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第50話 良くない恋愛

 今夜は恋人同士でいられる。  今夜は、郁と普通に恋をしていられる。  そのことに、はしゃいでしまう。はしゃいで食べて飲んで、向かい合わせで座る郁に見惚れてた。夕食は和風レストランで懐石料理。魚かお肉か選べたメインディッシュは郁がお肉を選んだステーキも美味しくて。 「はぁ、食べ過ぎた」  あと、僕だけ飲みすぎだ。 「あはは」  だって、ほら、今、ひとりなのになんだか楽しくて笑ってる。赤ワインってあんまり好きじゃなかったんだけどなぁ。渋くて。でも、ここのはとても美味しかった。 「……大丈夫かな、お腹」  この後、お風呂に行くのに、ぽっこりしてたら、ムードもへったくれもない。それでなくてもメタボが気になる年齢なのに。 「って、ムードって……」  自分の思ったことに、自分で照れて、自分がツッコミをした。 「まさくぅん、美味しかったぁ」  そして、自分のお腹のぽっこり具合を確認しようと手で撫でていたら、後ろから知っている声がした。知っているというか、さっき聞いた女の子の声。  さっき貸切風呂に入ってくところを見たカップルだ。 「……」  イチャイチャ、したのかな、貸切の、二人っきりのお風呂で。なんて思ってしまった。失礼な詮索を胸のうちだけで繰り広げて、一人赤面して。ホント、酔っ払いだ。 「バーもあるんだってぇ、まさくん、一緒にいこ?」  へぇ、バー、あるんだ。って、郁は行けないから、僕も行かないけど。でも後数年したら、そういうところにも一緒に行くのかな。その頃の郁って、絶対にすごいカッコいいんだろうな。爽やかで、でも大人の渋さもあって、それで。 「うわっ、ぶっ」 「オゥ、ソーリー」 「!」  旅行にはしゃぐ酔っ払いだから、どなたかによろけた拍子に激突してしまった。  外国の方だ。郁よりも背が高くて、ブラウンのショートヘアーは外国人特有の猫っ毛で波打っている。体当たりをして、鼻先を抜けるツーンとした痛みを堪えながら、日本人とは全く違うアーモンド色の瞳を見つめた。不思議な色をしてる。黒じゃないからかな。優しい印象だ。 「そ、そーりー」 「……」 「えっと」  向こうにしてみても黒い瞳はやっぱり珍しいんだろうか。すごいじっと見つめられてる、んだけど。  あ、見てるんじゃなくて、怒ってるのかな。もしかしなくても、体当たりされたら誰だってびっくりするだろうし、イヤだろう。  英語、全くもって得意じゃないんだ。というか、大の苦手だった。その苦手意識に相手が外国人っていうことも加算されて、言葉が続かない。 「あのっ」  どうしたものかと思ったところで、その激突してしまった外国人の男性が自分の首筋の辺りを指差して、何かを僕に尋ねている。  首? 首が何か?  ウインクされた? あ、首が痛いとか? ウインクした右側の首が痛い、とか? 「えー、えっと」  あ、またウインク。やっぱり右側? こっち?  そう指差すと、その人がコクコク頷いている。お湯が効いたとか? 僕も仕事でたまに肩は凝るけれど、首は大丈夫、です。平気ですって伝える代わりに、ニコッと笑うと、その人もニコリと笑った。 「NO」  その言葉と同時、自分の首の辺りを指差していた僕の手首を強引に引っ張られた。  郁だった。  目の前にいる外国人の男性に、英語でスラスラと何かを伝えている。 「OK?」  違う。何か、じゃなくて、たぶんだけれど、「彼は俺のだ」って、言ってる。  もしかしたら、僕はナンパされてた? 激突が別の意味に捉えられてしまったのか、それとも、向こうが激突した相手が男だとわかって誘ってきたのか、指摘された首筋はよくわからないけれど、でも郁が「MINE」と言ったのがわかった。つまり、そういうことだろう。  彼は俺のだ、と。  相手の男性は眉を八の字に下げて、肩を竦め、溜め息を零した。「残念」って思った、んだと、思う。 「文、行こう」 「あ、うん。でも、えっと」  ナンパは断るよ。ソーリー、だよ。 「ほら、文、行くぞ」 「あ、あのっ」  言ってみたいんだ。ここでなら、いい、から。ここでしか、言えないから。 「あの、アイ……アム、ヒズ」  合ってる、のかな。わからないけれど。短い三つの単語を並べながら、自分を指差して、それから郁を指差した。  言いたい。  ――僕は、彼のもの、です。  そう言いたかった。やってみたかったんだ。独り占め。そして、それを誰かに言ってみたかった。 「あ、こんなところに痕」  お風呂に来てようやくさっきの外国人のお客さんが首筋を何度も指摘してた理由がわかった。鏡に映っている自分の首筋に赤くくっきりと残っている。郁のキスの痕が。 「なるほど」  それを見て、何か趣向的に共通なんだろうって思われたのかもしれない。何度もそこを指差していたっけ。 「なぁ、文、さっきも言おうと思ったけどさっ」 「? うん。郁、身体洗った? 僕はもうお湯行こうかな」  ここに印がある。 「あ、ちょっとお湯、うちより熱いね」 「文は自覚なさすぎんだって。あの成田にもそうじゃん」  僕は彼のものですって。 「成田さんにはお断りしたよ」 「そう、お断りしとけ……って、はぁぁ? は? 何っ」  慌てふためいて湯の中で暴れないでよ。跳ねて飛ぶってば。 「クリスマスに、言われた」  断ったよ。もちろん。けれど、辛くて、しんどくて、待ってるからここに来てくれと、言われた。 「……」 「っぷ、そんな顔しないでよ」 「俺、聞いてねぇ」 「言ってないもん」 「はぁ?」 「辛くて、しんどくてって言われた」  うん。一年我慢を強いるような恋愛はそういわれてしまうかもしれない。そんなことない。この恋は辛いことばかりじゃないって信じてたから、郁には言いたくなかったんだ。辛くてしんどい恋愛、じゃないと思っていて欲しかった。そんな風に言わないでって。 「文は、俺のだよ」 「うん。郁のだ」  僕は逃げないってば。なのに、郁は逃がさないようにと、僕を岩と自分とで挟みうちにして、じっと、真っ直ぐ強い眼差しを向ける。  だから、もう一度、言葉にした。 「郁のだよ」  逃げないよ。だって僕は郁が好きで、恋をしてて、この腕から逃げたいなんて、ただの一度も思ったことがないんだから。  けれど、周囲の人には辛くてしんどくて、そして、良くない恋愛、と思われる。  だからね? さっき、自分で宣言できたのはとても、たまらなく嬉しかった。自慢して回りたいくらいなんだよ? 「ね、郁、僕は郁の、だよ」  良くない恋愛、なんかじゃないと、言いふらしたいほど。

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