。なにそれ。は? って、くらいに可愛い」 「……っぷ、なにそれ、は? って、怒ってるの? 褒めてるの?」 「怒りたいくらい、すげぇってこと」  さっぱり意味がわからないよ。 「平気?」  でもひとつだけわかった。 「平気じゃないっつうの。平常心がっ!」  僕は、男のままでいいと彼女に答えた。歳の差と同じくらい、性別も僕らにとってはもどかしいひとつだったけれど、でも、郁が好きになったのは僕だからだ。このままの僕を好きになってくれたから、このままでいたいと思ったんだ。 「……よかった」  郁を捕まえようと、服の裾をちょこんと握った。普段だったら、いつもの僕と郁じゃ、こんなことできないけれど。でも、今なら、しても、大丈夫かなって。 「学校の中、まわってみよう?」 「離れんなよ」 「郁が保護者みたい」 「一回、さっきはぐれかけただろ」  郁の裾をちょこんと握った手を、郁が掴んで、繋いでくれた。 「閉校間際まで貸し出ししてるからね」  二人でお礼を言うと手をパッと開いて笑っていた。閉校時間までいるつもりはなかったんだけど。 「どこ行きたい? 文」 「んー、そしたら、えっと、郁が地図持ってたでしょ? あ、ここ、ここさっき楽しそうだった。それと染色のがあったんだ。展示だけだけど、そこにも行きたい。それと、こっちの……」 「すげぇ、可愛い」 「!」 「マジで」  そんなことないって思うけど、でも、郁の顔みたらくすぐったくてたまらない。そして、いつまででも、ここにいたいと、思った。 「ね、文の高校ん時もこんなだった?」 「? あー、どうだろう。そう、だったかな」 「はぁ?」  だから、怒ってるみたいだってば。 「どんなだったの?」 「僕? 高校の時?」 「あぁ」  普通だったよ。郁みたいにイケメンとか騒がれる感じじゃなかったし。真面目、ではなかったかもしれないけれど、一般的な高校生だった。  もちろん、彼女はいなかったけれど、部活も入らなかった。家業の手伝いがあるのでってことで。運動は苦手で、勉強は、できた、かなぁ。赤点は取ったことないけど、でも学年上位とかでもない。体育祭のリレーでなら、最初でもないし、アンカーでもない。  うーん、こういうと少し落ち込みかけるけど、本当に普通の高校生だった。 「郁は知らないよね」  十六歳差だから、僕の高校三年間、郁は生まれてからの三年分。 「でも、僕は知ってる」  生まれてから三年間、春だけだけれど、君のことを知っているし、覚えてる。  郁がいる春の間は毎日学校が終わると真っ先にうちに帰ってたんだ。ただいまっていうのと、玄関で慌しく靴を脱いで、急いで手を洗ってさ。部屋を開けるとするんだ。甘い甘い、優しい香りが。 「ミルクの甘い匂いがしてて、抱っこするとふわふわで、可愛かったよ?」 「……」 「僕を見て笑ってくれるのが、嬉しくて、郁がいる間はべーったりくっついてた」  大好きだった。君のことが生まれてからずっとずっと大好きだったんだ。  ねぇ、こんなに小さい手だったんだよ? 今は、同性の僕よりも大きな手になったけれど。 「……郁」 「……」 「不思議だ」  ずっともどかしいと思ってたのに。ずっと焦れったいと思ってたのに。なんてことだろう。  十六年っていう縮まらない差すら、今、よかったって思えた。  赤ちゃんだった君のことを高校生の僕はとても大好きだった。もちろん、今とは違う好きだけれど。今も変わらず宝物だ。  今日はその差が縮む魔法の一日ってことにしよう。そしてそのおかげで、歳の差も、なんだか、ね。 「郁、ここに行って、次はこっちで」 「あと、染色のだろ?」 「そう、たくさん行こう」  十六歳差すら、愛しいと思ったんだ。

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