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第77話 手の中に隠せたら

 ――そうですか。いや……そうですよね。急に押しかけて失礼しました。こういうところがダメなんだなぁ。  そう言って野間さんが苦笑いを浮かべ、整えられた髪をくしゃりと掻き乱した。その仕草、郁にそっくりだ。  郁もよくやるから、あまりに、なんだろ、シルエットが重なりすぎて、目に焼きついてしまった。 「ぁっ……ン」  中が郁の出したもので濡れるのを感じて、自然と喘ぎ声をあげた。 「んん」  ぶるりと震えるほど、中に放たれたことに身体が悦んでる。 「文、ごめん。我慢できなかった」  ほら、ね? おんなじ。同じ仕草を今、郁もした。照れくさかったり、ちょっと失敗したって時にするんだよ? それ。  僕の好きな郁の仕草のひとつ。 「……すげ、気持ちよかった」  笑ってた。とても嬉しそうに笑って、乱れた呼吸のまま僕に深く口付けてくれる。セックス直後でとても熱い舌同士を絡ませ合って、押し込むように互いの口の中を舌で荒らして、濡れた音が寝室に響いてる。  余韻すら心地良いから、お互いに離れがたくて、口付けながら何度も角度を変えては絡まり合ってしまう。離したくなくて、手が自然と郁の首にしがみついちゃうんだ。 「ンっ……いい、よ」  中にしてって言ったの、僕でしょ? そう、キスの合間に掠れた声で伝えた。  中でイって欲しかったのは僕、郁が僕の中で達するのを感じたくて、郁の体液を身体の奥に注いで欲しくて、ねだったんだ。しがみついて、甘えた声で。  中出ししてって、おねだりをした。 「……ぁっ」  ずるりと引き抜かれる郁のペニスに鼻にかかった甘えた声が零れた。そして、繋がった孔から溢れる、郁の――。  僕はもったいなくて、慌てて孔の口に手を伸ばす。トロリと溢れた余りを指にまとったりして、とてもはしたないけれど。 「あっ……ぁっ」  ――郁は、その、学校頑張っているんでしょうか? なんて、私が父親面して訊く権利なんてないんですが。 「中に、欲しかったの? 文」  ――りょうもこちらでお世話になってて、家族同然に接していただけて、本当に感謝してるんです。ありがとうございます。 「ン、欲し、かったの」 「……」 「郁の……が、欲しくて、ぁ、ああああっ」 「っ、何、それっ」 「あっ、待っ」 「すげぇヤバイ」  ――何かあったら、って、その、手助けでもなんでも、本当に遠慮なくご連絡ください。 「ぁ、あっ、ン、中の、零れちゃうっ」 「文」  ――これ、私の私的な連絡先が裏に書いてあります。表は私がやっている劇団が記載されてます。 「あ、やぁっン、郁っ」  きゅっと孔を締め付けた。また奥まで突き刺さったペニスに引っ掻き出されてしまわないように、郁の体液が僕から零れてしまわないようにって、きゅって、孔を窄めて。 「文」 「ぁ、あっ、零れるの、やっ」 「また、出してやる」  ――それでは、お忙しいところ、大変失礼致しました。 「文」 「あ、ぁっあああああ」  奥に突き刺さった郁のペニスに身体を仰け反らせて悦んで、もっと欲しいと自分から腰を浮かせてる。 「文」  初めて、だった。 「文?」  郁とするこの行為に、初めて、罪悪感を、感じたんだ。 「郁……」  とても、悪いことをしているって。 「大好き」  そう思うのに、身体は、気持ちは、恋しいとしがみついていた。  やらないといけないのはわかってるのに、どうしてやりたくなくてさ。  小さい頃、プールが大嫌いだった。泳ぐのが下手で、ほら、夏休みにも学校でプールってあるでしょう? ああいうの、すごく苦手で。皆はクラスメイトに夏休み会えると嬉しそうで、暑い最中のプールが楽しそうで、けれど、僕は憂鬱だった。どうにか熱は出せないだろうかと考えてさ。  それは、プールで検定試験の日だった。  皆の前で泳がないといけないもの、イヤでイヤで、朝、体温測るのにズルをしたんだ。お湯を沸かして、そのお湯を測ったら、高熱ってことになるんじゃないかって。  けれど、自分が思っていた以上、ものすごい異常な高温が表示された。そしてそのまま、体温計は壊れてしまって、僕はびっくりしちゃってさ。仮病どころか、体温計が壊れるっていう不測の事態に大慌て。  結果、嘘はバレて、体温計を壊したことも怒られて、検定試験に行かないといけないっていう、イヤだったことは一つだけだったはずなのに、気分が下がることが二つもそこに乗っかってきた。  検定はいつかは必ず受けなくちゃいけない。壊れた体温計は直らないし、買い直さなくちゃいけないし。  そう、イヤだろうと、嘘ついたって、隠したって、そのイヤなことはなくならない。  なし、には、ならない。 「んー…………み」  寝てるのに、探してくれるんだね。 「……まだ、寝てて」 「……」  愛しい人の髪にキスをした。 「……まだ」  なし、になればいいのに。  そっと、布団を抜け出して、そっと、居間へと移動してから、野間さんの名刺を――。 「……」  手に余る。  こんなに小さな、ただの紙なのに、丸めてしまえば手の中に隠せるのに、手に余る。わかってるんだ。わかってるけれど、野間さんの名刺を、今日言われたことを、僕はやっぱりなしにしたくて、手の中に隠しておきたくて、ぎゅっと握り締めていた。  ただぎゅっと握り締めて、居間でひとり、目を閉じた。そして、目を閉じると。  ――もったいないようにも思うんです。  そう言った郁のお父さんの憂いの表情と、それと。  ――へぇ、ミュージカル。  やっぱり親子なんだなぁと感じた、あの映画館で見たミュージカル映画のポスターに目を輝かす郁の横顔が、脳裏に浮かぶから、見えないようにと目を、ぎゅっと瞑った。  ぎゅっと、ぎゅっと、硬く、瞼を閉じた。

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