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第53話 散策デート
あっという間だったなぁ。
「郁、部屋の鍵持ってる?」
「……あぁ、持ってる」
「あとは大丈夫、かな」
忘れ物、ないよね。チェックアウトの前、部屋の中をぐるりと見渡した。
一泊二日の卒業旅行。ただ恋人として過ごせるの、楽しかった。一つ一つがさ、楽しくて嬉しかったよ。
「カバン持つよ」
「あ、ありがと。けど、平気だよ?」
「平気じゃねぇよ。身体、しんどいだろ」
平気だってば。郁が優しくしてくれたから。そう言うと、そっけない返事だけして、僕のカバンを手から奪ってしまう。
「それではお食事の時の追加注文分がございますので」
「あ、はい」
向かい合わせで食事をするの、すごく楽しかった。レストランでの食事だったけれど、だぁれも僕らを知らない。周囲の視線を気にしなくていいのはとてもう嬉しくて、飲みすぎて酔っ払ったくらい。帰ったら、気をつけないといけないでしょう? 保護者なんだから。家族なんだからって。
「それでは、チェックアウトのお手続きは以上になります。ありがとうございました」
ニコリと笑うフロントマンに会釈をして外に出るとまだ朝だからかな。少し肌寒い。郁とそれから、僕らの接客担当をしてくれた仲居さんが、ホテルの正面エントランスの脇にある池のところにいた。会計を済ませて出てきた僕を見つけ、彼女が優しく笑ってる。
「お世話になりました」
「ありがとうございます。是非、またお越しください」
「あ、はい……」
桜の時期もいいけれど、もう来週再来週くらいが満開だから、いつか、是非、紅葉も素敵だからと。
「楽しい旅行になりますように」
着物の裾に手を添えながら、手を振ってくれた。
楽しい旅行になった。すごく、ものすごく楽しすぎて、帰りたくなくなるくらい。
「……タクシーじゃなくて、散歩で行こうぜ。歩いて三十分」
「……うん」
あとは博物館に行って、そしたら、帰らないと、だね。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、帰りたくないなぁなんてさ。
「まだ、肌寒いな」
「……うん」
せめて、寝る時くらいは……って、ダメ、かな。僕も郁もベッドだもん。シングルベッドじゃ、ちょっと狭すぎる、よね。
「文、寝相がさ」
「?」
「けっこう悪いよな」
「えっ!」
知らなかった? って、知らないよ。知ってるわけがないでしょ。自慢じゃないけれど、幼少期を除けば、ずっと一人で寝てるんだから。そんなの知らせてくれる人いないもの。
「でも、ベッドから落ちたことないよ」
「ベッドから落ちるって相当だぞ」
部屋の出入り口、先に外に出た郁が大きな手を出して、僕のカバンを持ってくれた。
「け、蹴ったりとか、しちゃった?」
「いや、もぞもぞ動いてた」
「もぞっ」
「人の横にぴったりくっついて、なんか笑ってた」
「ちょ」
変な人みたいじゃない? それ。変な、その、やらしい夢とか見てないからね。
「すげぇ可愛かったから、抱き締めて寝たけど」
「!」
たぶん、その後に僕は起きたんだ。そこから起きて郁の寝顔を堪能してた。
「まぁ、とりあえず、ベッド狭いし、隣の林さんのことで気が散るのもやだから、布団、買おうぜ」
「……」
「行こう」
「ふ、布団って!」
僕のカバンを持ったまま、サクサク歩いていってしまう。
「一緒に寝るのに必要だろ?」
「!」
颯爽と歩いていってしまう。
ねぇ、旅行がとても楽しかった。だからね、せめて眠る場所くらい、帰ってからもこの旅行みたいにって。
「郁!」
思ったんだ。「おやすみ」って言いながら一緒に眠りたいなぁって。そしたら、さぁ帰ろうってなれるから。
「チェックアウト、ほら。そんで、博物館だろ?」
うん。まだ、旅行の最中だった。この後は、博物館で織物を見て、そしたら、どこかでランチをしよう。午後はどこか散策できないかな。
郁の耳が赤かった。サクサク歩いて行ってしまうから、、どんな顔をしているのかわからなくて、追いかけているのに、なんて早歩きなんだろう。全然見えやしない。でも、耳が赤くて、一生懸命追いかけて覗き込んだ斜め後ろから見える横顔は、少し笑っている気がした。嬉しそうに、そしてちょっとだけ照れているように、見えた。
「わぁ……すごい……」
博物館に飾られるだけのことはある。これ、すごいね。なんて繊細な織りなんだろう。
へぇ、ここもよく見ると糸でちゃんと色の隠し細工がされてる。なるほど、こういう色の表現もあるのかぁ。うーん。そっかぁ。
「すげぇ、めっちゃ見てんな」
「あのねぇ。郁も」
「なぁ、これって何織り?」
郁が隣にしゃがみこんで、解説文を読んでいる。郁にとっての家業ではなかったから、織物業のことを話したり、教えたことはない。まるで初心者だ。
「俺も、来月からはこういうの勉強すんだろ?」
「……」
「そんで二年後には、文んとこに永久就職」
しゃがんで、二人で、織物の話をしてる。
「え、永久就職って」
「だって、そうじゃん?」
二人で、将来の話を、している。
「色々教えてよ。先生」
「……」
「うわ……」
「郁?」
急に、どうしたの? うわ、なんて呟いて。何か、変だった? 何かイヤだった?
「文が先生って妄想、すげぇ、エロい」
「! は、はぁぁ?」
「これは、いいネタ思いついた」
「なっ、何、言って!」
あはははって笑う郁の声と、呆れたって怒る僕の声がまだ開館間もない博物館に響いてしまった。
「ほら、次、ここの織物業の歴史だってさ」
サクサク歩く郁の隣に僕が並ぶ。足の長い郁は僕が並ぶと歩を遅くして、隣にいる僕に笑った。
「せんせー、解説お願いします」
「ちょ、郁」
「早く、せんせー」
笑いながら、僕らは旅行で訪れたこの町で一日、そんな他愛のない話をずっとずっと、していた。
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