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第67話 たんぽぽスマイル
今年の夏、花火大会は役員は免除になった。いや、そもそも花火委員は代打でやることになっただけなんだけど。ぎっくり腰をしてしまった田中さんの代わり。
今年は、その田中さんの腰はばっちり大丈夫なようで、去年、本番をあの会場で見られなかったことがとても悔しかったのか、すごい張り切っている。
「はぁ? なんで、手伝い」
「んー? だって、もう委員の人皆、歳が上になってきてるからさ、力仕事とか、大変そうでしょ?」
郁の仏頂面とだんまりは、静かなる反論、なんだろうけれど。
「だから、手伝いくらいしたほうがいいじゃない?」
僕にはそれ、逆効果なんだよ。とても可愛いくて好きなんだ。なんて言うと、もうそのへの字口をしてくれなさそうだから、内緒にしてるけれど。
「力仕事って、この細腕で?」
「うわぁっ! ちょっ」
ふわりと浮き上がってしまった。
「もぉ、下ろして」
「下ろしたら、町内会の手伝い行くんだろ」
町内会じゃないよ。花火委員。集まる場所は同じ自治会館ではあるけれど。抱き締められて、高い高いをされる子ども状態でそんな誤りを指摘しても、なんだか、年上の感じはあまりしないけれど。
力仕事くらいできるよ。郁ほど力持ちじゃないけれど、これでも織物業営んでる経営者なんだから。
「こら、下ろしてってば」
「おっさん、じーさんばっかの町内会に、文みたいな綺麗どころが来たらもう、おっさん、じーさんがセクハラしてくるに決ってんじゃん」
だから町内会じゃなくて花火委員だってば。
佐藤さんと加藤さんが? セクハラ? 僕に? ないってば。ありえないよ。
「何その、妄想」
「あのなぁ」
「エッチなビデオとか見すぎ」
「見てねぇよ。つうか、ビデオってなんだ」
ほら、そういう若者発言したりして。ビデオ……まぁ知らないよね。それにうち、テレビってあまりつけないから、録画できる機械ないし。郁はほぼインターネットで色々見てるし。
「ほら、もう行かないと」
「……俺も行く」
「平気。それに、こーんなキラキラ輝く指輪してるんだから、変なちょっかいなんてないよ」
「いや、むしろ、それが滾るっつうか」
「もおー」
そしたら、どうしたってセクハラが待ち受けてることになる。どんな危険な花火委員なの、って笑いながら、キスをして、自治会館へと向かった。
「いやぁ、若い人が来てくれると活気づくねぇ。音楽のカセット、どこに俺は置いたっけか?」
「相馬さん、テント運ぶの手伝ってもらってもいいか? またぎっくり腰したら一大事だからよぉ」
「あ、相馬さん、悪いんだが、機械わかるかね? 音が出ないんだわぁ」
どこがセクハラだよ。
「は、はーい」
もぉ、こんなことなら郁も連れてくればよかったかも。若い人って、もう三十半ばなんですけれど。でも、委員の人の子ども世代だもんね。若い、か。
「えっと、カセット、じゃなくてUSBですよね。えっと……はい。これです。それで、テント」
「相馬さーん、音出ないんだよー」
「は、はーい!」
加藤さんが花火大会で流す曲順確認をしたいと自治会館なる大きなステレオの前に座り込んでいた。
僕も、機械関係は苦手なんだ。ほぼ皆さんと変わらないアナログ人間なんだけど。
「音は……あぁ、これ、コードが別のとこに刺さってんすよ」
「あれまぁ」
「これで音出ます。あと、なんですっけ? ぁ、テントか。じゃあ、俺行ってきます」
「悪いねぇ」
「いえ。いいっすよー。力仕事なら、一斗缶運びで慣れてるんで」
ニコッと、大きな口をお月様の形にして、太陽みたいに笑ってる。
「助かるよー、成田さん」
成田さん、だった。
「また田中さんとこのじーちゃんがぎっくり腰になったら大変だからね」
「あははは、たしかにな」
成田さんが、太陽にみたいに笑っていた。
「……なりっ」
「ちわっす。俺、テント運び手伝ってきますね」
「……」
とても久しぶりに、成田さんが笑ったところを、見れた。
「いやぁ、皆、じーちゃんだから、こき使われまくったぁ」
「……」
「明日、肩上がるかな……」
「……」
「今日は、けっこう涼しいっすね」
「……あの」
花火委員を終えて、長老組はそのまま近所のスナックで飲んでいくらしい。ヤング組、って加藤さんが命名した僕と、成田さんはその場で上がった。
「なんか、久しぶり、になっちゃいました。すんません」
「……いえ」
塗料は成田さんところでしか頼んでない。けれど、きっと今までは意図してたんだと、思う。塗料の缶を持ってきてもらうのも、伝票の受け渡しも、成田さんには会うことがなかったから。
「すんません」
「いえ! あのっ! こちらこそっ」
慌てて、謝らないでと首を横に振った。
「ちょっと、片想いに整理をつけるの時間かかっちゃって」
「……」
片想い、って、そうか。整理を、しないといけないのか。いつかは、片付けないと。
僕は片想いを片付けたことがない。郁にだけしかしていないから。けれど、郁に別の好きな人が、もしいたのなら僕もいつかは整理しなくちゃいけないんだろう。
それは……僕にはできるんだろうか。
「けど、もう、平気、かな」
「……成田さん」
「その指輪、すげぇキレーっすねって、思えたから」
太陽みたいではないけれど、春の咲くたんぽぽみたいに優しい笑顔だった。
「指につけてないなんてもったいないっすよって、思えたし」
「……」
「だから、ずっと、そこにつけててください」
たんぽぽが優しく風に揺れてるみたいに、久しぶりに会ったら少し長くなっていた成田さんの前髪が揺れる。
「ずっと、俺が諦め続けていられるよう、そこにしててください。そしたら、いつか本当に……」
郁が一生懸命にアルバイトして溜めたお金で買ってくれた約束の輪。幸せに、二人でなろうっていう約束の輪。それを指にしている間は、どうしたって、叶わない片想いだから。
「じゃあ、俺はこの辺で」
「……えぇ」
「送りたいんすけど、友だちだったら、送らないから。花火委員、頑張りましょうね」
「はい。あのっ」
だから、ここで、と笑う成田さんは少しだけ寂しそうで、けれど、自宅へと向かう背中はとても真っ直ぐと正しく鼓動を刻む凛々しい背中だった。
凛々しくて、僕は、丁寧に、その背中に頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
そして、謝罪ではなく、感謝の言葉を口にした。
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