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第62話 僕のもの。僕らのもの。

 成田さん、だった。 「そっかー、もう高校生じゃないんすねぇ」 「え、えぇ」 「あ、そうだ。頼まれてた急ぎの塗料なんすけどー」 「え?」 (話を合わせて)  そう目配せが言っていた。  けれど、林さんは少し不服そうな表情で、その場から動くことなく、僕のことを待っている。  前にも、こんなことあったっけ。僕が結婚はしないのかと問われていた時もこんなふうに成田さんが割り込んで誤魔化してくれたんだ。あの時は、助かったーって思った。田舎の人は婚期とか孫云々とか大好きですよねって苦笑いをしながら話したっけ。  今も、そんなふうに林さんの詮索をやり過ごす手伝いをしてくれてる。  林さんの視線が、傾ける耳が、騒がしいほど知りたい知りたいって。僕と、郁のことを。  きっとここでかわしたところで、林さんは僕らのことをずっと探るだろう。人の好奇心なんて、お腹を空かせた子どもと同じだ。満たされない限り、きっと欲しがり続ける。  これは、探られなくちゃいけないようなことなのかな。  この好きは、チラチラと伺われるようなこと?  ただ好きなだけなのに、好奇心を持たれるようなことなの? 「あ、それと、新色がですね」 「……」  ねぇ、郁。  郁は、僕の隣に、来てくれる?  僕はいいよ。誰に何を言われても、別にかまわない。この気持ちは間違いなんかじゃない。この好きは曲げないって決めたから。  けれど、郁はまだ若くて、専門学校に通っていて、高校の友だちもたくさんいて、たくさんの人とこれからもっと関わるだろう。僕はそれに比べて、家も職場も、この四角い垣根の中にある。  僕よりも外に出て、冷たい風に身を晒すことになるかもしれない。刺さる人の視線は僕よりも痛いかもしれない。  大切な宝物だからこそ、守るために隠すべき、なのかな。  ただ恋をしているだけなのにって、貫くべき、なのかな。  あぁ、そっか。 「相馬さん?」  恋って、なんてヘンテコなものなんだろう。  知らなかった。つい数分前まで、すごく落ち着いていた。林さんに、世間に、十六歳差の男の子を誘惑したなんてと責められても、これっぽっちも臆することなんてないと思っていたのに、今も思っているのに、大事な大事な郁がその視線に晒されるかもしれないのなら、急に臆病になる。  好きは、僕のものだけれど。恋は、僕らのものだから。だから――。 「あ……の……」  誰より大事で大切だから。 「えっと」  とても大好きだから。 「文、ただいま」 「…………」 「林さん、こんちは。あと、成田さんも」 「……郁」  汗が滲んだ手はとても冷たくなっていたと、今、気がついた。郁の温かい手が、僕の手をぎゅっと握ってくれたから。 「俺ですよ」 「え?」 「文の、ペアリングの相手」  林さんが目を丸くした。口を開けて、聞き逃さないようにと、耳をそばだてて。 「文の仕事を一緒にやってくつもりです。専門でそういう知識を得て、経験積んで、この人の役に立てればって思ってます。高校も卒業したし、この人はもう保護者じゃない。学費も全額、必ず返すつもりです」 「……郁」 「文はもう、俺の保護者じゃないんで」  大きな手がぎゅっと握ってくれた。 「成田さんも、ありがとうございました。今後も宜しくお願いします。それじゃあ、失礼します」  郁が手を繋いで、隣にいてくれた。  宣言できたことに嬉しそうにして、宣言されたほうはポカンとしたまま、自宅のほうへと向かう僕らを見送っていた。 「……ったく」 「郁」 「そこで躊躇うなよ。俺は、これで文とのこと世界中にだって言いふらせるって大喜びだ」  隣に立って、ただ恋をしているだけなんだって、貫いてくれた。僕が何に躊躇って、何を思っていたのか全部分かってて、不貞腐れながら僕らの恋を貫いてくれた。 「郁っねぇ! 郁! 今ので」  いいの? もしかしたら、後ろ指をさされるかもしれない。ただスーパーマーケットに買い物に行くだけで、チラチラと視線がうるさいかもしれない。陰口を言われるかもしれない。それでもっ。 「林さん、すげぇびっくりした顔してたな」 「……」 「いいよ」  本当に、いいの? 「俺はただ、好きな人が、十六歳年上で男だっただけだ」  かまわないの? 「その十六歳年上なのに、男なのに、すっげぇ可愛い人だから、好きになったし。好きにならないわけがなかったし」  笑顔で、僕の隣を、歩いてくれるの? 「あ、つか、これで、いちいち首から提げなくてよくなるじゃん。指輪」 「……でもっ」 「だろ?」  スーパーマーケットでも、コンビニでも、林さんの、周りの視線がうるさくても? 僕が胸のうちだけでたくさん投げかけた全部の問いに丸ごと答えるように、郁が笑った。笑って、僕の手をそっと取って、薬指に輝く、指輪にキスを――。 「コホン」  キスをしようとしたけれど、一つの咳払いが邪魔をした。 「あのー……ラブラブなところ、申し訳ないんだけどさぁ」 「!」 「ねぇ、マジで二時間かかるのね。びっくりだわ。っていうか、その二時間かけてまた帰らないといけないから、さくさくやりたいんだけど」 「あー、わりぃ」 「わりぃって、私、年上だっつうの! って、一個だけだけどさー」 「あ……君は……」  その女の子は、咳払いをした時、口元を隠していた手を顔の横でパッと開くと、ピンク色の髪を揺らしてお辞儀をした。 「こんにちは! 私、スタイリング科二年、志田太市(しだたいち)です!」  あの文化祭で会ったことのある、あの子だった。 「えへ」  そして、その子は……男の子、だった。

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