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第2話

  「成るほど、中庭に逃げたと思っていたが、呪符で自分の分身を作り、この唐櫃の中に隠れていたということか………」 ヒョニのヤツ(黒灰の狼)が逃すハズだと、灰白の狼があからさまに呟いた。 そう、唐櫃に身を潜めていた童は童でも、陰陽師(おんみょうじ)だったということだ。 陰陽師とは、ひとの世で陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)に基づいた陰陽道によって、占筮(せんぜい)及び地相(ちそう)などを職掌(しょくしょう)する者のことで、異界では魔術師(まじゅつし)の類いとされている。その中には、直霊(なおひ)荒魂(あらみたま)などを祓ったり退治したり、和魂(にぎみたま)幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)などを(まつ)ったり(おが)んだりして生計を立てている者もいるようだ。 童が握り締めた呪符をみる限り、彼は後者の陰陽師なのだろう。隠身(かくれみ)分身(ぶんしん)などの術が使えるようだから。 そして、手にある呪符が使えれないのも、おおむね予想がついている。ひとの世と異界のマナ濃度の違いだ。 異界とは霊気が豊富な霊界(*1霊気とは呪に必要なマナのこと)と似ている。住まうモノは死霊(しりょう)でないが、種族はさまざまだ。獣人、オーク、妖精ときて、精霊もいる。ほんの僅かではあるがひと(・・)もいた。群を抜いて、悪魔や魔王などがひしめくくらい蔓延っている。 また、そんな異界では魔素(*2魔素とは魔法に必要なマナのこと)が豊富で、第三階級でも簡単に魔法が使える。魔法石に魔法を込めるというプロローグ(見習い)専用の内職があるくらいだ。 陰陽師なら霊気に敏感だから、直ぐそのことに気がついたハズ。いつもと勝手が違うソレとその膨大な量の所為で呪符が使えないことに。 そう、未知のマナで未知数の威力なら呪符を使うことは自殺行為と等しい。 灰白の狼は深く息を吐き出すと、不意に不可解なことにも気がつく。 「いや、待て待て。ならば、なぜその呪符をひとの世で使わなかった?」 手に握っている呪符の種類と呪のできからして、彼の腕前はソーサラー(一人前)だ。灰白の狼や黒灰の狼(ヒョニ)をも(しの)ぐ。抱いた(あの)童をも救えたかもしれない。 そうぶつぶつと呟く灰白の狼は、童に問う。 「おい、お前、なぜその呪符をひとの世で使わなかった?」 「ひ………、とのよ………?」 灰白の狼がいっている意味が解らないという顔をするが、もし彼が赤褐の狼と同じ国の者なら、ココは自分がいた国ではないのではという結論がでる。 そうでないなら、『ひとの世で』などという言葉は使わない。赤褐の狼も天津平のことをひとの世といっていたのだ。 だが、その理由が解らない。内装も妻戸もまったく同じで、違うというのならば彼らがいないことだけだ。 黒灰の狼と兄弟子。彼らはどこへいってしまったのだ。 頭が沸騰しそうである。 あわあわと両手を擦ると、呪符がカサカサと小さな音を立てる。童の思考が纏まらないようだ。 痺れを切らした灰白の狼が鋭い視線を突きつければ、童は思いだしたように息を吸い、がなった。 「────あ、に、あに、あにあに、あに……兄者を返せっ!」 てんぱる童は後退した回答(*3てんぱるとは手が一杯で仕事が廻らないこと)を返す。 兄者?ときょとんとした顔をする灰白の狼だが、彼の頭の廻転はよかった。 「ああ、あの屍のことか?」 兄弟だったとかか?と、着地点は概ね正確だった。 同時に、灰白の狼のことを追い廻してきた彼の仲間である陰陽師らのことまでも思いだす。 そして、物の怪などと抜かしかなりしつこく追い廻されたなと、この童の兄であるあの童を奪還するまでの経緯を走馬灯のように思いだしていた。 「こ、こ、この物の怪めがっ!」 祓ってやる!と息巻く童だが、呪符が使えないことを思いだし、慌てて蹲る。よって、その行動はちぐはぐだ。 呪符を投げつけるどころか、懐に隠すようにぎゅっと抱え込むモノだから、灰白の狼は出鼻を透かされる。 「おい、どうした? 仕掛けてこないのか? なら、俺から────」 「ひっ──────っ!!」 勘弁して下さいませ、勘弁して下さいませ、勘弁して下さいませともはや尋常(じんじょう)でない童の怯え方に呆れ、戦意喪失する。ソレに、無理して闘う必要もない。 目的は彼を抱く(物にする)こと。嫁探しの延長である。 さて、どう抱こうかと不意に彼が握り絞めている呪符に目を向ければ、誤った解釈をしていたことに気づく。 ソレは、この童は陰陽師ではなかったということだ。 恐らく、兄の方が陰陽師であったのだろう。この童を逃がす為に、念を込めた呪符を渡したというところだ。 つまるところ、この童は呪符の発動の仕方を教わっていても、その使いどころが解らなかったというワケである。 そして、術士が死ねば術が解けるのと同じで、その呪符も使えなくなってしまったというところだろう。 「(あわ)れだな。こんなところに隠れた所為(しょい)で、この俺に捕まることになるとは………」 ソコまでいって、灰白の狼はまたもやハッタと気がつくのだった。そう、呪符が使えずともこんなところ(唐櫃の中)に隠れなければ、逃げ仰せたハズ。 だが、童は敢えてココに隠れた。ココに隠れることに意味はあったのか?と思案しても、意図不明である。 灰白の狼は唸りながら、首を傾けた。 「あの中庭を突っ切って、校書殿(きょうしょでん)に向かえば助かったというモノを………」 そして、童の身を案じ、灰白の狼らしくない言葉を吐く。 一方、味方なのか、中立なのか、はたまた敵に塩を送るようなモノいいに、童は今日でもう何度目か解らない生きた心地がしていない体験をしていた。 ああ、神様仏様荒魂神様直霊魂神様どうかどうかお救い下さいませと、懐の中にまだある呪符ごと、手の中にある呪符をぎゅっと握り締める。相当、力が入っているようで握り潰された呪符はクシャリと皺がより、少し破れていた。握っている指先も白く、血の気が引いていた。 ──殺される。確実に、殺される。 ひとを殺めた灰白の狼の姿をみれば、そう考えるのは普通である。 ガグガクと膝小僧が嗤っている。逃げだしたいのに、逃げだせれない。 況してや、ココがひとの世でないなら助かるみ込みは零に等しい。 肺が息を吸うほど、心の臓が早鐘のようにガンガンと打ち鳴っている。 鼓膜の裏が痛い。張り裂けそうだ。 灰白の狼は、銀色の尖い眼光(がんこう)を放った。そして、童のことをみ下ろしながらおもむろに口を開く。 「死闘は終わりだ。さっきの問いも答えずともよい。だがしかし、コレだけは答えろ。なぜ、お前はこの中(唐櫃)に隠れたのだ?」 そう問い直すのは、そうしなければならなかった理由をまったく汲み取ることができなかったからだ。 同時に、灰白の狼は飛び上がって震え上がる童の腕を掴んで、吊し上げるようにその身体を持ち上げた。 「───ひっ!」 当然、童は恐怖のあまり灰白の狼の問いなどまったく耳に入っていなかった。 息を呑むように悲鳴を上げる。死闘だとがなり返した時とは、まるでひと柄が違った。 「おい、聞いているのか?」 「───ぃや、離して!」 童は力の限り抵抗する。灰白の狼の要望など聞く耳を持たぬようだ。 そんな彼を、灰白の狼はじっとりとした視線で舐め廻すようにみる。 ソレは、黒曜石のような光を放つ大きな瞳に、桜貝色の薄い唇。推定年齢から考えても小柄すぎる体躯(たいく)だが、もっさりとした肩まである長い黒髪は艶やかで、色白な肌は彼の兄よりも透けて白かった。 直衣は着崩れているのか、大きさがあっていないのか、薄い肩口から羽織っているうえのきぬが滑り落ちていた。震える手も細く小さく、首の骨何かも灰白の狼が軽く捻ったら簡単に折れそうだ。 しかも、おっとりとした性格よりも少し勝ち気な性格の方が大いに嗜好(しこう)である灰白の狼は、酷くご満悦といったところだろう。 やはり彼のどこをとっても灰白の狼の趣向に合ってて、一目惚れではないが手に入れたいという物欲は働いている。 そして、今も尚問うたことよりも彼のことに()かれるのは、本来、抱こうとしていたのがこっちの方であったからだろう。 彼の兄はいわば、当て馬。好みではないが、種づけくらいならイケる口だという妾要素であっただけだ。 頭の天辺から爪先まで徹底的に吟味(ぎんみ)されていたとは梅雨とも思っていない彼は、唇を噛み締めてコレ以上もないくらい血の気を引かせる。 「───っ離してっ! 離してよ!」 声を張り上げたことで蓄積された恐怖心に度胸がついたのか、連呼する。 「離して、離して、離して、離して、離してよ!」 バシバシと呪符で叩かれても、呪が死んでいたら屁でもない。 「ほぉ、コレはたまげた。これしきの抵抗ができるくらいまでは恐怖に打ち克つことができたか………」 灰白の狼は頬を緩めてニタつくが、もともとがおぞましい造りだから多少の緩和など微塵も面にでない。 口端を引つらせ、青白くなっている彼の方がまだ豊かな表情をみせている。 「フッ、逃がした魚は大きいというが強ち間違ってはいないな。お前の選択ミスを大いに称賛してやろう。そして、この状況は天地がひっくり返ろうとも変えられはせぬ」 お前はこの俺に抱かれる、その選択肢しかないのだからな。そう書かれた怖顔は奮い立たせた勇気の出鼻を挫く。 「────ぃやぁああああぁ、死にたくない、死にたくないっ! お願い、お願いだから、殺さないでっ!」 どうにか逃げようとする彼は掴まれている腕を振るが、身体を吊り下げられているから上手く力が入らなかった。 だが、万が一にでもこの場を逃げ仰せたとしても異界に転がり込んだ地点で、煮るなり焼くなり灰白の狼の好きなようにできた。 灰白の狼は値踏みした彼の(あご)を掴んで、上に持ち上げる。 近くで見るとますます好みで、肌なんかは見た目通りすべすべで、もう文句のつけようがないくらい柔らかい。 コレはまったく持って、上物。やはり喰わねば男が(すた)るというモノだと銀色の瞳が鈍く光る。 大きく横に裂けた口端が、狡猾に上に引き上がった。 「ああ、殺しはしないさ。タダこの俺に隅々まで丹念に味わられて、お前が死ぬまで抱かれ続けられるだろうが」 その意味がどういうことなのか、黒灰の狼(ヒョニ)との会話を聞いていた彼には直ぐに察しがついた。 「──っひ、………は、離して!」 もう助からない。絶望的な眼差しで灰白の狼の顔を見れば、じょろじょろと下半身から音がする。 彼は畏れのあまり失禁したようだ。袴の股間辺りに黄色いシミができ、仄かに尿の臭いがする。 「ほほう、尿失禁とはコレまた味なことを………」 灰白の狼が大いに嗤った。 引きに引いてしまっていた血の気だったが、一気に頭上に舞い戻ってくる。 かぁああああぁと色づく顔色に灰白の狼は、満足気だった。 彼の羞じらったような真っ赤な顔は、ますます好みであったのだ。 「………ぁ! ………ぃ、やぁ、み、みないで!」 股間を隠すように足を前後に捩るが、やはり吊り下げられているから上手く隠すことができない。 顎も持たれたままだから、まじまじと見られている顔も隠すことができず目蓋を綴じた。 ぎゅっと瞑る童の仕草に、愛でる感情が芽生える。 このままずっと恥じらう彼の姿を堪能するのもよいが、ひとの世で後始末を頼んでいた黒灰の狼(ヒョニ)がいつ帰ってきても可笑しくない頃合いである。 灰白の狼は、一旦、掴んで吊り上げていた彼の腕を無造作に離した。 茵の脇にある香台に向かってパチンと指球を鳴らせば、炎が灯ったのか中から白い煙が立ち上がる。  

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