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第46話 現代っ子だもの

「ねぇ、郁、電車のチケット持った?」 「あぁ」 「スマホの充電大丈夫? 写真撮れなくなったら」 「……大丈夫。別にそんなに写真撮らないって」 「せっかくの思い出なんだからっ」  今日、郁は、前から決ってた卒業旅行だ。クラスメイトの皆と片道、特急電車で三時間。でも、秀君も一緒だから、きっとあっという間に到着しちゃうんだろう。  田舎だから、上京進学組もけっこういるそうで、卒業式から間をあけられないらしい。上京する子はこの後、引越しもあるから。  郁も、あのまま、すれ違ったままでいたら、その上京組になっていた。僕を避けて、家を出ていただろう。 「あと、忘れ物は?」 「ある」 「え! ちょっと、何? 持って来てあげるから」 「平気、ここにあるから」 「は? っ…………」  何を忘れたんだと慌ててお茶の間のほうへ行こうとしたら、腕を引っ張られ、引き戻された。反対方向に引っ張るもんだからよろけて、そのまま――。 「ん……」  もう、よろけた大人ひとり、をそんな簡単に受け止めないでよ。 「忘れ物」 「な……に、言ってんの」  行ってきますのキスが忘れ物だなんて、恋愛映画だって、そんなのしないよ。 「文、おみやげ、何がいい? 限定のスイーツ? それとも酒? 酔っ払った時の文の小言愛いから、酒にしようか。あ、春限定のスペシャルスプリングカラーの猫耳カチューシャとかは?」  何それ。三十五歳で猫耳はちょっと痛々しすぎるでしょ。  そこのテーマパークキャラクターのうちのひとつが可愛い白猫だった。きっとその白猫の耳カチューシャ。 「……いらないよ。いらないから。それとっ……あのっ」 「?」  これは保護者としても言うべき案件だから、そう恥ずかしがることじゃない。保護者として、大事な家族の安全を願うのは至極当たり前のことで。何も、そんな、ドキドキしながら、頬を赤くしながら言うことじゃない。 「ナンパとか、されないでよ?」  そう、別に、気をつけなさいよって。保護者も言うこと、でしょ? 都会は、ほら、危険がいっぱいだから。 「その……えっと……」 「やっぱ、行くのやめようかな」 「は? な、なんで」 「今すぐ、ベッド行きたい」 「なっ、何言ってるの。秀君来ちゃうから。今日は一日遊んでおいで」 「ガキ扱いすんなよ」  不貞腐れないで。そう言ったらそれも子ども扱いだと、口をへの字に曲げた。 「してないでしょ」 「……」 「僕は遊園地とかあまり得意じゃないから、そういう場所は秀君たちとしか行けないでしょ?」  デートの定番スポットなのに。僕とじゃ、行けないから。行っても楽しくないでしょ。ジェットコースターもダメ、メリーゴーランドだって怪しいよ。ギリギリ平気かもってくらい。 「だからたくさん楽しんで来てよ」  郁はそういうの得意でしょ? りょうちゃんがそういうの大好きだったもの。 「もう、郁、時間だよ。行かないと」 「いーく!」  ほら、来ちゃったよ。秀君が。 「いーくー!」 「あぁ、今、行く」 「郁が行くっ!」  玄関の向こう側から聞こえてきた、秀君の駄洒落に「バカだろ」って郁が笑う。  秀君も進学だけれど、地元の大学って言っていた。だから、会おうと思えば会える。一番仲が良かったんだから、寂しいんだよ。一日、たっぷり遊びたいって思ってるんじゃない? 「いってらっしゃい。楽しんで来てね」 「わかった。いってきます」  仕方がない。今日は一日、秀君に郁を譲ってあげよう。そんな気分なんだから。 「おい! 秀、どーしょーもない駄洒落言ってんなよ」  玄関を出ながら、向こう側にいる秀君に郁がそうツッコミを入れて、秀君の笑い声が扉を閉じても聞こえてきた。 「電車遅れちゃうだろー」 「大丈夫だろ」 「って、ああああ! 何! 何その指輪!」 「は?」 「はっ? …………じゃねぇ! うわ! 何その、すげぇ、俺、もういるんで……的なの! 恋人、大人なんで。みたいなの!」 「ほら、秀、電車乗り遅れるんだろ」 「あああ! 何その誤魔化し!」 「…………うわ」  もう、郁ってば、秀君に話しちゃってるの? 恋人がいて、それが年上だってこと。  指輪、まぁ、見えるよね。傷なんてまだひとつもついてない、新品ピカピカだもの。 「……わー」  思わずその場にしゃがみこんで、自分の薬指に光り輝く同じピンクゴールドの輪を見つめた。 「指輪見て、笑ってんなー!」  もしも、すれ違ったままだったら、郁はうちを出ていた。 「っぷ、秀君、声大きいよ」  ずいぶん遠くなったと思ったのに、まだ秀君の声だけ聞こえた。郁はあまり大きな声を出すほうじゃないから、なんて答えたのか、ここからじゃ聞こえなかったけれど。  でも笑ってるんだろう。 「……卒業旅行かぁ」  いいなぁ、郁と一緒に行きたいかも。  って、別に見たいものがあるわけじゃないし。遊園地はあまり得意じゃないし。温泉旅館でのんびり、なんて十八歳の郁には少し退屈でしょ。立ち上がったところで、お茶の間に僕の放置気味のスマホが振動した。 「?」  普段、仕事のやり取りは会社の電話が主だから、スマホなんてほとんど使うことがなくて、携帯すらしてないことが多い。 「郁だ。やっぱり忘れ物したのかな」  ――ここ、行こうぜ。  さすが現代っ子だ。  ――温泉で、のんびり、ならいいだろ?  スマホをしっかり使いこなしてる。駅までの道すがら、スマホでサクッと調べたんだろう。電車で一時間半、川の麓で自然を満喫できるらしい旅館の予約をしてくれと、郁から、メッセージが届いてた。  ――卒業旅行、な。  僕は、思わず口元をほころばせながら、その旅館の予約を仕事の前に済ませてしまった。

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