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第58話 どろりと滴る

 ――もう高校生じゃないからって手を出すんすか? 「たしか……この辺りに、しまったはず……なんだけどなぁ」  ――そのうち目が覚めるかもしれない。こんな田舎じゃないとこで、もっと世界が広がれば。そんな指輪なんてして。ままごとの。 「うーん……」  ――そんなの、間違ってる。 「あ、あった!」  ――どうして俺じゃダメなんですか。 「……湿気ちゃってないかな」  ――彼だから、好きになっちゃダメなんすよ。相手があの子だから、最悪、なんすよ。 「……文?」  ――貴方を泣かせることもできないくらい。 「……ぁ、郁」 「何してんの? 納屋、で……文?」  ――俺って。 「なんで、泣いてんの? 文? なんか、あった?」  花火をね、したくなったんだ。 「……ううん。何も」 「は? なんもなくて、なんでっ」 「おかえり。早かったね。新歓コンパって、こんな早いんだねぇ。僕、そういうの出たことないからさ。もっとずっと遅くなるかと思った」  ごめんなさい、成田さん。  涙は今、零れました。貴方の言葉に、今。 「あー、そうだ、スペイン料理ってどうだった? 美味しかったでしょ?」  涙が零れた。 「文!」 「ね、去年、全部できなかったでしょ? 花火」 「……」 「やらない?」  やろうよ。花火。湿気てなければいいのだけれど。もう小さな小さな線香花火だけだけれど、二人でやりたくて、納屋で探してたんだ。  和紙の先端をちょっと指で摘んで、やっぱり僕には硬すぎるライターを郁に託して、濃いピンク色をした先端を火にかざす。  ジュ、って小さく音がしたら、その次の瞬間には小さな小さな火花が踊るように散らばるんだ。  パチパチって。  そして、ゆっくり段々と膨らんでいく火の雫が、どんどん大きくなって、ぷっくりと重くなって、そのうち、ぽとりと落っこちる。 「郁の負けっ」  線香花火の小さな火を楽しむために、玄関の明かりも消していた。その小さな火も落ちて土の上でじわりと熱を失ってしまえば、辺りはもう真っ暗だった。二人っきり、しゃがみこんで、膝を抱えて、数本残っていた花火で競争して、一喜一憂してる。 「ほぼ同時だろ」 「違うよー。僕のほうが断然早かった」 「同時だっつうの」  早かったってば。 「そもそも、着火が文のほうが早かった」  そんなことないよ。火花が散らばり始めたのは同じくらいだったもの。 「えー、一緒だったでしょ」 「わかったよ。じゃあ、もう一本な」 「いいよー。今度はちゃんと火がついたとこも確認するっ」 「あぁ」  ジュッて郁の指がライターの着火石を擦って、小指の先ほどしかない火がまた立ち上る。 「……なんか、あった?」  はしゃいだ声で楽しげなやりとり、その間に、ぽとりと落っこちるみたいに、郁が尋ねた。  そして、線香花火の先端に火が移って、小さな、ちょっとしたことで消し飛んでしまいそうな火の花が咲いた。 「さっき……なんで、泣いてた?」  こんな小さな火の花は、風でも吹けば消えそうだけれど、案外しぶとく生き残って咲き続ける。 「んー?」  線香花火って、僕は好きだよ。儚げって思えるけれど、そんなことない。ね、花火って火がさシューって雨みたいに流れたり花みたいに咲いたり、色が次々に変わったりするけれど。  線香花火だけなんだ。 「間違ってる」 「……は?」 「男で、一回り以上も離れてる、家族同然の子どもとだなんて、間違ってる。誰かに知られたらすごい噂になる。高校生の間は手を出さなかった。じゃあ、もういいのか? 高校生じゃないのなら肉体関係を持ったことを開き直っていいのか?」 「文、おい」 「相手があの子だから、最悪なんだ。一番好きになってはいけないのが、あの子なんだよ」 「……」 「そう、言われたんだ」  線香花火だけね。小さくて儚げなくせに、こんなにもドロリとした火の雫を地面に落っことすんだ。 「おい、それ、誰に……」  郁は線香花火のわずかな灯火に照らされた僕を見て、「あいつか」と呟いた。 「そう言われてね」 「ふざけんなっ、あいつ!」 「でも、郁じゃなくちゃイヤなんだって答えた。どうしても郁が好きって」 「……」 「彼が言ったこと全部僕は繰り返し繰り返し思ってきたことばかり。だから、何を言われたって、泣けないよ」  どんな煌びやかな花火も見せない火の液を線香花火だけが持っている。真っ赤でさ、触ったらきっと痛くて泣いてしまうほどの火を。 「淫乱で、淫らで、我儘で、自分勝手で、最悪だ」 「文! そんなことっ」 「どんな言葉を吐き捨てられても、泣かない。でも――」  どろりとした火を持ってる。まるで、僕みたい。 「郁もそう周りに言われるのはやっぱり嫌だなぁって思ったんだ」  淫らで醜い火を。 「なんでだよ! 俺はっ! 貴方じゃなくちゃっ!」  でもそんな線香花火がどの花火よりも、それこそ煌びやかで大きな大きな打ち上げ花火よりも好きっていう時点で、性格、悪いよね。 「郁……それでも、好きでいて?」  くんって郁の服の裾を引っ張った。 「……文」 「僕のこと……ずっと」  引っ張って、引き寄せて、捕まえて。 「好きでいて?」  キスを、した。  あの日、あの夜、桜が舞い散る中で花火を二人でした夜に、したいと思ったことを、今、した。

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