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第70話 ヒュー……ドン

 女の子は驚くほどすぐに印象が変わる。あっという間だ。 「あ……こんにちは」  気が付いたのは向こうが先だった。  僕は今晩の花火大会を自宅で観るからと、委員の人たちへ差し入れを持っていくところだった。歩いていて、向こう側から女の子がやってくるってぼんやり思っていただけ。  わからなかったんだ。あまりに大人っぽくなっていたから。お化粧、なのかな。向こうが僕に気が付いて、会釈をして、そこでようやく彼女だとわかった。 「佐野、です。郁、クンと同じクラスだった」  僕があまりに驚いた顔をしたんだろう。彼女は自分から名乗って、また改めて会釈をした。 「一瞬、気が付かなかった。元気にしてた?」  彼女は、郁が秀君と会った晩、一緒にいたのかな。秀君がたくさん人を呼んじゃって、入れる店がなくて困ったって、言ってたっけ。そしたらきっと呼ばれてるよね。まだ、郁のこと好き、なのかな。 「進学だったっけ? 夏休みでこっちに戻ってきてるの?」 「あ……はい。帰省で」 「……へぇ、そっかぁ」  郁に会った、んだろう。そして、まだ、郁のことを好きなんだろう。 「郁クンは通いなんですよね」 「あー、うん」  指輪を、彼女は見つけた。僕はさすがに見せびらかさなかったけれど、隠すこともしなかった。  差し入れのビールやらお茶やらをぶら下げた手を見て、その目が少しだけ揺らいだ。だから、この薬指にある指輪がアクセサリーじゃないって、わかったんだと思う。 「……そっかぁ。大変そう」  そして、視線に、声に少しだけ、棘が混じる。それは少し怖くて、少し痛いのだけれど、僕は手を引っ込めたりはしなかった。 「頑張ってくださいって、お伝えいただけますか?」 「……うん。ありがとうね」 「私、あっちなんで」  棘は混じったけれど、それでも彼女はパッと顔を上げる。その拍子にピアスのチェーンの先、可愛い花のガラス細工がキラリと揺れた。揺れて、歩き出した彼女の少し明るい色に染まった髪と一緒に弾んでいた。 「委員、とっ掴まらなかった?」 「うー、うん」 「は? 何? なんかあった?」 「あーあははは。来年からは本格参加かなぁ」  マジかよ。って、呟きたいのは僕のほうだよ。断れなさそうだし。 「郁と花火観たいんだけどなぁ……」  ――ヒュー……ドン。  って、真っ暗な夜空に咲き開いた煌びやかな花を音が追いかけてた。それはこっちの台詞だっつうのって、ぼやいた郁の仏頂面が赤い花火で赤くなる。 「前日まですごおおおい役員の仕事頑張るから、当日免除って……無理かな」 「我儘」  そうだよ。僕はとても我儘なんだ。知らなかったの?  笑うと、郁も笑って、音もなく咲いた白い花火を見上げた。  ――ヒュー……ドン、ドン。  今度は二発三発って、連続で音が光を追いかける。 「佐野さんに会ったよ」 「……ふーん」 「感じ、変わってた。びっくりしちゃった。大人っぽくなってて」  綺麗になってた。お化粧してるから少しドキドキしてしまうくらい。元から可愛い感じの女の子だったけれど、綺麗にもなってた。きっとモテると思う。 「……へぇ」 「この前、会わなかった?」  ――ヒュー……ドン、ドン。 「あー、いた、かな。けど、それどころじゃなかったから」 「?」 「言ったんだ。これ」 「……」  郁がまた打ちあがった花火へ向けてパッと広げた手をかざす。まるで太陽が眩しいみたいに。その指には指輪が輝いている。  見つけたのはやっぱりクラスの女の子だった。ずっと、高校生の間、誰かと付き合っているらしいけれど、その相手の気配が一切なかったのにって、その指に光る指輪を見つけた。 「話題騒然」 「……」  やっぱりいたんだ、って驚く人と、もう結婚したのかよ、デキ婚? って、質問しまくる人。  入れる店がなかなかなかったけれど、騒がしかったからそれはそれでちょうどよかったかもしれないって。 「すげぇ大事にしてたんだ。ずっと。もう高校卒業したし、指輪を買って渡した」  ――ヒュー。 「そう言った」  ――ドーン。  今度のは大きな音だったね。光が先にやってくるから、観ててびっくりすることってまずないんだ。大きな花火が打ちあがれば、その数秒後大きな音が鳴り響くってわかるから、身構えていられるけれど。  今は、郁のことばかり観てるから、心の準備はできてなくてびっくりしてしまった。 「すっげぇ……ずっと皆に言いたかったから。めちゃくちゃ嬉しくてさ」 「……」 「テンション高くうちに帰ったら、文がエロいし」 「!」  帰ってきた時、何か言いかけてた。  言いたいことあるって呼んだのは秀だけだったのに、って言ってた。 「ねぇ、文」  言いたいこと、指輪のこと。 「やっぱ、委員、当日だけは断ってよ」 「……」 「俺も手伝うから。そんで、やっぱうちで一緒に観ようぜ」 「……我儘」  当日、ゆっくりうちで観たいから、そこまで頑張るので後は宜しく、ってするの? ご近所さん付き合いっていうのがあるのに? 「そう、我儘」  郁が笑って、花火がキラキラ輝いて。僕は、郁にキスしたくなった。 「ね、郁」 「?」 「もしも……だよ? もしも、僕が他の人とさ、だったり、郁のことを家族としてしか見られないって言ったら」  片想い、だったら。 「どうしてた?」  どうしても、どう頑張っても実らない片想いは整理しないと、いけないのだけれど。 「好きのまんまだよ」 「……」 「`文が誰を思ってようが、文が俺を恋愛対象から外そうが、好きだよ」 「……」 「知らなかった? 俺、相当、我儘だよ? 一応、前に何度か我慢してみたけど。でも、諦めるとか、そういうのは無理だからさ」  それならちょうど、よかった。 「キス、して。郁」  僕もとても我儘でしょう? せっかくの花火なのに、見もしないで、横にいる郁とキスしたいとねだるんだから。郁は花火を楽しみにしてたのに、これじゃちっとも見えない。  ――ヒュー、ドーン!  ほら、大きな尺玉が上がったはずなのに。 「ン……郁、もっと」  一年に一回の花火なのに、ちっとも見せてあげない我儘、なんだ。

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