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第71話 からかい甲斐のある、大人
「そうそう、上手上手、太市君、うまいよ」
「やだー! 文さん、褒め上手! っていうか、なんか、褒め方もエロい」
「は、はいっ?」
太市君が可愛く肩を竦めて、身悶えた真似をした。入学式の時は春で桜だからとピンク色だった。今は、赤みの強い黒髪。ちょっと怖そうにも見えるけれど、テーマは紅葉らしい。僕には少し「地獄絵図」みたいに思えてしまって仕方がなかったんだけど。
「ほ、褒め方に、やらしいとか、あるの?」
「ありますよー。っていうか、文さん、普通にエロいもん」
「えぇぇ?」
一回り以上も離れた子に自信満々で言われたって、この歳までそんなこと誰にも言われなかった僕は反応の仕方にすら戸惑うってしまう。あしらい方すらわからないのに。
「えへへ、初心な反応もまた良い感じ。俺、本気になってもいいですか?」
「ひゃああ!」
いきなり変身しないで欲しいんだ。ついさっき可愛いハスキーボイスを出した太市君の急な低音と吐息を耳に吹きかけられて、おかしな声が出ちゃうじゃないか。大慌てで耳を押さえると、見た目は女の子だけれど、性別で言うのなら男性の太市君がケラケラと笑っていた。
「もぉ、大人をからかわないように」
「だって、だって、文さん、エロ可愛いんだもーん」
「あのねぇ、ほら、手がお留守になってる」
「その言い方がエロいんだよねぇ」
年下の恋人に愛撫をされながら甘く喘いで、快楽に酔いしれながら。
――ほら、手がお留守だよ?
その姿に見惚れる恋人に愛撫の続きを促すシーン……なんて、突拍子もないものが思い浮かぶんだそうだ。
「ほら! エロい!」
「ちょ! 太市君の妄想でしょ!」
「ぜえええったいに、事実だってば! ね? 昨日の晩んんん?」
昨日の晩、次の日が休みだからと、郁は――。
「ほらほらぁ、ね? ……アタッ!」
「バーカ、文はそんなじゃねぇよ」
郁が太市君の頭の上にポンと軽く拳を置いた。そして、呆れ顔で僕の擁護に。
「ちょっとぉ、一応僕が歳上なんだけど?」
「文はもっとエロ可愛いんだよ」
「ちょ! 郁っ!」
擁護に、回ってくれないらしい。
もう、太市君の妄想力を煽らないでよ。エロ可愛くはないからって、慌ててそれを否定したけれど、すでに太市君が目を輝かせていた。
「ほら、手を止めない」
まだ織り途中なんだから。
文化祭までに間に合わせないといけないのでしょ? そう言うと太市君が子どもらしい返事をして、作業を再開した。
「っつうか、また来てんのかよ」
「うるさいなぁ。仕方ないでしょ。先週だけじゃ終わらなかったんだもん」
「先々週もだろ」
そう。ここのところ、毎週うちに来てる。けれど、太市君の住んでいる場所からだと往復五時間かかるちょっとした小旅行くらいの距離だから。
「もう、いっそのこと泊まろうかなぁ」
「ふざけんな」
作業に使える時間はそう多くはなくて、学校のない週末、うちまで通って、織物を習いに来ていた。糸で織ってないから僕も少し手間取ってしまって。アースカラーの毛糸を使った織物。秋に、去年僕らも見学側で行ったことのある文化祭で、太市君の所属するスタイリスト科は展示にするらしい。ファッション学の原点からの変換、だっけ。とにかくデザインから全て太市君のオリジナル。
なんだけど……。
「文せんせー、ここは?」
「あぁ、そこはね」
生まれて初めての毛糸の織物。しかも、毛糸がナチュラル系で太さが均一じゃないからちょっと難しくて。
「なるほどー、こうなるのかぁ。おお、なんか織物っぽい!」
太市君は「常識」を覆すことに信念を持っていた。だから、いつも服はユニセックス。どっちの性別ともとれるような。もしくは男性だけれど、女性に見えるような。自分が目にしたものだけを信じてる。
彼は、初めてできた友人だ。
僕と、郁の関係をほんの少しだって怪訝な顔をせずに祝福してくれる、たった一人の、友人。
「文化祭、楽しみにしてるね」
「ありがとー。製作協力、ばばーんと、相馬織物屋って書いちゃうからね」
「あはは、嬉しい。絶対に行くね」
「? うん。そりゃ、来るでしょ?」
「?」
太市君がぽかんとしてた。そして、郁が慌てて駆け寄って。
「おい! 太市!」
太市君の口を押さえようと。
「あれ? 知らなかったの?」
けれど、そんな郁の手をひらりとかわして。
「郁んとこ、今年、自分たちで製作した藍染の浴衣着て、喫茶店するんだよ?」
「えっ!」
「な? そうだったよな? 郁?」
可憐な笑顔で、低音ボイスで、声高らかに、そう教えてくれた。
「なんで教えてくれなかったの? 浴衣、作ってるなんて、ちっとも」
太市君が帰ると一気にうちの中が穏やかな空気に変わる。夕方、外は秋の虫たちの大合唱がものすごくて、日中の暑さなんて吹き飛ばしてしまえる冷たい風に、半袖はちょっと肌寒かった。
「目がガタガタなんだよ。下手くそすぎて、マジでやべぇんだって」
「そんなこと……」
郁が藍染めの浴衣? もうそんなの素敵に決ってる。絶対にカッコいいよ。それなのに、太市君が教えてくれなかったら、僕は最悪その艶姿を見逃すところだった。
「……んねぇじゃん」
「? 郁? 今、なんて」
「この仕事に向かないって、思うかもしんねぇじゃん」
「……」
「不器用すぎて」
軽やかな鈴虫の鳴き声とは逆に落ち着いた男らしい低い声が、今は可愛く思えた。
「そんなこと……」
「や、あれは微妙すぎるっつうか.マジでさ。ホント、文が見たら、……」
愛しく、思って、キスをした。
「郁、ぶきっちょなんだ?」
「……」
「それはとても、困ったかも、なんて、嘘だよ」
縫い物なら僕だって相当苦手だよ? 母みたいに反物から着物一枚作ろうとしたら、それはそれは大変なことなんだ。万里の長城を歩くほうが簡単かもしれない。
「不器っちょでも、就職、うちにしてください?」
「……」
「再来年、ね?」
「……じゃん」
郁が、今日は声が低くて、また聞こえなかった。聞き逃してしまった言葉を伺おうと首を傾げて、耳を傾けると。
「やっぱ、エロいじゃん」
そう告げられて、畳の上に押し倒された。
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