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第60話 朝の挨拶

「郁! いーく! ほらっ、起きてっ!」 「……」 「いーく! お布団干したいんだってばっ」  今日は晴れるんだから、しっかり干したいんだと、その布団を住処と決めたやどかりみたいな郁から、ぐいぐい引っ張って取り上げ……たい、ん、だけど。 「いーく!」  なんで、こんなにしっかり育つかな。僕とほぼ同じものを食べてるのに。 「なんで……文……そんな、元気なんだよ……」 「だって、お布団!」  ほかほかなほうが寝る時に気持ちいいでしょう? 「もう少しさ……」 「ほーら! 郁ってば!」 「俺は眠い……文、眠くねぇの?」  やどかりと化した郁が布団を自分の懐へと仕舞いこもうとして、慌てて引っ張り返す。ちょっとした綱引きだ。 「それは新歓コンパでたくさん遊んできたからでしょ? 僕は、眠くっ、うわぁぁぁっ」 「そっちじゃないっつうの」  綱引きは、僕を引っ張って懐に仕舞いこむことで強制終了してしまった。本当に、ほとんど同じものを食べてるのにどうしてこう違うのだろう。血が繋がってないとはいえ、遠い、遠い、親戚なんだから、わずかでも血は同じはずなのに。 「あんなに夜、激しい運動して、眠くないわけ?」 「あっ……ン」  大きな背中、しっかりと筋肉が程よく付いた胸板。 「ン、ちょ」  それに、僕が上で暴れてもびくともしない腹筋、とかさ。 「すげぇ体力」  首筋にキスひとつされただけで甘い声があがる。寝ぼすけのやどかりはまだ服すら着ていなくて、僕が昨日しがみ付いて引っ掻いてしまった痕が肩のところからチラリと見えた。  気持ち良くて、もっと欲しいとねだれば、ずり上がって、お布団から出てってしまいそうなるほど攻め立てられた。そんな激しい攻めに悦びながらつけた痕。 「郁っ……ン」 「文、もう少し……ね?」 「ん、ね……じゃ、なーい! でしょ!」  むんずと摘んだら、郁のスッと通った鼻が、とても間抜けな音を立てた。ふごって、豚さんみたいな音を立てたのが可愛くて、楽しくて、笑ってしまう。  そして、笑われたと郁が僕の脇腹を大きな手で思いきりくすぐった。 「ちょ、やめっ、あはっ、あはははは」  やめてってば。くすぐったがりなのに。力だけなら到底勝てそうのない相手。でも、年上っていうのを振りかざそうとしても、笑ってしまって、ちゃんと話せない。 「知ってた? くすぐったい場所って、その人の性感帯なんだって、だから、さ」 「ふっ、ぁ、はっ……っ」  それなら、僕は。 「文、どこをくすぐられてもダメじゃん。ってことはさ」  僕は。 「あっ……ん」  指先の雰囲気が変わる、くすぐるんじゃなくて、柔く、甘く、撫でられて。 「ぁっ」 「せっかく休みなんだから……文」 「っ、ダーメ」  危ない危ない、このまま寝転がってしまったらスイッチ入っちゃうところだったよ、と慌てて身体を起こす。 「ほら、起きて、朝食、ミニトマトたっぷりのサラダにされたくなかったら」  起きて、顔を洗って。僕は布団を干したら、洗濯物もそろそろ完了する頃だろうし、そっち干して、掃除して。 「はぁー……」 「溜め息つかない」  で、うちのことが全て終わったらちょうどお昼くらいかな。 「午後、どっか出かけようか」 「!」 「だから、ほら、起きて」  午後の予定に少し目を覚ました郁の唇にそっと触れると、それが切り替えスイッチだったみたいに、やどかりがようやく布団っていう宿をほっぽりだしてくれた。 「ね、郁、パン、焼きたいからセットしておいて」 「はーい」  上半身裸の郁が眠そうにあくびをしながら、階段を下りていった。 「……」  くすぐられるの、弱いけど。でも、性感帯なんて、知らない。 「背中、痕だらけに……しちゃった」  そんな敏感にしたのは郁、でしょ? こんな、郁の背中を見ただけで発情しちゃうくらいに、したのは。 「もぉ……」  こっそりと呟く。本当は少しドキドキしてたんだ。胸の鼓動を落ち着かせるために、静かに深呼吸をひとつして、やどかりがいなくなった布団を抱えた。  さて、これを干しましょう。 「おっと」  四月。まだ冬がけだけれど、来月くらいには夏がけ出そうかな。郁、少し体温が僕より高いから。  ――文ん中、すげぇ、熱くて、エロい。 「っ!」  こら。僕は、また、そんなことばかり思い出したりして。 「あ、林さん。おはようございます」  布団を干すために二階のベランダに出たところだった。冬がけの、両手でめいっぱい抱きかかえた布団の向こう側、庭のところに林さんがいた。下にいる彼女へ失礼のないよう深めに朝の挨拶とともに頭を下げると、少し、元気がなさそうだった。 「……おはよう、ございます」  珍しいな。いつも前のめりで挨拶してくるのに。  ちらりと視線を上へ向けて、じっと僕の顔を、でも、数秒だと思う。見つめて、その視線を下へと戻した。  なんだろ。  でも、まだ午前中だからかな。週末、春先だと色々新生活で忙しいから、疲れてるのかもしれない。たしか、林さんのおうちは中学生になったばかり? もうなってる? 定かじゃないけれど、そのくらいの年頃の男の子がいたはずだ。  今日はお天気が良いから洗濯物とかたくさん乾きそうですね。  そんな他愛のない言葉をかけると、いつもと違う少し強張った頬を動かした。 「そ、そうかも、だわぁ。あ、そうだ。そろそろ、洗濯物の第二弾干さないと」 「えぇ、いってらっしゃい」 「……」  違和感のあった声色。でも、それだけじゃ判断できなかったけれど、でも、二階にいる僕を見上げて、そして一階で今頃パンをセットしている郁を見た、のかな。視線がうちのほうをじっとしばらく見つめていた。  だから、それでわかったんだ。  あぁ、そうか。  って、わかったんだ。

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