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第4話
七音に与えられたのは、あの日目覚めた部屋とたくさんの衣装と、世話係のアルだった。同じ狼獣人でも、アルはヒュドゥカほど大きくない。獣人にもアルファ、ベータ、オメガのバースがあり、アルはベータの平均的な体格だという。
明るくて細やかな気配りをしてくれるアルのおかげで、七音は慣れない屋敷でなんとか暮らせている。
「七音さま、お食事のリクエストはありますか?」
「やわらかくて温かい料理がいい。それから野菜も欲しい」
ヒュドゥカの番になったとはいえ、オメガの七音が要望を言っていいものかと、初めは「おまかせします」と答えていた。だがそうすると七音には硬すぎる肉が塊で出される。その上冷めた状態で、ふた口齧る間には顎が疲れてしまう。その上ヒュドゥカたち狼獣人は野菜を殆ど食べないのだ。
食生活の違いがあるのは仕方がない。だからといって食べないわけにもいかず、七音は率直に希望を伝えることにしたのだ。
「わかりました!」
ぴょこりと頭を下げたアルは、さっそく料理長に要望を伝えに走り出す。
──なんか、思ってもみない生活だな。
アルファと番になった後は、アルファに傅いて生きるものだと思っていた。ところが七音は傅くどころか、令嬢のように大切に扱われている。望めば多少の無理も聞いてもらえそうな雰囲気だが、七年間窮屈な寮で暮らしてきた七音は、欲しいものも叶えたい希望も思いつかなかった。
──外に行きたいと言っても、周りは獣人ばかりだろうし。
調度品のひとつを取っても七音の体格には合わないのだから、ひとりで外に出ても困窮することは想像に難くない。与えられている部屋から出て屋敷内を歩くことを禁じられていないのに、殆ど部屋と部屋から出られる中庭で過ごすのも同じ理由だ。
「七音さま。今夜は闘技場へ行かれるとのこと。衣装のお召し替えをお手伝いいたします」
「闘技場?」
そんな話は初耳だった。七音が首を傾げていると、アルは「ご説明します」と言いながら脱衣を手伝ってくれる。
「闘技場とは、騎士たちがそれぞれの技量を競う場です。主に王国騎士団に召し上げられたい下級騎士たちが出場しています」
「へえ……」
七音の住んでいた国に騎士はいない。戦うといえばスポーツが浮かぶが、そういったものだろうか。話をしながらもアルは手早く七音の着替えを進めていく。
「はい、おしまいです。とってもお似合いですよ」
言われて七音は自らに着つけられた衣装に目を落とす。
──薄い。これはもはやドレスの部類じゃないのか。
ノースリーブのワンピースの形に縫い上げられた衣装は、絹糸に似た生地が繊細なドレープを作り、七音が身じろぎするだけでゆらゆらと揺れる。
部屋で着ているシンプルな白い衣装とは違い、装飾も過多だ。光る糸が輝き、縫い留められた石が瞬く。
「おっと、忘れていました」
衣装箱を片付けようとしていたアルが慌てて振り返り、七音の首に飾りを巻く。
「苦しい……」
「慣れるまではそうかもしれませんね。ですが、オメガのかたが外を歩かれる時は、首元を隠すのが礼儀ですから」
──なるほど、噛み痕をさらけ出さないようにか。
ヒュドゥカによって噛まれた場所は、十日経つうちにすっかり治った。だがそこには牙の痕がくっきりと残っている。
「あ、ヒュドゥカさまがお帰りです」
七音には聞こえなかったが、アルは馬車の立てる音を聞きつけた。
ヒュドゥカは日中不在にしている。おそらく仕事をしているのだろうが、それがどんな仕事か七音は知らない。朝食は共にするが、昼食はひとりだし、夕食も一緒に摂れるのは三日に一度といったところだ。
「七音、入るぞ」
アルが扉を開けるとヒュドゥカが入って来る。ヒュドゥカもまた屋敷にいる時とは違う格好をしていた。どことなく軍服を思わせるような襟付きの衣装に、帽子まで被っている。
──格好いい……っ。
それがヒュドゥカに対しての感情なのか、服装に対してなのか判別できないが、七音の胸がキュンとなった。
「支度は出来ているな」
「はい、ヒュドゥカさま」
「では行こう」
アルに背中を押された七音は、ヒュドゥカの隣に並ぶ。近くで見れば一層胸が騒いだ。並んだきり動けなくなった七音をヒュドゥカが怪訝そうに見下ろす。狼の顔色なんて分かるはずもないのに、なんとなくそう見えた。
「ここに掴まれ」
七音の衣装は引きずるほどではないが、足首近くまであるため、足さばきが悪い。転ばぬようにという配慮だろう。七音はヒュドゥカの腕に右手で掴まった。
誰かと腕を組むなんて初めてのことだ。落ち着かない気持ちのまま屋敷を進み、玄関ポーチに停められた馬車に乗り込む。
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