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第31話 秋の空

 見惚れてしまう色がいっぱいだった。 「若い子は違うねぇ」  そう思わず呟いてしまう。色の合わせ方がモダンなのかな。発想が自由なのかな。 「……素敵だねぇ」  現代風の色使い。色合いじゃなくて、色の使い方がそもそも今っぽい。そこに古典柄を合わせたりするから、面白いんだ。心地良い違和感っていうのが一番合ってると思った。違うんだよ? この花の種類で、この花びらならきっとこういう感じの色を使って、この色を使うのなら、それに合わせた色は……ってどんどん決めていくのに。僕ならそうするのに、ここにある織物は全て、それがなくて、それぞれの色の感覚が鮮明に四方の布の中に敷き詰められている。 「文だって充分若いだろ」 「……いやいや」  三十四ですから。って、心の中で答えた。  今は男子高校生ってことになっているので、無言のまま。  文化祭に制服で来ている子も幾人かいる。ここの服飾専門を志望している子なんかは特に自分がどこの学校の生徒かを伝えるためにも制服を選んだりするんだけれど。郁は社会人の僕と釣り合うようにってむしろ私服を選んで着ていた。私服だと大人っぽく見られるから、だから、今はちょっと年齢差が逆転していると思われることもあるかもしれない。 「?……なに? 文」  郁が大人か大学生で、僕がこの学校を志望している高校生。  もしもそうだったら、僕は誘惑してしまうかもしれない。なんてことを考えていた。 「んーん、なんでもない」  夏に、自転車二人乗りなんて悪いことをした夜、少しだけ僕は揺らいだ。理性とか大人の良識とかそういうのを溶かしてしまいたいと。でも、郁は我慢した。だから、きっと郁が十六歳年上だったら、僕は誘惑をして、それを諭されて拗ねていたかもしれない。 「文?」  誘惑、してたかも、しれない。 「な、なんでもない! 次に行こう!」  郁を誘惑とか、今、想像してしまった。どんなふうにとか、どういうことを、とか、想像したものを覗き込まれてしまわないよう慌てて俯き、次の場所へと郁の手を引っ張った。 「あのっ」  教室を出ようと振り返ったところに女の子が二人いて、俯きがちの上目遣いで郁をナンパでも……するんだと思ったけれど、二人が見てるのは、僕のほうだった。郁がそういうふうに見られるなら、まぁ珍しいことじゃないんだけど、自分が見られてる? のか? って疑問が生まれるくらいに、それはとてもレアなことで、思わずまた振り返って背後を確認してしまう。 「あの、それってどこの高校、です?」  これ? これは、二階にあるスタイリスト科でおこなわれているコスプレの衣装で。 「あのぉ、もしよかったら」 「はぁ……」  今、僕が話しかけられて、る? 「今ぁ、うちらぁ」  僕が、まさかナンパ、みたいなこと、されて? 「ごめん」  女の子二人と僕の間、何もないその間の空間を遮るように大きくて骨っぽい手が出現した。 「悪いけど」  その手に引っ張られて、つんのめりそうになりながら、その場を郁と一緒に退散する。 「郁っ?」 「……」 「ちょ、郁!」  廊下を真っ直ぐ進んで、右へ曲がって、そこをまた真っ直ぐ。そしたら、突き当たりで、左側にあった階段をとりあえず上へ、上へって。さっきチラッと見た案内図では来校者が入りやすいようにと、お店や展示はほぼ一階、二階に集中してた。三階はまばらに展示があるくらいで、四階以上は使われてないのに。 「郁! さっきのっ、あれじゃ、あの子たち、在校生かもしれないし、来年同じ学年の子なのかもしれないのに」  郁と同じ学校見学を兼ねた来校者なのか、それともこの学校の生徒なのかわからなかった。普通の私服だったから。  誤解というか、知られてしまう。声をかけてきた子を遮ってさらうようなことをしたら、なんだか、不自然じゃないか。まるで、ヤキモチをやいてるみたいに見えてしまうのに。 「いいよ。そう思われて」 「郁っ」 「……」  いきなり足を止めるから、階段の踊り場、曲がり角ということもあって、勢いのまま郁の肩に激突してしまう。鼻、低いから、少しだけで済んだけれど、ぶつけてしまった。 「いいよ」 「……郁?」 「もう、来年、ここに俺が通う時は高校生じゃないだろ」 「……」 「そしたら、俺は、ここでは文のこと隠すつもり、ないから」 「……」  今、ここはたぶん四階で、人の声とか騒がしい雰囲気は遥か遠く。一階二階から、微かに聞こえてくる程度。  誰もいない。そんな場所で。 「……ン……」  キスしてしまった。 「誰か来たら……」  誰もいないけれど、ここは外なのに。 「こねぇよ。来ても」 「……」 「ただ、男子高校生同士、イチャついてるだけだ」  キスをした。 「……っ」  首を傾げて、もう一度しっとりと唇を重ねた。優しく、でも、恋人同士でしかしない、甘いキスを。 「……郁」 「もうこのコスプレ禁止な」  また、もう一度キスを。 「気が気じゃねぇっつうの」  階段の踊り場で君と三回もキスをできたのに? それなのに、もうこの格好は禁止だと言われて、えー、って、子どもみたいな駄々っ子になりそうになってしまった。 「ねぇ、郁」 「んー?」 「学校行ったらさ、彼女、先輩になるんだね」 「彼女?」  首を傾げる郁にこっちこそ首を傾げた。  いたじゃん。というか、今さっき、返しにいって少し話しただろ?  ありがとうございました。  いえいえ。楽しかった? って、その顔見ればわかるけどー。  って、話してたじゃないか。 「は? あれ、男だろ?」 「えぇぇぇ?」  女の人だってば。  ――私、男はこういうの、女はこういうの、日本人は髪が黒くて、瞳も黒くて、って言うの、つまらないと思うの。  僕は女の人だと思ったけれど。  ――服って、魔法みたいなんだよ? 着ている人をその服で染めちゃえるくらい強い魔法の力を持ってるの。  郁は男の人だと思った。  二人してその外見に騙されたような気がして、見つめ合って、数秒ののち、笑ってしまった。  秋の空、閉校間近まで、高校生の格好でデートを満喫した僕らの頭上に、いくつかの星がすでに輝いている。そんな、冬、少し前の秋に手を繋いで、笑いながら、僕らはうちへ帰った。

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