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第73話 二度目の文化祭
片道二時間、去年は郁と二人でデートも兼ねていたけれど、今年は一人で。
「……織物科は」
三階って言ってた。だから学校案内図の中で三階の地図を見ながら、郁が言っていた角から数えて二つ目の教室を探す。
――人、すごいだろうから、迷子になるなよ? それと。
「……あ、あった!」
知らない人についていかないように、なんて、まるで子どもにでも言い聞かせるように言われてしまった。
大丈夫。
田舎者で、人が多いところは確かに苦手だけれど、さすがに知らない人にはついていかないってば。
太市君のところも見たいんだ。うちの相馬屋が記載されてるって言ったら、パートさんたちが見たがってくれて。写真、撮って、見せてあげようと思う。
たしかスタイリスト科は展示だけを二階でしてるって。ちょうどいい。二階に行ってから、三階に行こう。太市君がいたらいいのだけれど。
「すみません。パンフレットはどちらで配られてますか?」
案内図を見て、ルートのおさらいをしていると、背後で声がした。低くて落ち着いた声は騒がしいお祭り騒ぎの雰囲気とはしゃいだ声で溢れ返るここでは、むしろ目立っていて、つい振り返ってしまった。
うわぁ。
そんな声をあげそうになるくらいの紳士がそこにいた。光沢感のある上質なスーツに身を包んで、なんだかすごい人。
あんな人もいるんだ。そう見惚れてしまうくらいにかっこいい人だった。
「あー、それ、きっと業界の人だぁ」
「え? 業界? アイドルの?」
でも……うん。納得する。年齢は僕より上だった。きっと俳優さんじゃないかな。芸能人って詳しくないから、僕にはわからなかったけれど有名人なのかもしれない。都会だし。あ、でも。声がカッコよかったから歌手って言うのもありえるかもしれない。
「服飾だからやっぱりモデルさんかなぁ」
「! 違う違う! 業界の人って、芸能界じゃなくて、服飾系とかの業界」
「?」
ようはファッション業界の人、らしい。二年生は来年にはその業界で仕事をすることになる。目ぼしい才能がどこかに埋もれてやしないかとスカウトをしに来ることもあれば、今後自分たちが一緒に働くかもしれない人材視察、という場合もあるらしくて。
「そっちかぁ」
「たぶんねぇ。けっこうあるんだよ。文化祭って、その科の成果を披露するところでもあるからさぁ」
太市君たちのスタイリスト科は、やっぱりスタイリスト、になるわけで。
「へぇ」
「もー、やっぱ、文さん天然」
「ボーっとしてるって言いたいんでしょ」
「あはは。そうかも。あぁ、道順、そっちじゃないよ。こっち」
廊下の突き当たり。右に行くか左に行くか。僕は左に進もうとして、太市君に引っ張り戻された。右、らしい。さっき地図ならちゃんと見たはずなんだけれど。こう、人が多いと、つい、ね?
太市君が一緒でよかった。
去年のスタイリスト科は実技模擬店だったから、ほぼ全員係りがあって、文化祭を楽しむ余裕がほとんどなかった。だから、今年は展示をメインの催しにした。当日までは忙しいけれど始まってしまえば、あとはのんびり展示物を見守って、眺めるだけで大丈夫。けっこう楽チンらしくて、今も、織物科のある三階に一緒に行ってくれることになった。
「ほら、あった」
織物科、学校にいる時の郁を見に。
「あ、いたいた。おーい、いくー! ……ぶっ、あははははは。見て見て、文さんっ」
「こら、太市君っ!」
一緒に行ってくれる、というよりは、郁をからかいにやって来た、らしい。
「てめぇ……太市」
「だってぇ、ぶははは」
今日の太市君はそれはそれは可愛らしい女の子の出で立ちなのに、お腹を抱えてその場に座り込みながら笑うところは無邪気な男子高校生っぽい。
「もー、笑わないの。太市君、上手だよ? 郁の」
「いやいや。プロ志望の服飾学生から見たら、超、目が粗いし、色々突っ込みたいし」
そんなことないってばカッコいいよ。ちょっとだけ、ちょっとだけ、ね。
「うっせぇな! 初めてなんだからこんなもんだろ」
ちょっとだけ布がつれてしまっているけれど、初心者が作ったとは思えない素晴らしい出来栄えだと思うよ?
僕には、普通にカッコよかった。見惚れてしまうほど。
「ほら、入れよ」
接客とは思えない不器用な挨拶に笑いながら、案内されたテーブルに座る。辺りを見渡せば浴衣姿の郁と同年代の子がいた。
「おーい、郁、こっちのコーヒー運んでくれ」
「おぉ」
「なぁ、郁、このあと、次のグループの奴らが帰って来るの何時だっけ?」
「あー、たしか後三十分」
「まーじーかぁ」
その同年代の子と郁が話してるのをチラチラと伺っていた。
秀君と一緒にいる時もこんなだったっけ。秀君は少し幼さがある気がしていたけれど。違うのかもしれない。郁が大人びているんだろう。
「ほら、お前もこれ運べよ」
「うあーい」
「あと三十分したら休憩だから」
高校生の時の郁みたい。
「!」
ちょっとだけ、違うかな。高校生の頃とは違っていて。
「……」
僕に、この後デートな? なんてこと、目配せでも言ったりしなことなかったから。少し、昔とは違う、学校での郁が見れて、それが浴衣姿で、とてもドキドキしていた。
「へぇ、スカウト。そんなんあるんだな」
「うん。すごいよね」
ゆったりのんびり、秋風がどんどん冷たくなる中を二人で歩いてる。文化祭、疲れたよね。郁、たくさん仕事してたもの。
「まぁ、俺には二年になっても関係ないけど」
「?」
「もう、就職先、決ってるし」
「っ」
「そこで照れる?」
照れるよ。照れる、でしょ。だって、なんだか、郁が大人なんだもの。
ふわりと微笑んで、背中を伸ばすようにストレッチをした。
浴衣もだけれど、太市君のところも手伝ってた。縫いは苦手だけれど。何か調整とか手直しだったら、むしろ太市君よりもずっと上手にできてしまう。何せ、郁は織物科だから。結局、休憩の半分くらいはそっちの手伝いをしてたくらい。
「疲れたでしょ?」
「別に?」
「織物の上手に直せてたね。いっぱい勉強してるんだなぁって思った」
もしかしたら、僕より一流の織物師になれちゃうかもしれない。だって、あのりょうちゃんの血を引いてるんだから。芸術系のセンスはピカイチだ。
「そりゃな。相馬の名前が入ってんだから、ちゃんとやっとかないとだろ」
「……」
「にしても、そのスカウトマン、どんなだったんだろうな。文が大絶賛するなんて」
「……」
「ちょっと、妬ける」
秋風に郁の黒髪が揺れる。
「……うよ」
「文? 何?」
たしかに、あのスカウトマンさんは紳士で素敵だったけれど。でも――。
「郁が、あのくらいの歳になったら、もっとずっと、カッコいいと思うよ」
「……じゃあ」
文、楽しみにしててよ。そう言って涼しげに笑う郁のほうが、胸のとこが甘くきゅってするくらい、カッコよかったよ。
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