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初めての夜(5)
家を出て、アンバーはガレージに停めてある車を適当に選び、運転席に乗り込んだ。
「乗って、アンジュ」
助手席にアンジュを座らせて、しっかりとシートベルトを締めた。
「免許、持ってたんだ?」
「当たり前。ペーパードライバーだけど」
「いいの? これ家の車だろ?」
「いいの。一台くらい、父さんだって、息子の旅立ちの記念にってくらいには思ってくれるさ」
空にはまた、どんよりとした雲が垂れ込めていて、月の光は遮られていた。
「どこに行くの?」
「どこへでも。気の向くままに」
アンバーはそう言って笑った後に、「でもどこか泊まる所を探さないと、僕もちょっとヤバいかも……」と、付け足した。
「アンバーも変身するんだ」
「怖い?」
「別に」
アンバーは本当に気の向くままに車を走らせた。どこへ向かえば獣人と人間のΩが静かに暮らせる未来を見つける事が出来るのか、今は分からない。
「弁護士になりたいんじゃなかったの? 家を出たら学校に通うのも難しいよ」
まだ10代の二人が生きていくには、この世界は厳しすぎる。
何の準備もしないで出てきたから、鞄の中にはとりあえずの着替えと、財布だけ。
「怖い?」
「別に」
また同じ言葉を繰り返して、二人はプッと吹き出した。
「弁護士は別になりたい訳じゃなかったんだよ。兄さんが法律に詳しい身内が居た方がいいからって、それで言われるままに勉強してただけ。俺は名前も家も捨てたんだ、これからはただのアンバーになる。それでも怖くない?」
「怖くないけど、不安だよ」
不安には違いない。だけど今は何も考えないようにしよう。
2時間程走ると、街が遠ざかり、交通量の少ない田舎道に出た。
街灯もなく、周りは畑なのか真っ暗で、道路のセンターラインだけがライトに照らされて浮かび上がっている。
そんな中、前方に古いモーテルが見えてきた。
「今夜はあそこで泊まろう」
車を駐車場に停め、先に助手席からアンジュが降りた。
モーテルに泊まるのなんて初めてで、珍しくてキョロキョロと視線を泳がせていた。
その時、不意にドクンと心臓の音が大きく響く。
「……なに……?」
気のせいかと思ったけれど、胸を打つ音は徐々に大きく早くなっていく。
全身が心臓になったみたいで、ドクンドクンと震える度に体内から熱が生まれ広がって行く。
「アンジュ?」
先に支払いを済ませてきたアンバーの声が聞こえると、もっと身体が熱を帯び、力が抜けて立っていられなくなる。
「……なに、これ……怖い」
「大丈夫? もしかして……これ、この匂い……」
アンジュの肩を抱いて、立ち上がらせようとしたアンバーの様子も急に変化してしまう。
真っ暗だったアスファルトの駐車場が月の光に照らされた。
「うう、っ……」
アンバーの唸るような声が、アンジュの熱を上げていく。
そして、アンバーはアンジュの身体から放たれるフェロモンに抑えが効かなくなっていた。
こんな所で変身してしまってはいけない。
アンバーは自分の中に残っている理性を総動員して、アンジュを抱きかかえてモーテルの部屋へと移動した。
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