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第629話

『もしもし? どうされたんですか。 今、仕事中じゃ…」 は、ぁぁ... 三条の声を聴いて安堵した。 その場にしゃがみこむと、長く息を吐いた。 いや、漸く息が出来た。 今まで息を詰めていた事にすら気付かなかった。 『正宗さん…?』 「悪い、なんでもねぇ。 いきなり電話して悪かった」 『でも、仕事中に電話なんてはじめてですよ』 「いや、声が聴きたくなってな」 つい歯切れが悪くなってしまう。 駄目だ 安心して頭が回んねぇ だけど、声を聴けて本当に安心した。 それに、単純に嬉しい。 恋人の声だ。 好きに決まってんだろ。 それが聴けて嬉しいのは当たり前。 つい聴き続けていたくて黙ってしまう。 『もしかして、 ニュース見たんですか』 「…事務室でな」 恥ずかしい事に市の名前だけを聞いて電話をしてしまった事がバレてしまった。 なんなら笑ってくれ。 笑った声も聞きてぇ。 『大丈夫ですよ。 旧市外みたいです。 家より田上の家の方が近くてそっちが心配です』 「田上…」 三条の暮らす町は十数年前に合併し大きくなった。 今回、感染者が確認されたのはその旧市外。 電車に乗ってもゆうに20分はかかる。 寧ろ、同じ市内の三条より田上の住む村の方が距離的には近いと言う。 田上も心配だ。 恋人の大切な友人。 大切なA組の教え子。 『あの、本当に大丈夫ですか?』 心配そうな声に被って、ぶぅぅ!と幼い声が聴こえてきた。 驚き思わず動きを止める。 『綾登、待って。 今電話してるから」 「悪い、弟と一緒にいたのか。 声聴けて安心したよ」 『母が洗濯してて。 綾登、俺いま大事な電話してんの。 待ってください。 あの、大好きです』 足元で黄色を覗かせるたんぽぽが気持ち良さそうに太陽の光を浴びている。 漸く、そんな小さな事へも意識がいくようになった。 本当に遥登の力は偉大だ。 「俺は、愛してますよ」 『へへっ』 『あ一っ』 「遊んでやれ。 俺に嫉妬してんじゃねぇか」 『分かったから、落ち着けよ。 慌ただしくてすみません。 あの、また夜に連絡しますね。 今日も島しますよね』 「ん、する。 楽しみにしてる」 名残惜しそうな声が、 もう1度名前を呼んだ。 『俺も、あいしてます』

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