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第56話 悪い大人と悪戯好きの青年は

 片道二時間、合計四時間が通学の費やされる。  朝は八時半からの講義に間に合うよう六時前には家を出ないといけないし、帰ってくるのは大概、九時近い。 「ただいまー」  前は、僕が「ただいま」って言って、郁が「おかえり」って言う側だった。 「おかえり」 「……た、だいま」 「今日は早かったね」 「あー、うん」  いつも九時頃だから温めるだけにしてある夕飯。でも、今日は僕のほうも商談があって、自宅に戻ってきたのが遅かった。今、七時半。ちょうど晩御飯を作っている最中だった。 「今日、午後のラストの授業のさ、講師が、研究会で出張してて、いなくて」 「へぇ、そういうのあるんだねぇ」 「あぁ、だから、課題だけだったから、うちでやろうかなって」 「そっかぁ。ごめん。僕も今日は仕事終えるの遅かったんだ。まだ夕飯、できて……なくてっンっ」  今日の晩御飯はね。たけのこと鶏肉の煮物。それとポテトサラダ。新ジャガイモとたけのこをパートさんからたんまり頂いたんだよ? 「……ン」 「ヤバ、エプロン姿でお出迎えとか」 「な、何言ってんの」  男女兼用できそうな紺色をしたただのエプロンなのに? 「エロい……」 「そんなわ、っ……ン、んく」  廊下の壁と郁に挟まれて、深くて濃いキスに舌先が蕩けそう。蕩けてる、のかな。ごちそうでも食べてるみたいに喉がごくりと音を立てた。  お腹、空いてるんだってば。 「ン、んっ……ん」 「文」 「ぁ、ダメっ、だって、まだ、ここ廊下っ」 「無理、エプロン姿だった文が悪い」 「あ、そんなっ」  腰、押し付けないで。首筋を唇でなぞられて、小さな声が零れてしまう。そしてその唇をまた奪うように重ねられて、じんわりと熱くなる。ダメだってば。こんなキスで舌先を刺激されたら、もっと欲し――。 「い、く?」 「……なんか、くさくねぇ?」 「? ……ぁ、あー!」  キスを中断して表情を険しくさせた郁がそういった直後、煮詰まった醤油の少し焦げたような匂いがキッチンのほうから漂ってきていた。 「喉渇いた」 「もう、しょっぱくなっちゃったでしょ」  食べ終わった食器を一緒に片付けていた。  美味しかったけど、ちょっと失敗してしまった。たけのこの煮物、丸焦げは免れた。けれど、煮汁が煮詰まってしまって、味がかなり濃く染み込んでしまった。火止めなかったから失敗しちゃった。 「学校どう?」 「平気、とくに女子からのアプローチとかないよ」 「! そ、そういうことじゃなくてっ」  郁が楽しそうに笑って肩を竦め、冷蔵庫から出した麦茶を一気飲みした。僕が聞きたかったのは、その、勉強のほうのことで。別に女の子のことは……気に……ならないわけじゃ、ないけど。 「新入生歓迎会みたいなのとか、ないの?」 「新歓コンパのこと? あー、あるけど」 「あ、そうなの? いつ?」 「何? そんな気にして。もしかして」 「違う違う。あるなら、お金もいるでしょ?」  は? なんて顔しないでよ。何かと入用にはなるだろうからって思ったんだ。 「これ、使って」 「はい? いらないって」 「いいから、使って」  手渡したのはいくらかお金を入れた茶封筒。だって、アルバイトはできない。時間的に不可能だもの。だから、必要でしょ? 「お小遣い」 「……いらねぇ。高校ん時のがあるよ」 「ダーメ。それは大事に取っておいて」  不服そうだった。きっと子ども扱いされてるって思えるんだろう。お小遣いって、恋人にはあげないものね。でも、僕は、郁を子ども扱いなんてしてない、でもね。 「なんだよ、笑って」  でも、ふと思っちゃったんだ。 「だって、なんだか、悪い大人みたいだなぁって」  若くて見目麗しい青年にお金を渡してよからぬことをする悪い大人が僕で、郁はその悪い大人にお金で買われる見目麗しい青年、って思ったらさ。 「? ……あぁ、なるほど」  一瞬わからなかったけれど、すぐに僕が笑っている理由を思いついて、郁も、にやりと口元をほころばせた。まるで悪い悪戯を思いついた子どもみたいに。 「じゃあ、ご主人様って、呼ぶ?」 「あはは」 「ご主人様……さっき、中途半端にした分、今、します?」 「っ、ン、ぁっ、郁」  食器棚にしまっている最中だった。うなじにキスをされて、その、たしかに中途半端にされていた身体はとても敏感に反応してしまう。焦げ付きそうだった煮物で掻き消された熱が、もう。 「あっ待って」 「待て? なの? ご主人様」 「っ」  最後、言葉と一緒に耳に吐息をわざと触れさせて、郁が後ろでじっと「待て」をしてる。悪い大人に買われてしまった青年になって。僕は、この青年を買った、悪い、人。 「あっ……」 「どうしました? 何かして欲しいの?」  聞きなれない言葉使いにさえ煽られる。 「ご主人様?」 「ン、ぁっ」  悪いコトが、したくなる。 「あ、ン、ここで」  セックスする場所じゃないのに。食事を作って食すための台所で。僕は。 「ここで、して」 「……」  僕は悪いコトを、してる。 「抱いて……あっ、あぁっ指、ン」  郁の指が孔の口を抉じ開けた。 「あぁぁっン」 「ご主人様、気持ちイイ? 指」 「あ、ン、いい、ぁ、気持ち、イイ」  立ったまま、ほぐされる。孔をやらしいコトに喜ぶ柔い性器になるようにって。でも、この姿勢じゃ指が届かなくて。そこよりもう少し奥なの。もう少し来てくれないとあそこを撫でてもらえない。全身が痺れて、切なくなるほど気持ちよくなれる、スイッチ。 「あ、ぁ、郁、もっ」  指じゃ、立ったまま、エプロンはしたまま下を剥かれた今、この姿勢じゃ届かないの。ねぇ、だから。 「郁の、挿れて」 「っ、ヤバ、これ」 「ぁ、あ、あああああああっン」 「すげぇ、興奮する」  ずぷりと奥まで来た。硬くて、熱くて太い郁のが身体を貫いてくれて、その力強さに思わず、手をついていた食器棚がガチャンと音を立てた。 「ぁ、あっ、郁っ」  孔に突き刺さるペニスに悦がりながら、後ろから立ったまま激しく攻め立ててくる郁の手を掴んだ。 「恋人、なの」 「……」 「僕が、郁の」  ご主人と買われた青年じゃなくて、恋人として、ね? 「お願い。抱いて」  恋人として、僕のことがめちゃくちゃに抱いてよ。そう舌を唇の隙間から差し込んで、注文した。

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