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初めての夜(3)

「そんなに何を悩んでいるのかな。君は何も考えなくても良いんだよ。私に任せてくれたら大丈夫だから」  そう言って、イアンはスーツの内ポケットから四角いケースを取り出した。 「君と私は、今夜番になるんだよ」  ──え? 「でも、俺は……」  言いかけると、軽いキスで唇を塞がれた。 「大丈夫、これがあるから心配しなくていい」  その四角いケースの蓋を開けると、中には注射器と何やら小さな小瓶に液体が入っていた。 「君は、抑制剤は持ってるのかな?」  抑制剤……それは、突然の発情期を物理的に抑える為の薬だ。 「はい、一応持ち歩いています」 「そう、それはもう私と番えば必要ないね」  イアンはアンジュと会話を続けながら、小瓶の中の液体を注射器内に吸い取っている。 「あの……それは何ですか」 「これはね、抑制剤とは真逆の薬。君のようになかなか発情期が訪れない人に使う促進剤だよ」 「えっ? でもそれって……」  確か、法律で禁止されていると、ニュースで見た事がある。  勿論、保険も適用されておらず、高額で闇で取引きされているという噂もあり、アンジュは自分には関係のない代物だと思っていた。 「大丈夫。確かなルートで手に入れているものだから安全だよ。ほら、腕を出して」 「えっ、い、嫌だっ」  それだけは嫌だ。しかしイアンは、逃げようとしたアンジュの手を掴み、強く引き寄せる。  足を掛けられて、体勢を崩し、アンジュは呆気なく床に組み敷かれてしまった。 「……っ」 「大丈夫だよ、すぐに済むからじっとしておいで」  鋭い注射針の先から、ポタっと液体が落ち、アンジュの細い腕を濡らす。 「だ、駄目!」  アンジュは馬乗りにされた状態で、これ以上ないくらいに暴れた。  隙を突いてイアンの逞しい身体の下から這い出して、窓際へと走る。  だけど呆気なく追いつかれ、窓ガラスに身体を押さえつけられた。 「いやーーーーッ」 「危ない! じっとしてろと言っているだろう?」  イアンがこんなに声を荒げるところを見た事がない。  ──怖い! と、そう思った。  その時、イアンの身体に異変が起こった。  アンジュの腕を掴んでいるイアンの指の爪が肉に食いこんで、温かい血が一筋、皮膚の上を流れた。 「あっ、あ……ッ」  さっきまで暗かった外が明るく感じる。夜空を覆っていた分厚い雲が流れ去り、大きな白い満月の光が部屋に射しこんでいた。  イアンの銀色の髪が、真っ白く変化していく。 「アンジュ……お願いだ、おとなしくしていてくれないか。私と番ってほしい」  懇願する灰青の瞳が光り、危険を察知して全身が戦慄いた。  一体、何が起こっているというのだろう。  イアンの全身が、美しく光る白い毛で覆われていく。頭には獣の耳が、背後にはふわふわの尻尾。荒い息を吐いている口からは鋭い犬歯が伸びていた。  月の光を浴びて変化した、明らかにこれは、獣だ。  だけど、どこか凛としていて美しいと思ってしまった。まるで神の化身、白い人狼(ウェアウルフ)。

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