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第926話
三条と会える頻度が少し戻った。
週末そうして充電出来るだけで仕事のスイッチがカチッと入る。
我ながら現金だと思うが、気力が違う。
「わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしては 逢はむとぞ思ふ」
マスクで籠ってしまうのでいつもより少しだけ声を張る。
隣からも同じ様な声が聞こえてくるが、こればかりは致し方ない。
生徒の健康もこれからも同じだけ大切だ。
「現代文に訳していきましょう」
教壇の上へと上り短くなったチョークを手に取る。
背中に向けられる多くの視線を気にする事なくマーカーラインを引き、コツンとそこを刺した。
「わびぬれば、のこの『わび』は動詞『わぶ』の連用形で『想いわずらい悩む』という意味です。
恋煩いと同じ意味のわずらいと思ってもらえれば考えやすいですね。
ここでは行き詰まった気持ちを表しています」
カツカツとチョークが黒板を叩く。
溢れた石灰がスーツの袖を白く汚していくが、構わず書き続ける。
この身長のお陰で、黒板を上までフルで使えるのは便利だ。
後方の生徒も比較的見やすいらしい。
無駄に大きい背丈が役に立っているのなら良かった。
「ここの『ぬれ』の活用は、完了の助動詞“ぬ”の已然形です。
そして『已然形+ば』のこの形、覚えていますか。
じゃあ………吉田さん」
「えっと、順接確定条件です」
「はい。
正解です。
確定条件になります」
赤いそれに持ち変えて、更に書き込みをしていく。
「確定条件は、~なのでと訳します。
前後によって多少言葉は変えて大丈夫です。
つまり、噂がたって悩んでいるので、となります」
色に塗れた指でノートを触るせいでノートの端に色が付いた。
払っても残る微かな色を三条はなんと言うだろう。
聴いてみたい。
「それから、今はた同じのこの『はた』ですが、『はた』は『また』という意味の副詞で、『今はまた同じ』。
もっと今の言葉に近付けて訳せば『今となっては同じことだ』という意味になります」
足踏みした分だけ教えたい事は沢山ある。
だが、それを足早に伝えてしまっては勿体ない。
きちんと丁寧に教える事が理解に繋がると思うからだ。
解らない箇所をそのままに進めばどんどん不安定になってしまう。
それを繰り返せば余計にそうだ。
教える事が仕事なんだから、そこを適当になんか出来やしない。
生徒達に対しても失礼だろ。
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